第36話 離別
ヴァネッサは、彼女が知る限りのすべての情報を愛実に託した。最も、彼女がアルゴを追い詰めたことについては全く記憶しておらず、伝えることはなかったのだが。
「そんなことが、あの人に」
「どれほど生い立ちが悲惨であったとしても罪は罪。彼のしたことは許されません」
「そうだね、でもかわいそうな人だね。ねえヴァネッサさん、どうして私に教えてくれたの?」
ヴァネッサは微笑みを返した。
「友人だから、ではだめですか?」
「友人だから……?」
「それに、これが最後の会話になりそうですから」
「どういうこと?」
「本来いてはいけないヴァネッサ・ルーサーが日本にいた。本来の正式な特使でもあるアルゴよりも前に。この事実さえあれば、事情はいくらでもねつ造できます。例えば、私が先ほどの虐殺を行い、アルゴはそれを止めるため必死で戦ったが力及ばず守りきることはできなかった、とか。私がアルゴの立場ならそうします。そして少しでも後顧の憂いたる力を持っていれば間違いなく、彼は私の存在をファルシオンに告発するでしょう。父エルマーもその座を奪われているはずです」
「そんな、ヴァネッサさんはみんなを守るために必死で戦ったのに」
「人を守るために戦った正義の味方、ですか? それは私を過大評価しすぎです。もともと、私は大司祭の権力制限に奔走する議会に反抗するために、そしてあわよくば次期大司祭のアルゴを始末するために、この密命を受けたのです」
「えっ!?」
「正直、大司祭の座は狙っていなかった、といえばウソになります。それにあなたを騙していた。私はあなたを利用する気でした。アンドラスとぶつけ合わせて、相討ちになってくれないかと。それでも、あなたは生き残った。そればかりか、無償だけれど何物にも代えがたい、信頼という贈り物を私にくれた。私はあなたに感謝してもしきれないです、愛実さん」
「ヴァネッサ、さん……」
「それでも私にはやらなければならないことがあります。まず、逃走を続ける。次にアルゴを抹殺し、次のたくらみを食い止める。愛実さん、あなたにも最後に一つ、いえ、二つお願いしたいことがあります。」
「私にできることなら、なんでも」
「ありがとうございます。まず、アルゴの愚行によって契約者たちの間に大混乱が起きました。これから契約者と悪魔、さらに人間との間で憎悪に満ちた食い合いが勃発すると考えられます。愛実さん、あなたは正しい道を正しく行ける人です、罪なき人々を助けてください」
「うん」
「二つめは……」
ヴァネッサはめずらしく言葉を選ぶと、急に愛実に抱き着いた。
「わ、わっ!?」
「こういうの、一度やってみたかったんです。」
ヴァネッサは愛実の耳元でささやく。
「ヴァネッサ、と呼んでください。……愛実」
ヴァネッサは愛実の頬に軽く口づけをして、ゆっくり抱擁を解いた。
頬に手を当て呆然とする愛実は、ただ
「……うん、……ヴァネッサ」
生気のない返事をすることができなかった。
それを見届けたヴァネッサが、森の中へ駆けてゆく。愛実はそのまま、向きなおることなく反対方向へ歩き出した。
愛実の出かけた教会で、テロが発生したというニュースを聴いていた沙羅と浅葱は、帰って来た愛実に跳びかかり、強く抱きしめた。
「一体何があったの」
しかし、沙羅がそう尋ねても愛実はぼうっとして応える様子がない。
「どうしたの一体」
「ほっとけほっとけ」
ベルがニタニタと野卑な笑みを浮かべていた。
沙羅は愛実から聞き出すのを止め、テレビをつけた。それを見た三人に衝撃が舞い込んでくることとなった。
ファルシオンから日本政府に、今回のテロの容疑者としてヴァネッサ・ルーサーが指名手配されたという通達が届いた。
「……ヴァネッサの言ったとおりだ」
愛実が初めてつぶやいた
「言った通りって?」
「アルゴに嵌められたんだ、ヴァネッサ。助けに行かないと」
「教会のあたりは立ち入り禁止になってるんだよ!」
沙羅が愛実を引き留めた。
「じゃあ、どうすればいいの……」
愛実はテレビの画面を見つめた。容疑者の写真として、ヴァネッサの顔写真が張り出されていた。それは先刻みた焼け付くような笑顔とは対照的に、凍り付いた人形のような表情を浮かべていた。
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