双剣のエレナ ~災禍の転輪~

ながれ

第1話

 エレナがレティシアとの立ち合いを経て正式にギルド『双刻の月』に加入して数日の時が流れ――――穏やかな日々、と呼ぶには短く、さりとてこれまでの生活を考えれば極めて平穏であったエレナの新生活はカタリナの予期せぬ一言により破られる事となる。


 カタリナの細やか提案……それは――――。


 いや……エレナ曰く提案と言う名の強制であった、と。


 強制ミッションであるのだ、と。


 「では行きましょうか、エレナさん」


 「はい……お願いします」


 敷地の門まで見送りに出ていたレティシアにカタリナは軽く手を振ると、門の外に待たせていた馬車へと乗り込んで行き……当然ではあるが閉まる様子の無い後部座席の扉を前に一瞬躊躇を見せるエレナではあったが、はあっ、と気づかれぬ様に嘆息すると、諦めた様にカタリナに続き馬車へと乗り込む。


 自身の油断から齎された事態を前に、失態だ…失態だ、と内心で己を呪う呪詛の言葉を繰り返すエレナを乗せ――――馬車は一路、田園広がる長閑な風景の中を走り出すのであった。



 事の起こりは前日の夕食時へと遡る。



 「エレナ……あの……御免なさいね……気を悪くしないで欲しいのだけれど」


 と、ちらちら、とエレナの姿を盗み見ていたレティシアは意を決した様に口を開く。


 食卓を囲むのはエレナとレティシア、そしてカタリナの三名……シェルンの姿は見られないが此処数日、意図的に避けているのだろう、少なくともエレナが同席する食事の席に姿を見せる事は無かった。


 「勘違いだとは思うのだけれど……その……貴方の服装が三日前から変わっていないというか……あの……」


 「ああ……もしかして臭いますか? 済みません明日辺りちゃんと洗濯しますので」


 さらり、と答え、服の右手の袖口へと顔を寄せて臭いを確認しているエレナの仕草に……レティシアだけでなくカタリナも目を丸くして驚いた様子を見せている。


 住み込みになったと云う事情もあり、以前の様に頻繁に埃塗れになって服が汚れる事も無くなった事もあってか、此処数日、服装に気を配るという配慮に欠けていた事に……一呼吸の間の後に、二人の困惑した様子からエレナはその事にやっと気づく。


 勿論エレナとて朴念仁ではない……ではない? と自分自身ではそう思い……また信じてもいた訳で――――妙齢の女性と同居している時点で、それなりに気を配っている……つもりでもいた。


 正直面倒な湯浴みも毎日行っていたし、無駄に長い髪も毎朝洗ってもいた……服に関してもちゃんと臭わないモノを選んで着てもいたのだが……と、身体の汚れなど拭き取れば良い、服など丈夫で動き易い簡素なモノで十分、その程度の認識で生きて来たエレナにとっては此処での生活に際しては自分なりにではあるが、かなり気を配って来たつもりであったのだ。


 自らの袖口から顔を離したエレナには正直特に臭う、と云う感覚は無かったのだが、やはり年頃の娘と云うモノは臭いに……そうした感覚には敏感なのだろう、と、臭わないと云うのはあくまでも己の主観でしかないのだ、と……この段に至りやや焦りを見せ……。


 「直ぐに着替えて来ますね、替えの服はもう一着あるので……」


 交互に洗濯していますから、などと慌てて弁明するエレナにはレティシアの質問の本当の意図など理解出来る筈も無く自ら墓穴を掘っていく。


 そんなエレナの様子にレティシアとカタリナは申し合わせた様に顔を見合わせ――――。


 「エレナさん」


 と、レティシアの意向を代弁する様にカタリナがクイッ、と眼鏡を押し上げて宣告する。


 「長旅を重ねてきたのでしょう、エレナさんのこれまでの生活について兎や角は申しません、しかし正式に双刻の月に加入した今は違います」


 「は……はい?」


 「幾ら傭兵とは言っても年頃の女性が服を二着しか持っていないなど……全く以て論外です、有り得ません……女性には最低限度の嗜みと云うモノが御座います。それを疎かにする事は愚かな事ですよ」


 女性の嗜み云々に関しては良く分からないが、隣で同意する様に頷いているレティシアとカタリナの静かだが迫力のある眼差しにエレナは気圧され、思わず頷いてしまう。


 そんなエレナの姿に、宜しい、とばかりにカタリナは襟を正し、


 「明日エレナさんの服を買いに行きます、宜しいですねレティシア」


 大丈夫です、洋服の代金は経費で落としますから、と付け加えるカタリナにレティシアも反対する様子は見られず……エレナの意思とは関わり無いところでそれは決定事項となる。


