第33話 炎上

 「さて、諸君」

演台の上でアルゴが大きく咳ばらいをした。非常に尊大な態度で、日本にきて初めての記者会見の傍若無人なだらけ切った態度をとった人間と同一人物とは思えない。広い講堂内に響き渡る声でアルゴは続けた。

「君たちは大いなる苦難に立ち向かい、辛い思いをしてきたのだろう。会見で述べたように、謂れのない理由で悪魔憑きとそしられ、昨日までの友人や恋人、さらには家族まで裏切られた人もいるだろう。本当は悪魔など姿すら見ていないというのに、彼らに罵られ、もしかしたら本当に自分は悪魔憑きなのではないかと疑心暗鬼になってきた人も多いだろう。悲しいことだ。しかし、残念ながら。悪魔というものは絶対悪、裁かれなければならない存在なのである。そう、存在してはならないのだ。たとえ、どんな理由があっても。それがファルシの、世界に秩序を築いた教えである。強大な悪魔がここに寄り付いたのは偶然か、必然か。これぞまさに、神のみぞ知ると言うべきだろう。さて、しかし君たちの多くは人間だ。悪魔に魂を穢されたとはいえ、天使たちを通じてファルシと、世界の真理とつながることを許された、ただ一つの種族。なればこそ、悪魔に対してするように断罪してはなるまい」

 悪魔は裁かれなければならない、というアルゴの主張に、聴衆たちは恐怖を覚えた。「ここに集まれ」とこの神父らしき男が言ったのは、一か所に我々を集めて処分する腹積もりなのか、と。しかし、アルゴはあくまで人は悪魔と違う、と言った。

 救われる。この男について行けば、我々に憑りついているかもしれない悪魔も祓ってくれる。

 まるで数日振りに太陽の光を浴びた囚人のように、聴衆はこの男に平伏した。


 それを見て、アルゴは満足そうに頷いた。

「うん。分かってくれたか。ならば丁重にもてなすとしよう。――ファルシの身許へ」


 「逃げて!」

 愛実は力の限り叫んだが、既に手遅れであった。教会の辺りのあちこちで爆音と振動。わずかに聴こえる人の叫び声。愛実は力なく座り込んだ。爆音止んだ次の瞬間、行動は阿鼻叫喚の嵐が支配するところとなった。


 「貴様……貴様、今何をしたか分かっているのか!」

聴衆の中にいたヴァネッサが、声を震わせて立ち上がった。アルゴはそれを見て不愉快な顔をした。

「私が説教を行っている中、この中に紛れ込んでいた邪悪な意思を持つ者が行動を起こした。まず周辺で爆破を起こし警官たちを殺傷。そして密室と化したこの場所で殺戮を、ファルシへの最大の冒涜、侮辱を行う。それで筋書きは通るだろう、その主役は君だヴァネッサ・ルーサー。歴史の表舞台で狂ったように踊って消えろ。刹那の内に」

「警官たちは無実だ! 悪魔と関わりなんて持っていない!」

「関係? 大ありだとも! 彼らはアンドラスについて調査を行っていた。そもそも、悪魔の這い出たこの土地が全て、全て汚されている! ここに住む住人を百回殺しても浄化しきれぬわ!」


 アルゴは合図をするかのように片手を掲げる。それを見たベリアルが叫んだ。

「ヴァネッサ、何も言わずに演台に向かって走れ!」

 ヴァネッサは即座に反応し、床を蹴って跳躍する。彼女がアルゴの演台の至近距離に着地した瞬間、内部のあちこちで爆発が起きた。

 鼓膜をつんざくばかりの、連続した轟音。砕けるステンドグラス。そして、爆風に飲み込まれた人々が、その中で人の形を失ってゆく。

 その凄惨な光景をヴァネッサは目の当たりにしていた。そんなヴァネッサにベリアルが声をかける。

「見抜いた、フェニックスは羽を切り離して爆薬にできるのか! なるほど、無差別に爆撃を加えているように見えてそれでいてお前たちの場所には爆風の一つも届かない」


 「さあ、どうだったか?」

アルゴは邪悪な笑みを浮かべた。

「アルゴ、これ以上の愚行は犯させない。……ここであなたを終わらせる」

「良いぜ、悪の帝王の真似事にも飽きてきたころだ。今度は尻尾を巻いて逃げるなよ――!」

 教会の天井からフェニックスが舞い降りる。そして、人の命を吸った炎を吸収し、さらにその翼は輝きを増した。



 「ぐ、うっ!」

爆発の直前、ベルを憑依させた愛実が、持ちあげて盾代わりにしていた長椅子の残骸を放り投げる。致命傷すら負うことはなかったが、破片がいくつか体に刺さったようで、体のあちこちがじんとした痛みを訴えていた。

 「……大丈夫か」

愛実の後ろには辛うじて爆風を免れた人々がいた。愛実とベルが彼らを守ったのである。彼らの中で一番ベルの近くにいた少女が、ベルに話しかけた。

「愛実先輩? 愛実先輩ですよね? 助けてくれたんですか……?」

「ああ、アタシは愛実じゃない。コイツの体を今だけ借りてるんだ。ほとぼりが冷めたら礼を言いな。今は逃げろ、そいつらを連れて」

 愛実を知っているらしい少女は力強く頷くと、人々を後ろから押して逃がし、自分も逃げ出した。これで、愛実、ヴァネッサ、アルゴを除き、生きている人間は誰一人いなくなった。



