第38話 傷跡
気が付いたときには、ベルは豪雨のふりしきる中に一人立っていた。まわりは、城南町と変わらない風景が広がっている。
「雨!? 今まで降ってなかったのに!?」
ベルは雨宿りができる場所を探して走り出そうとしたが、雨の水滴が身体をすり抜けていることに気付いた。
「どうなってんだコレ、まさか死んだんじゃねえだろうな」
ベルの最後の記憶は、グシオンの攻撃を受けたところで止まっていた。
――まあ、夢みたいなモンだろ、目ぇ覚ますまでブラブラするか。もし死んだってんなら、それもそれでいいけどな。何千年ぶりの自由だ。堪能しようじゃねえか。
ふと目をやると、一軒の家の窓が目に飛び込んできた。一人の少女が窓のカーテンを閉めようとしていた。その顔立ちは、ベルがよく知る少女に似ていた。
「……愛実?」
ベルは近寄って確認しようとしたが、既にカーテンは閉められ、覗き込むことはできない。
ふと、ベルは雨粒が通り抜けることを思い出し、窓ガラスに近づいて手を伸ばした。
手は窓ガラスを貫通した。サッシに足をかけて、窓から家に入り込んだ。
やはり見かけた少女は愛実に違いなかった。
「おい、ここで何やってんだ愛実!」
ベルは愛実をどなりつけたが、愛実は一切反応することなく、テレビを見ていた。
「愛実、おい愛実! 聴こえねえのか!」
愛実がベルに気付く様子はない。すると、聞きなれない声が愛実を呼んだ。愛実はそれに気づき、返事をした。
「愛実、今から未来の幼稚園に迎えに行ってくるから」
「はーい」
愛実はテレビを見たまま生返事をした。
――本当に聴こえてねえのか。今の声、浅葱、じゃねえよな……?
しばらくしてドアが閉まり、家の前に駐車されていた車が動き出した。ベルは愛実の様子をじろじろと眺めていた。
――よく見ると少し小さい、か? 愛実に妹なんかいたっけか?
しばらくすると、テレビに緊急速報が映し出された。愛実は飛び上がったが、やがて食い入るようにそれを見つめた。
「これ、うちの近く……」
愛実は家の固定電話を取ってどこかにダイヤルをした。何分かして諦めたのか、受話器を置いた。
再び受話器を取ると、今度は別の番号にダイヤルをかけた。どうやら次はつながったようだ。
「お父さん、お父さん! 今、お母さんが未来を迎えに行ったんだけど、避難してってテレビが……! なら私も行くよ! ……でも……うん……分かった。避難所で待ってるね」
受話器を置くと、愛実は傘とリュックを取り出して外に出た。ベルがそれを追おうとしたとき、ベルの意識が途切れた。
ベルは、何度か訪れた城南高校の体育館のような場所に立っていた。学校の体育館と違うのは、老若男女が身を寄せ合って不安そうな表情をしていることだった。
ベルが周りを見渡すと、愛実を見つけた。さっきの愛実のように、少し顔立ちが幼い気がする。愛実の長呼ばれた。呼んだのはレスキュー隊員の服に身を包んだ男性。声はどこか重苦しい。
男性が愛実に何を告げているのか、ベルには聞こえなかった。しかし話を聞いていた愛実が呆然自失とした表情になったのを見て、ベルはことの深刻さを察知した。
愛実はレスキュー隊員が止めるのもかまわず、土砂降りのなかに飛び出した。
「お父さん……お母さん……! 未来……」
至極当たり前のように生活していたから、ベルは気にすることもなかった。
愛実は、マンションの持ち主である沙羅に頼って生活している。ここ数日、彼女の口から両親の存在がほのめかされたことすらなかった。
――そうか、愛実の親は、死んでいたのか。
ベルはいたたまれなくなったか、ベルに駆け寄ろうとした。すると、先程のレスキュー隊員が会話をする声が聞こえた。
「しかし、あの娘も可哀相だよな。あの年で両親と妹を……」
「辛いだろうけど、俺たちには何もできない。親戚筋に引き取られるだろうよ」
「それがさ、あの娘の両親も天涯孤独だったらしいんだよ。どうしてこう、不幸が重なるもんかね」
「マジかよ、じゃあ施設行き?」
「だと思うな。いや、もう少しで助けられるところだったんだよな……胸が痛むぜ」
「どういうことだよ?」
「救助に行ったときには母親と娘のほうは生きてたんだよ。親父の方は即死だったけどな。だけど車が水没しちゃって、引き上げるのに人手が足りなくてさ。あと一人でもいれば、何とかなったかもしれないのにな。結局、応援が来る頃には意識無くしちゃって」
「おい、これ以上はやめとこうぜ。あの娘が聞いてたら……」
「そうだな」
レスキュー隊員は好き勝手言って立ち去った。
ベルは愛実を見かねて駆け寄った。
「なあ、おい……」
しかしすぐに、言葉が届かないことを知り、口をつぐんだ。
愛実が、慟哭のさなかに、とぎれとぎれの言葉を紡いだ。
「あと一人……あと一人いれば……私が……私が何もしなかったから……」
そんな言葉も、彼女の慟哭も、さらに勢いを増す豪雨にかき消された。
「ベル。私、思い出したよ」
「愛実、愛実!?」
愛実の声がした。しかし、そこで倒れている愛実のものではない。声はどこからともなく響く。まるで空を覆う豪雨のように彼女の言葉も降り注ぐ。
「私は、人を死なせたくないって思って戦うことにした。人が死んじゃえば、その人を大切に思っている人が悲しむから。そんな悲しいことを誰にも味わってほしくないから。そうだと思ってた。でも、本当は違ったんだ。誰かが死んじゃうと、私が必死に封じてきたこの記憶がよみがえる。よく、人の悲しみをまるで自分のことのように悲しむのが、美しい心だって言われてるけど、私は悲しむ人以上に、この思い出を突き付けられて、痛みに苦しむことになる。」
「愛実……」
「戦いを続けていくうちにベルが強くなって、本当は嬉しかったんだ。どうかしてるよね、ベルは自分の仲間を殺してるのに。ベルの力を自分の力みたいに勘違いして、強くなっていくたびに、誰かの命を救える、自分がもう辛い思いをしなくて済む。ヴァネッサは、自分が正義の味方って呼ばれて、それは過大評価だって言ってたけど、私はそれ以下。誰かのために戦っているようで、本当は自分のためにしか、自分が気持ちよくなるためにしか戦ってない、ただの自分勝手な人。こんなんじゃ、田淵くんといっしょだよ」
「愛実、お前」
答えはなかった。ただ雨がアスファルトに打ち付け、はじけ飛んでいた。
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