第20話 詰み

 日中は少々の喧騒につつまれるこの街も早朝は町中から人影は消え、ただ静寂だけがそこにあった。

 その中を一人の少女が歩いていた。城南高校の制服を着ている。

 そして、それを見つめる視線があった。それは獲物を見つけた肉食獣のように、歩く生徒を追う。


 茂みを揺らし、物陰から黒い影が飛び出した。生徒はそれに気づき振り返るが、その両肩は黒い影――アンドラスの爪に強く押さえつけられていた。そのまま飛び上がり、頭を地面に向けて叩き落とす。


 恐怖に歪んだ表情の少女の遺体を、血飛沫が彼岸花のように彩る。アンドラスはその脚を無造作につかみ、物陰へと引きずり込んだ。それから湯気が立ち、枯れ枝を折るような音と啜るような音がしばらく続いた。いつの間にか、カラスが一羽、二羽、三羽とアンドラスの周りに降り立っていた。アンドラスはそれを気にすることなく、食事にありつく。


 その様子を見ていた契約者は、あまりの惨さに胃の中のものをぶちまけていた。異臭の中、よろけながら涙目で口元を拭う。

「恨むなよ……強く、強くならなきゃならないんだ、俺は」




 愛実は登校してすぐ、全校集会で体育館に呼び出された。学校に入ってからすぐ、愛実と沙羅は重々しい空気を感じていた。嫌な予感がする。それはすぐに的中することになった。

 「今朝、佐田頼香さんが亡くなりました。登校中のことだったそうです。今、警察の方々は全力を挙げて捜査をしています。これをもって、事件解決まで臨時休校とすることを職員会議で決定しました。これから皆さんは地区ごとに教員随伴で帰宅していただきます。何より大切なのは、皆さん一人一人の命です。どうか気を付けてください。我々教員一同からのお願いです。」


 佐田頼香は、愛実のクラスメイトであった。愛実との交流はほぼ無かった。一回二回話して、遠くから電車で通っていることを知っている程度である。

 愛実の学年が残され、頼香の通夜についての説明がなされた。教師の声が響く体育館内で、あちこちすすり泣きの声が聞こえる。

 ――私が倒せなかったから、誰かの大切な人がまた、失われてしまった。

 愛実は両手の爪を掌に食い込ませた。


 「十和田」

全校集会とクラスのホームルームが終わって生徒たちが帰宅をはじめた頃、愛実は北村に呼び止められた。

「はい、何ですか?」

「ヴァネッサが休んだから今日のことを連絡しておいてもらえないか?」

「はい、分かりました……お休みだったんですか?」

「ああ、足を怪我したとかでな。私は今から引率がある。お前も担当の先生のとこに早く行け、遅れるなよ」

「はい」


 忸怩たる思いに打ちのめされたのは、ヴァネッサも同様であった。やり場のない怒りを机に叩きつける。食いしばった歯の間から苦悶の声が漏れた。ポケットからスマートフォンを取り出し、愛実に電話をかけた。

 「もしもし、ヴァネッサさん? 良かった、私からも伝えたいことが――」

「お話したいことがあります、街の教会まで来てください。あなたとベルさんの、二人だけで。」

 それだけ伝えて通話を切ると、松葉杖を取り出して足を引きずりながら歩き出した。


 協会は、町の外れの人工林を抜けた先にあった。ヴァネッサはそれを見て失神しそうになった。人気が全くないどころか、屋根の塗装が剥げかけ、建物もあちこちがひび割れていた。日本ではファルシが重要視されていないという話は聞いていたが、こんなになり果てても慈悲の一つはないのか。ヴァネッサは悲嘆に暮れた。

 しばらくして愛実が駆けてきた。余程急いできたのだろう、息は切れ、顔は真っ赤になっている。

「お、お待たせ……ヴァネッサさん、その足……」

「早朝、あの悪魔と再び戦いました。その時の負傷です。あそこで仕留めていれば……!」

 ヴァネッサは悔しそうに歯噛みする。

「過ぎたことはどうしようもねえ。アタシ達に伝えたいことって何だ」

 ベルが愛実の陰から姿を現した。


 「そうでしたね。昨日警察に行ってきて、捜査資料を拝見してきました。その報告を」

そう切り出して、ヴァネッサは愛実に二人が追っている悪魔が「アンドラス」だということ、契約者すら殺すはずのアンドラスがそれをしなかったどころか、契約者を守るという不審な動きを見せたことを報告した。

「それで、なんでこの教会に……?」

「その謎の答えがそこにあるからです」

 ヴァネッサは重い教会の扉を押した。軋む音がしてゆっくりと開いていく。愛実とベルがそれに続く。


 内装は辛うじて教会としての体裁を保っているという有様であった。あちこちに蜘蛛の巣ができ、埃が椅子を覆っていた。奥のほうに教壇があり、向こう側に人の頭が後ろを向いているのが分かる。

 「失礼いたします。ヴァネッサ・ルーサー、ただいま参りました、司祭殿」

 ヴァネッサの呼び声に応え、頭をぐるりとこちらに回した。

「よくいらっしゃいました。私がこの教会の司祭、瀬川実雪です」

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