第32話 鮮血のミサ
佐田頼香の葬儀は幸運にも滞りなく行われた。一緒に参列した沙羅はどこからともなく刺す妖しい視線に、誰かに見られているような感覚に苦しむことになったのだが。ちなみに、「誰か」とは誰あろうアスモデウスである。悪魔は契約を従順に履行する存在であり、嘘を吐く悪魔でなければ言葉を一寸も違えることはない。沙羅は遠い日に読んだ、題名も忘れた本の中の一節を思い出し、身をふるえあがらせた。
愛実と沙羅は帰宅した。家にいた浅葱から塩を振ってもらい、中に入った。
すると、頃合いを見計らっていたかのように着信が響いた。ヴァネッサからのものだった。愛実はスマホを取り出して通話をはじめる。
「すみません愛実、しくじりました。いえ、こうなることを既に予測しておくべきでした」
「どうしたの?」
ヴァネッサの無念そうな声に、愛実は詳細を訪ねた。
「明日の朝、アルゴは予告通りに悪魔憑きを集め、集会を開くでしょう」
「集会、そうか、あの記者会見から明日で三日に」
「駅前に人影が増えています。悪魔の反応がありました。私は捜査委任状と特使の権限を使って警察に教会の周辺警護、もとい見張りをしていただきたかったのですが、私の権限が差し止められていました。そればかりではなく、アルゴ自身が周辺警備を依頼していたようなのです」
「周辺警護……私たちみたいな不穏分子を排除するための?」
「そう考えて頂いて問題ないでしょう。つまり城南高校の先生方がいくら警察と連絡をとって依頼しても、アルゴの集会を中止することはできない」
「そんな……じゃあ私たちはどうすればいい?」
「私はともかく、あなたはアルゴとの面識はないでしょう。そして私が集会に参加していたとして、アルゴは大きな行動を起こすわけにはいかない。警察に警護を依頼したのは自分の首を締めることにもなっています。彼らの見ている前で虐殺など到底不可能」
「じゃあ、私たちも集会に参加して」
「ええ。後は私に任せてください」
「ヴァネッサさん。一応訊いておくけどアルゴさんを攻撃しようだなんて思ってないよね」
「緊急の必要があればそうする、とだけ申し上げておきます。武器を持って暴れ出した者をやむを得ず射殺するように」
――もっとも、私はアルゴを人間扱いするつもりはありませんが。ヴァネッサは心中でそう付与した。
「ねえ、ヴァネッサさん」
愛実が質問をしてくるのは珍しい。心の中をのぞかれた気がして、ヴァネッサの鼓動が少し早まった。
「はい、なんでしょう」
「アルゴさんのこと、すごく恨んでるみたいだけど何かあったの?」
ヴァネッサはそれを沈黙で返した。やがて決意すると、もったいぶるかのように息をすって彼女に語り掛けた。
「いいでしょう、お話します。これが最後のお話となるかもしれませんので。アルゴ・ローゼンという男は、元ファルシ教異端組織の武装グループ、神の剣と名乗る団体、その頭領の一人息子でした。彼は一人保護され教会で暮らすようになって、やがて頭角を現しファルシオンに召集されることになります。ファルシの中でも選りすぐりの人々が集められたファルシオンでも彼は卓越した実力を見せ、やがて次期大司祭に推されるようになりますが……私は彼が大司祭の座に就くことを食い止めなければなりません。彼は大司祭の椅子を邪な目的のために手に入れようとしているのです」
「食い止める? どうして? ヴァネッサが大司祭になるために?」
「いえ、とんでもない。私ほどの実力で大司祭の座などとてもとても。」
「だったらどうして?」
「それは――」
ヴァネッサは言葉に詰まった。
「それはお答えできません。愛実さん」
「私にも話せないことをしようとしてるの?
