第31話 異常なる愛欲

 愛実、沙羅、ヴァネッサの三人が、頼香の葬儀場を目指して歩いていた。葬儀場は寺院であり、城南教会よりも町の中心部に近く、かつ騒音もさほど気にならない、寺院としてはそこそこの立地条件であった。

 そこを目指して歩くうち、愛実の鞄の中に潜んでいたベルと、ペンダントの中に封じられていたベリアルが警告を放つ。

「愛実、悪魔の反応だ! すぐ近くにいる!」

「なかなかの難敵のようだぞ、これは」


 愛実とヴァネッサは頷き合う。

「ここは私が食い止めます、愛実さんは沙羅さんを連れて逃げてください」

ヴァネッサが愛実と沙羅を後ろに庇った。

しかし、視認範囲外からの攻撃が三人を襲う。沙羅は吹き飛ばされ、大きな負傷はしなかったものの愛実とヴァネッサから離れた位置に移動してしまっていた。 

 沙羅は立ち上がり二人の元に合流しようとしたが、その眼前に悪魔が降り立った。驚愕に目を開く沙羅。

沙羅の名を叫びながら手を伸ばす愛実、しかしベルもベリアルも間に合う位置にはなかった。

 沙羅が目を瞑り、迫りくる死に耐えようとする。

 そのとき、鎖が地面を走り、悪魔の両腕を縛った。

「嫌ですわ、私の大切なお方に手を出されては。聞き分けの無い猛獣は縛り首といたしましょうか。今ここで諦めて逃げるなら、その両腕だけで許して差し上げましてよ」


 丁寧な口調の、高い女の声だった。その声の主が沙羅の背後から現れ、沙羅の傍に寄りそう。

「ああ、この時をどれほど待ち焦がれたことか。苦境にいるあなたを陰から現れた私がお救い致す――難百年待ったか、教えて差し上げましょうか。あなたの体にじっくりと」

そして沙羅の頬に指を滑らせ、顎を引いて――

「ちょ、ちょっとタンマタンマ!」

 女の手を振り払い、沙羅が真っ赤になって叫ぶ。

「いきなりチューとかどんだけステップ軽いのキミ!? っていうか誰!?」

 その沙羅の声を聞くなり、その女はさめざめと泣きだした。

「ああ、なんとおいたわしい。私たちの思い出さえもお忘れになってしまわれましたか……? あの満点の星の中過ごした激しい夜のことも、二人の結ばれた日に激しく求めあった熱い夜のことも……」

「お盛んだねキミ! とにかく離れてくれない!? 人違いだよ!」


 突き飛ばされた女は地面に座り込み、泣き出してしまった。彼女と沙羅を、気まずそうな愛実とヴァネッサの視線が襲う。

 「えーと、これは私が、うん私が悪いね。ごめん、急に突き飛ばしたりして」

 沙羅は女に近寄り、手を差し出した。すると女がその腕を引き寄せ抱きしめ、頬ずりを始めた。

 「やっぱり変態だこの娘!」

沙羅は腕を女から話そうと奮闘したが、女の力が非常に強いのか、拘束から抜け出すことは出来ない。


 すると、先程まで縛られていた悪魔が力ずくで鎖を引きちぎった。腕はずたずたに引き裂かれていたが、それに構うことなく、むしろ怒りが乗せられて勢いのました攻撃を二人に目がけて加えようとする。女は沙羅の腕を抱きしめたまま微動だにしない。