 経理を担当するカタリナの意見だから、と云うよりはレティシア自身が同意見だった事が大きいのだろう、女性二人掛かりの攻勢を前に今更反論など出来よう筈もなく、敗北を悟ったエレナは、ははっ……と力なく笑う。


 女性服……女性が着る服?。


 はて……それは誰が着るのだろうか、と。


 混乱する頭の隅でそんな益体も無い事を思い、これからする事になるであろう、己の失敗と後悔を先延ばしにするかの様に現実から逃避するエレナであった。







 双刻の月……ギルドが存在する南部中域から市街地が広がる都市部までは個人差はあれど緩やかな馬車の歩調で約数時間……他国や地方領の人々からは王都ライズワースと一括りに総称される事はままあれど、国王の御座所たる中央、中心部は別として、東西南北に区分けされた区画のそれぞれの面積は優に小国に匹敵する広大さを誇る。


 ゆえに都市部の住民たち以外が繁華街にまで出掛けると云う行為は、一般的な街の住民たちがふらりと買い物に出る、と云う気楽なモノでは無く、感覚的に言えば小さな村の者が街へと向かうちょっとした旅路の様なモノ、と記した方がより正確であろうか。


 「エレナさんは東域の御出身……いえ、御生まれなのですか?」


 時折揺れる車中で、日常的な会話の中で、ふとカタリナがエレナに問い掛ける。


 それ自体には特別違和感を覚える程のおかしな点は無い。


 大陸でも黒髪は珍しい……しかし同時に一般的に余り知られてはいないが民俗学的には東域の一部の地方で見られる特徴的な傾向として認知されてもいる……その程度の情報であり、カタリナが知っていても不自然な話ではないし、会話の流れの中で興味本位で尋ねられても決しておかしくも無い……のだが。


 「ええ……まあ……」


 と、肯定とも否定ともとれる曖昧な態度でエレナは答えを濁す。


 暗に過去には触れて欲しくない、という態度を示せばそれ以上土足で踏み入る様な真似はしない人間だと、カタリナと云う女性をそう評していたゆえに……。


 カタリナは優秀で聡い人間だ、とエレナは思う。


 だからこそ身内以外の部外者である自分に対して……ましてギルドの加入に際してレティシアの背を押したという責任感からもエレナ・ロゼと云う人間について少しでも知ろうと、情報を得ようとするカタリナに不快感を抱いていた訳ではない……ないのだが。


 そこはエレナとしても複雑で……。


 もし仮に正直に全てを話したとしてもそれを信じる人間が居るなど到底思えないし、結果、妄想癖の有る頭のおかしい人間だと思われるのは不本意極まりない。


 今更地位や名声などに興味がある訳ではなし、無駄に実力を誇示したい訳でもないエレナとしては折角手にしたギルドの資格を手放す事なく、なるべく目立たず穏便に次の大会までの期間を過ごしたい、と言うのが偽らざる本心である。


 加えて言うならば身に覚えのない婚約者の登場が……レティシアの存在が事をより複雑に、難解にしていた。


 確かにレティシアは若く美しい女性だとは思う……それが恩人であり、友人でもあったカダートの娘ともなれば尚の事、運命の女神の気紛れに、悪戯に、何も感慨を抱かぬかと問われれば嘘になるだろう……しかしだからと言って会って間もない相手に対して純粋な好意を抱ける程子供ではないし、また我が身を振り返れば今は女の身……。


 今の己の現状を鑑みても色々悩まずとも自然に至る帰結として、どう振る舞って行けば良いかなど自ずと導き出せる話であって……従ってエレナとしては当面は適当に話を合わせ、誤魔化しながら上手く立ち回って行こう、などと考えていたのだ。


 しかし……其処に強い決意や意思があるのなら……上手く立ち回れる器用な人間であったならば、そもそも論として今この様な事態に陥っていないだろう事に気づかぬ辺りが良くも悪くもエレナらしい、と言えるのかも知れない。


 


 農耕地帯が広がる南の区画でも市街地まで足を延ばせば田畑の数は減り――――車内の窓から覗くエレナの視界の先に、連なる様に広がる街並みが映り込む。


 瞳に映る果て無き街並みは、農村部とは明らかに趣が異なるある種の壮観さを伴い何処までも続いていた。

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