「……ッ!」
「友達にも、話せないことを」
「友達、ですか」
「違うの? ヴァネッサさんは私たちのことを何度も助けてくれたでしょ、それに今は一緒に戦ってる。友達じゃないのかな」
「……友達にも、話せることと話せないことがあるのです。それでは明日、教会でお会いしましょう」
ヴァネッサはそれだけ言って通話を切った。
「どうしたんだろう、ヴァネッサさん……とにかく、そういうわけだから明日の朝早く、教会に行かないといけなくなったから、ごめん浅葱さん。夕ご飯早めにお願いしていいかな?」
愛実は浅葱のほうを向くが、浅葱の返事はなかった。
「浅葱さん?」
愛実は浅葱の顔を覗き込んだ。沙羅も同じように浅葱を見上げていた。随分前からこうやってぼうっとしていたようだ。
耳を澄ますと、まるでうわごとのように浅葱がひとりごとをつぶやいていた。
「アルゴ・ローゼン……どこで……いや、まさか……?」
浅葱はようやく底で愛実と沙羅の視線に気づいた。
「あ、愛実、沙羅。どうかしましたか?」
「どうかしましたか、じゃないでしょ。浅葱が急に固まるんだから心配したじゃない」
「私がそんなことに……? すみません、ご心配をかけました」
浅葱は深々と頭を下げた。その後は、とりあえずいつもの風景を取り戻した。三人で調理をはじめ、いや、今日は材料を洗ったり魚の切り身を取り出す程度であったがベルも三人を手伝った。
そして何とか団らんを追え、愛実とベルは部屋に帰って来た。
翌日。愛実は目を覚まして手早く支度を整え、出かけた。沙羅に声をかけるべきか悩み、沙羅の部屋のドアノブに手をかけた。
「愛実、大丈夫だ。アスモデウスが近くにいる」
「本当に大丈夫なのかな……? もし大丈夫だったとしても沙羅のいろいろなモノが危ない気がするけど」
「そこは何とも言えないな。とりあえず行くか」
「うん、そうだね」
一度城南教会には足を運んだこともあって、二人が教会にたどり着くにはさほど苦労はしなかった。
教会の前のバス停に降りた瞬間、異様な空気が二人を包んだ。警官隊がバス停から、森を抜けて教会に至るまでの道を厳重に警護していた。
「うわ、凄い……これが本物の特使の特権……」
「感心している場合か。行くぞ」
「あ、うん、そうだね」
愛実とベルは、ともかくもバス停から離れて歩き始めたのであった。
途中、警官の一人が声を掛けた。
「失礼、手荷物を」
「はい。すごく徹底してるんですね」
「まあね。悪魔騒ぎで気がめいってる人が多いみたいだし、もしかしたら中にはここに集まった人を……なんてよからぬことをたくらむ人がいるかもしれないから、念のためだよ、警戒するに越したことはないよね。はい、大丈夫です」
愛実は手荷物を受け取って、教会の中に入った。愛実は以前立ち寄った時の教会との変わりように驚いた。愛実が一番最後であったようで、すでに席は埋まっている。内部は隅々まで清掃が行き届き、蜘蛛の巣一つどころか埃の一つも見当たらなかった。マットは全て新しいものに交換されている。ヒーターが焚かれ、寒々しい印象は吹き飛んでいた。
「やあいらっしゃい、さぞ心苦しかったろう。でももう大丈夫。君と同じ辛い思いをした人たちがいっぱいいるからね。今日は心安らかになる一日になることを心から願っているよ」
奥の演台から声を掛ける男がいた。アルゴ・ローゼンその人である。愛実は頭を下げ、挨拶を返した。
「こんにちは。わざわざ遠くからお越しいただきありがとうございます。……ところで、こちらの本来の司祭さんはどちらにいらっしゃいますか?」
「おお、実雪司祭をご存知であったか。安心したよ。私もかねがね、この教会は人がめったに訪れず寂れてしまったという噂を聞いているからね。これが終われば君も会いに行くがいい。彼女は万一のことを考えて安心できる場所に避難させている」
「安心できる場所、ですか」
「ああ、心の底から安心できる場所だ。なあ、あまりそこに突っ立っているものではないぞ、後ろがつっかえているだろう」
「後ろを見ると、愛実の後にも数人並んでいた」
「おや、予備のものを使っても椅子が足りないか、ならば立って集会を受けることとなってしまうが、構わないかね」
「ええ、構いません」
「すまないね。本日はよろしく頼むよ」
「ええ、こちらこそ」
愛実とアルゴは視線を交わした。愛実は察知した。
――この男は危険だ。
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