第40話 結託

 人影が窓ガラスをけ破り、民家の部屋の中に転がり込んだ。城南市東部。立ち入り禁止地区に指定されたこの区域には民家は珍しい。

 その人影は壁に耳をあて、足音がだんだん遠ざかっていくのを見ると壁に背中を預け、大きなため息をついた。

「行ったか、ヴァネッサ」

「ええ。なんとか撒けたかと」


 ヴァネッサはふらふらと立ち上がると寝室を探して部屋中を歩いた。ベッドを見つけると倒れ込み、数時間の仮眠をとった。

 城南市東部地区。指名手配を受けていたヴァネッサ・ルーサーは、まだ捕まらずにいた。しかし、彼女を追って見慣れた制服の男たちが送り込まれていた。秘密裏にファルシオンから派遣された人々だ。彼女の予想通り、教会の爆破事件はヴァネッサが犯人に仕立て上げられていた。あれからアルゴは姿を消し、代わりにファルシオンの新たな特使が数名派遣された。


 「新しい連中か?」

ベリアルもまた健在であった。深刻な事態を知ってか知らずか、悪辣な弁舌はなりを潜めていた。

「そうですね。はあ、こうなれば捕まるのも時間の問題ですかね」

「諦めるのか」

「見ましたか、完全に追い詰められたアルゴの顔。奴に一生消えない屈辱の泥を塗れはしましたから、このまま死んでも別に心残りはないかと」

「そうか。ならそろそろ死ぬか?」

「冗談。彼を完全に排除するまでは死ねません。……死ぬ前の後悔を一つ、消しておきたいとは思いませんか、ベリアル? 万が一のために」

「悪い冗談だな、後悔とは何だ」

「私は大切な言伝を預かっています、それを果たさずに死ぬのは人間としてあってはならない」

「言伝? 何だそれは」

「瀬川実雪司祭からのお願いがあったではありませんか」

「ああ、忘れていた。確か自分が死ぬ成り消息を絶つなりしたら会って欲しい人がいる、とか言ってたな」

「アルゴのやり方を見るに、もう亡くなっていると考えていいでしょう。彼らの行動ルートを特定したらここから抜け出して役目を果たしに行きます」

「役目を果たす、だと? 正気か、お前は今追われているんだぞ? それに指名手配犯だ。どこに行ってもお尋ね者だぞ、お前は」

「だからこそ、です。全てが手遅れになる前に果たさなくては」

 深夜三時すぎ、ヴァネッサはその民家から飛び出して森と山を迂回し、東部を抜け出すのに成功したのであった。右手には実雪から託された紙片を宝の地図のように大切に握りしめていた。


 実雪から託された地図が示していたのは病院であった。しかし、そこに行きつくためには人々の目をかいくぐらなければならない。あろうことか彼女はファルシオンの制服を着ていた。東部ではファルシオンからの刺客から逃げ回るために重宝される装備であっても、ここで大手を振って歩けばファルシオンのテロリスト、として怪訝な目で見られるに違いない。ヴァネッサの視界に小さな古着屋が見えた。

「……パンクファッション、ですか」

「反体制の立場に立ったお前らしいじゃないか」

ヴァネッサは苦々しく呟いたのを、ベリアルが嗤った。


 変装をしたヴァネッサは足早に病院に向かった。紙片には入院している患者と部屋番号が記されていた。受け付けでやや怪訝な表情をされたものの、ヴァネッサは気のせいだと自分をごまかしてエレベーターに乗った。