 「くっ!」

ベリアルが吹き飛ばされ、床に転がる。

「とどめだ、悪魔ども」

フェニックスが炎を吐いた。

それは横からの乱入者の一薙ぎで防がれた。

「ベルゼブブ!?」

 ベルがベリアルの横に並び立ち、フェニックスに刃を向けた。

「その名前で呼んだ礼はあとでしっかりさせてもらう。まずはこの鳥野郎を焼き殺す!」

「……すでに良い焼け具合だと思うが、まあいいだろう」

 ベリアルも起き上がり拳を構えた。ヴァネッサがその後ろに隠れる。

「てめえ、天使のくせにやってくれんじゃねえか。お前のほうがよっぽど悪魔っぽいぜ」

 ベルがフェニックスを罵る。

「ファルシの名の元の罰だ。好き勝手に殺す貴様らと一緒にするな!」

 フェニックスが吼え、炎を吐く。

「無駄なあがきをしなければ楽に死ねたものを。いいだろう、お前もあの女の所に送ってやろう」

 その後ろでアルゴが余裕の表情で腕を組んだ。

ベルとベリアルは飛び上がり、フェニックスに攻撃をしかけた。



 「ベルゼブブ! 奴の再生速度には限界がある!」

「なんだって!?」

「奴は不死身だが、無尽蔵というわけではない! 何度も殺せば、細切れになるまですり潰せば! そのたびに復活に時間を要する!」

 ベリアルが眼前の爆発を身を翻して躱し、鉄拳を打ち込む。

「そして奴が復活するまでの間、あのにっくき契約者は丸腰! 奴を殺せば契約が断たれ、フェニックスはここにいられなくなる!」

「なるほど……なあッ!」

 ベルは鎌の仕込み剣を引き抜き、鞘の部分をフェニックスに投擲する。フェニックスはそれを翼であしらうが、その隙をついて、無防備になったフェニックスの首を断ち切った。

 ――行くぞ、愛実。

 ベルは体を共有する愛実の精神に語り掛けた。

 「うん、もう私は甘えたりしない」

愛実が言葉を返す。

「甘え?」

「うん。アルゴさんの話を聞いて考えたんだ。私は人が死ぬところを見るのが怖い。誰にも死んでほしくない。そう思って戦ってきた。でも、ベルは違った。ベルは自分の仲間を殺して戦っている。もちろんそれは自分のためなんだろうけど、少しは私のことも考えてくれてるんだよね?」

「お前、それでいいのか」

「私はきっと、自分の手を汚すことが怖かったんだと思う。だけどそれはただの甘えだった。誰かを守るためには、誰かを殺さないといけない。世界はずっと、そうやって回って来たんだ」

 アルゴは一歩も動かず、剣を刺突させようとするベルを睨みつけていた

「だから、私もためらわない」

 ベルが跳躍し、アルゴの首筋目がけて剣を突き出す。アルゴは隠し持っていた拳銃をベルに向けた。ベルは咄嗟に目標を変え、彼の持つ拳銃を弾き飛ばした。

 勢いに巻き込まれアルゴが転倒する。ベルは追撃を加えようとするが、アルゴは懐から燃え盛る羽を取り出し、投げつけた。ベルは即座に飛び退き、爆風を回避する。

 「悪い愛実、しくじった。次こそ――」

「ダメ! 逃げて!」

ベルの足元を炎が抉った。フェニックスが復活を遂げたのだ。


 「しくじったか愚か者」

ベリアルの罵倒を返す余裕もない。

二体の悪魔は再びフェニックスへ跳びかかった。

炎風を繰り出すフェニックスに吹き飛ばされる。ベリアルは偶然近くに落ちていたベルの剣の鞘を拾い上げて持ち、フェニックスに突き立てようとした。

 フェニックスは、今度は羽を切り離して爆発させることで防御しようとする。

「頭が良すぎるとなぁ!」

 それを読んでいたか、ベリアルは炎を噴き出して空中で姿勢を変えると着地した。そして手にはもう一つの武器が握られていた。

 黒翼魔アンドラスのハルバード。おぞましい殺傷力を持ったこの武器を、ヴァネッサとベリアルは回収に成功していた。

 「せあっ!」

 鎌とハルバードが投擲される。鎌は打ち払われたが、ハルバードはフェニックスの翼を貫き、壁と不死鳥とを縫い付けた。フェニックスは必死にもがき、火を噴いて怒り狂うがハルバードは抜けない。

 「さて、とどめといこうか。散々見下してきた者に、今度は見下されるのはどんな気持ちだ、ん?」

「クズどもが……ッ!」

 アルゴは怒りに肩を震わせると銃を蹴って拾い上げ、天井を撃った。

 天井にはすでにおびただしい数の羽がしきつめられていたのか、一段と強い爆風とともに天井が崩落した。

「正気かッ!」

 ベリアルはヴァネッサを抱きかかえると走り出した。

「畜生……!」

ベルもなんとかその崩落から逃げ出した。


 アルゴとフェニックスは講堂の奥に消えた。

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