 すると突然現れた一条の鎖が悪魔の首に巻きつき、締め上げた、鎖は悪魔がもがくたびに強く強く閉まっていき、とうとう悪魔の首をちぎってしまった。


 「いいでしょう。サラ。あなたがお忘れなら思い出させて差し上げるまで。いや、むしろ新しい思い出であなたの心を埋め尽くしてしまうのも一興でしょうか」

 女は悪魔が仕留められたのを見ると沙羅の腕をようやく放して立ち上がり、沙羅、愛実、ヴァネッサを見渡した。

「私はソロモンの悪魔の一体、アスモデウス。そしてサラの想い人、いえ、想い悪魔でございます」

 恍惚とした表情で、アスモデウスと名乗った彼女は、再び沙羅のもとによりそった。

「想い人じゃない、重い人だよコレ……」

 沙羅は一人、苦々しい表情を浮かべていた。

「それではサラ、早速契約を」

アスモデウスが沙羅の手を取ってかしずく。

「ま、待って!」

 沙羅がそれを制止した。アスモデウスの残念そうな視線が彼女を刺す。

「あたしはあなが誰だか分からないし、それに」

 沙羅は愛実をちらと見て、続ける」

「悪魔との契約って契約者もただじゃ済まないって話だよ。今必要ないのに、私が契約なんかしちゃったらみんなにすごく心配をかけると思う」

「必要ない? 何を仰います、サラ。今まさにあなたのお命が危なかったではありませんか。近くの……ベリアルと……ああ、あなたですか。……ともかく、その悪魔と契約者二人は全くの役立たず。その点私は一日中、あなたが眠りの中にいるときも手を握ってあなたの傍に寄り添いましょう。私が誓います」

「ごめん、考えさせて……」

沙羅はアスモデウスから目を背け、頭を掻く。

「一応確認したいんだけど、あなたの契約の対価は?」

 それを聞いた瞬間、アスモデウスは顔から火でも出るかのように赤くなり、顔を両手で覆ってしゃがみこんでしまった。

「そ、そんな、なんとはしたない。私がサラから何か頂くなど……いえ。ならば願いましょう」

アスモデウスは立ち上がり、沙羅を見据えた。


「あなたの傍にいさせてください、サラ」

「考えさせて」

「ああ、そんな」

 沙羅の答えは変わらなかった。しかしアスモデウスは諦めることにしたのか、一歩後ろに下がると、三人に頭を下げて告げた。

「分かりましたわ、あなたのお気持ちを考えずに、というのは良くありません。それに、薔薇の花園ならまだしも、ケダモノの腐臭漂うこの場所であなたと契るのもまた無粋というもの。日を改めるといたしましょう。気が変わりましたらお呼びください。このアスモデウス、いつもサラの傍におりますので。ええ。いつも」

 長し目で沙羅の姿を捉えつつ、アスモデウスはゆっくりと歩き去った。


 「今の……何だったの?」

嵐が去ったように静かになった中、愛実が口火を切った。

「あたしが聞きたいよ! 何あの淫乱変態ストーカー! なんであたしの名前知ってんのよ!」

緊張の糸が切れた沙羅がわめき散らす。

「ねえ、多分アスモデウスって人沙羅の言ってること聞いてるよ」

沙羅ははっと息を呑み、口をつぐんだ。

「あの調子だとお前の罵倒すら快感に思うのだろうな、あの色欲魔神」

 ベリアルが毒づいた。


 「あれがアスモデウス、なのですか? ベリアル?」

ヴァネッサがベリアルに尋ねる。

「あそこまで躊躇の一切もなく性欲をばらまく悪魔が二体もいてたまるか」

「それも確かにそうですが、ベリアル。いつになく敵意をむき出しにしているようですが?」

「気のせいだ。まあ、奴が気に入らんのも事実だ。あの女、サラと言ったな」


「あたしがどうかしたって? 何か恨まれるようなことしたかなあ、あたし」

「そうではない。アスモデウスはかつて、サラという人間の娘に恋い焦がれたことがあってな。無論お前とは縁も縁もない娘だ。時空の隔絶した今になって、どこかでお前の名を聞きつけそれを追ってきたのだろうよ」


 「困ったなあ、さすがにヤンデレはストライクゾーン外なんだけど」

「そんな話!? それよりあの人、いつも近くにいるとか言ってたよね。今も近くにいるのかな」

「ひっ、怖いこと言わないでよ、さすがにハッタリだって信じたいんだけど」

「ハッタリだといいんだけど……それに、アスモデウス、隙を見て沙羅を……っていう可能性もあるし、今まで以上に気を付けないと」

「恐ろしいよ、あの娘……とにかく、頼香さんのお葬式に送れちゃうから急ごうか」

「そうだね、遅刻するわけにはいかないよ。私のクラスメートとの最後のお別れだから……」

 三人は再び歩き出す。その後ろ姿をじっと見つめる影があった。

「ああ。沙羅……ここで出会えるなんて。あなたが歩いている、話している、息をしている。生きているだけでこんなに尊く、こんなに愛おしい。今度こそ必ず私の虜にしてみせます、沙羅」


 そう呟いて影、アスモデウスはそこを離れ、沙羅たちを追い始めた。

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