 その患者の部屋を探し当て、中に入った。看護士が一人気が付いて、ヴァネッサに話しかけた。

「お見舞いですか?」

「ええ」

「良かったです。この患者さん

「……分かりました」

ヴァネッサはベッドに横たわる患者を見下ろした。歳の頃は実雪と同年代の女性。ヴァネッサを見るなり、嬉しそうな表情を浮かべた。

「あら、こんなにかっこいいお友達、私にいたかしら」

「……瀬川実雪さんからです。こちらの手紙を渡すように、と」

患者は実雪からの手紙を受け取りった。腕を動かすのも困難なようで、看護士が手紙を開いて見せた。一つ大きなため息をついた。

「……お姉さん、実雪ちゃん足悪かったでしょ」

「……ええ」

「足を怪我しちゃったのは最近なんだけど、あの具合だからね、外に出るのもおっくうになっちゃったみたいで。しばらくお見舞い来てくれなくて、寂しかったのよ」

「大切な方なんですね。すみません、事情があって、今日は代理で」

「いいのいいの。実雪ちゃんも自分の抱えてるものと戦ったんだから無理に引きずり出さなくてもいいよ」

「……そういうものでしょうか」

「そうそう。それに、いいこともあったのよ。お姉さんが来てくれた」

 患者はヴァネッサの瞳を見つめる。ヴァネッサは衝動的に顔を背けたくなったが、引き込まれるような力がそれをさせない。

「まっすぐで綺麗な目をしてるね。お姉さんは悪いことをするような人じゃないよ」

ヴァネッサは患者の目を見つめた。曇りのない笑顔だった。


 警察やファルシオンに通報される前に、ヴァネッサは足早に病院を後にした。

「ベリアル。あの患者さん、実雪さんが亡くなったこと、気づいたと思いますか」

「死んだと決めつけることは早計だろう。まあ、手紙を盗み見でもすれば分かったかもしれないがな。これからどうする?」

「決まっているでしょう。東部に帰ります」

「何だと、死にに行く気か」

「死にに行く覚悟がなければ殺しなどできません。それに、私を不審に思って通報した人がいるでしょう、彼らを撒く意味も含まれています」






 「そういえば、ベリアル。あなたの目的を聴いていませんでした」

東部に帰還したヴァネッサとベリアル。追手から逃れるために民家の屋根裏部屋に潜んでいた。

「目的など話して何の意味がある。その前に質問をするときはお前が持っている情報を提供するのが礼儀と言うものだろう」

「愛実に話したこと。あれが全ての私の本心です」

「は、まさかアルゴ・ローゼン憎しの一つで海を渡って来たのか」

「ええ」

「これは傑作だな、良い、興が乗った。ならば一つ、昔話をしてやろう」

そういってベリアルは語り始めた。


 ファルシ。神としての役割を持ち、同時に教典であり、同時にそれにかかわる全てを差す概念としての単語。

 かつて地上に人間と天使が混在していたとき、ファルシは生まれた。その啓示をうけることで、人は大地の支配者としての立場を手に入れるのだ、とされた。

 しかし、ファルシを受け入れるか、受け入れないかの対立が人類内で起き、人類は殺し合いを始めた。天使たちはそれを食い止めるために、自分たちが人類の管理者となり、ファルシを彼らに仲介する役割をもってはどうか、と提案した。最初はすべての天使たちがそれに賛成した。

 しかし、それは教典に従わない人類を皆殺しにすることと同義であった。全てが終わった後で、後悔の念に苛まれる天使が一人いた。名をルシフェルという。天使たちの中で最高位であった。


 ファルシには、悩める人を導け、弱き人の助けとなれ、という教典があった。そして、人が悪を行うのはその心が弱いのだ、という教えがあった。

 ルシフェルはその矛盾に苦しんだ。人の血に濡れた両手を握りしめる。

 ――悪を為すのが、心が弱いのであれば、殺してしまった彼らに本当に必要だったのは裁きではなく、説得と救済だったのではないか。そして、人はすべて祝福されて生まれてくるのではないか。その祝福を司る我ら天使が手ずから弓を引き、命を刈り取ったのは間違いではなかったのか。

 天使たちの間違いを糾弾すべく、ルシフェルは天使たちに訴えかける。しかし誰一人、彼の訴えに耳を貸す者はなかった。調和こそ正義、停滞こそ理想、そう考えていた天使たちは、ルシフェルが堕落したと判断した。

 ルシフェルは自ら最高位の天使の座を捨て、堕天使となり天使たちに叛逆した。彼らに呼応した天使たちもいた。しかし軍勢の差は多勢に無勢、無敵無敗を誇ったルシフェルも矢に貫かれ、美しい羽も全てむしりとられた。そうして地に落ちた彼はソロモンに封じられる。名はベリアルとされた。


 「では、あなたの目的とは、復讐なのですか?」

「ああ。連中が正義の名のもとに築いた秩序をずたずたに引き裂き、唾や糞尿をぶちまける。こんなに胸のすくような物語があるか」

「ならば、私と手を組みませんか、いえ、真の意味で、私の同盟者となる気はありませんか」

「どういうことだ? 話を聞こう」

「私がアルゴ・ローゼンを排除したとしても、そして大司祭の座を手に入れたとしても、戦いは続きます。恐らく議会派はこのテロ騒動を利用して大司祭の権限縮小に動いています」

「なるほど?」

「私は大司祭の権限を拡大するための実力が欲しい。あなたは既存の権限をぶち壊しにしたい。どうでしょう、あなたをファルシの主神に置き、大司祭の後ろ盾をなる、というシステムを作るというのは」

「面白い、乗った。改革か。」

「いえ。違います。これは、革命です」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る