第18話 探査
深夜、ヴァネッサは警察署を訪れていた。革靴の足音が冷たい石の床に反響する。
ヴァネッサ・ルーサーの突き出した捜査委任状を見た係員は、疑うような視線を委任状と彼女の顔に行き来させた。とうとう諦めたように立ち上がり、通路を手で指し示した。
「こちらにどうぞ。資料は全て捜査中のものですのでくれぐれも汚損はしないように」
「承知しています」
ヴァネッサは声色に苛立ちを隠すことをしなかった。日本の警察は「シマ」と「手柄」の取り合いだと聞いていたが、係員の渋るような態度も、せめて時間稼ぎをしようとする意図らしい。呆れてため息も出なかった。
――この男に、日本の警察に正義はないのか。災いを断つことこそすれ、利益を最優先で動くものなのか。ならばなおさら、彼らに悪魔に触れる権利はない。
迷路のように入り組んだ、薄暗い通路を右へ左へ振り回されている最中ずっと、ヴァネッサは怒気を孕んだ視線を、彼女の前を歩く係員に突き刺していた。
深夜だというのに、捜査本部だという一室はまだ明りが付いている。その中で人影がせわしなく動き回っているのが見える。ヴァネッサは今すぐこの扉を突き破って、資料を一切合切強奪してしまいたい衝動に駆られたが、すんでのところで行動に移さずに済んだ。
「初めまして、ファルシオンから派遣されました、ヴァネッサ・ルーサーです。捜査協力を承諾していただきありがとうございます。解決に向けて全力を尽くします」
ヴァネッサと握手を交わした捜査本部長と名乗る男は体裁こそ歓迎の雰囲気を取っていたが、笑顔の裏には苦々しい表情が潜んでいるのが見て取れた。それを尻目に、机の上に無造作に置かれたファイルの一つを手に取る。ヴァネッサはそれに軽く目を通して置きなおした。
――そうだ。私は所詮よそ者、鼻つまみ者なのだ。
彼女は何度か、悪魔祓いとして派遣されたことがあった。そのたびに現地の人々には歓迎どころか人間扱いすらされなかった。帰路はいつも追放を受けた者のように追い出されるのがいつものことだった。悪魔という、街や村に巣食う病巣を切り落とす救済者であるというのに。
愛実たちに受けた歓迎で勘違いをするところであった。やはり日本でも悪魔祓いは嫌悪の対象ということか。なんとなく見下ろした掌に、悪魔の赤黒い血糊がべっとりと付着していた幻覚を見たのは一度や二度ではなかった。
大司祭の一人娘が汚れ仕事に手を染めることに異議を唱えた者は少なくない。それでもヴァネッサ本人がそれを押し切ってその道に入ったのは、父親への狂信じみた親愛と、その父親が議会によって権力を縮小されてゆくのを目の当たりにしたことであった。エルマーは表で、ヴァネッサは裏でファルシを盤石なものにしながら、権力の小さな悪魔祓いの勢力を拡大させ、エルマーの権限を守る。それがヴァネッサの描いた理想であった。
厳格に、されど温厚に。エルマーの在り方は、彼女の崇拝していた初代大司祭ソロモンそのものであった。故に、ソロモンの封じた悪魔を、「異教の神々を護れ」という彼の密命には驚きを隠せなかった。しかし、父親には何かお考えがあるのだろう、ヴァネッサは盲目的にその使命に従うことにしたのだ。
「手が止まっているぞ」
いたたまれなくなったか、周囲の刑事たちの不審がる視線に耐えかねたか、十字架のベリアルが小さく声をかける。そこでようやく、ヴァネッサは遺留品の頁を開いたまま固まっていることに気付いた。ヴァネッサは慌ててファイルを戻し、新しいファイルに手を伸ばした。
警察署を出たヴァネッサは一人、小雨の降る夜道を歩いていた。警官が自宅までの同行を申し出たが、「タクシーを呼ぶ」という口実で断った。後々彼女が正規の派遣ではないことが発覚すれば一巻の終わりである。
「何か分かったか?」
我慢の限界、と言いたげな口調であった。ヴァネッサが情報を閲覧している間、何時間もじっとしているとうのは流石に苦痛だったのだろうか。
「関連する事件の内容、その共通点は現場が異常と言ってもいいほどに荒らされていたことです」
「荒らされていた?」
「ええ、通常の強盗殺人等であれば被害者を殺害したあと、金品を略取する。殺害を目的とするなら金品には手を付けないのが常というものでしょう。ですが今回は、貴重品や家財道具に至るまで無残に破壊されていました。普通の判断ができる、いえ、普通の人間の為せる業とは思えません」
「ほう、それが悪魔の仕業だというならだいぶ絞り込みが楽になるな」
ベリアルは感心したように、小さく鼻を鳴らす。
「はい。恐らくはデビルの一体、アンドラス。破壊衝動のみで構成された人格ならばこの程度造作もないでしょう。しかし気になるのは、そのような危険なモノと契約したのは誰なのか、ということです。アンドラスの破壊衝動は契約者にも及びます。どうやって契約を保っているのか。そもそも、なぜ契約などしたのか」
「それを突き止めるのは構わんが、あくまで優先は奴を仕留めることだということを忘れるなよ」
「当然です。……ベリアル、まさか」
「そのまさかだ。見つけたぞ。誰かは分からんが、奴と考えるのが妥当だろう」
ベリアルが悪魔の存在を訴えた。今しがた家の玄関から飛び出した二つの人影。あれがおそらくそうであろう。ヴァネッサは唾をのみ込み、懐の固いものを握りしめる。分解して日本に持ち込み、組み立てを終えていたリボルバーが握られていた。手の熱がリボルバーに伝わり、小刻みに揺れる。
意を決し、地を蹴った。
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