第17話 向き合う二人

 「本当に一人で大丈夫? 泊まっていかない? ご飯もまだだし」

ヴァネッサは沙羅の部屋を出て、マンションの出口に立っている。愛実とベルがそれに付き添っていた。すっかり陽は落ちていた。

「はい、一人ではないので」

 そう言ってベリアルの封じられた十字架を掲げて見せる。

「それにこれ以上お世話になるわけにはいきません。それでは明日から行動を開始しましょう。今日はお世話になりました」

「うん、気を付けて」

 ヴァネッサは頭を深く下げ、振り返ることなく夜の闇の中に消えていった。

「それじゃあ、ご飯にしようか」

 愛実は傍らのベルに話しかけた。

「ああ」

 ぶっきらぼうな、それでも普段通りなベルの返事に愛実はどこかで安堵していた。




 二日目の、ベルと一緒に囲む食事も終わり、愛実は風呂から上がったベルにドライヤーをかけていた。最初は熱風を攻撃かと思ったようで警戒したが、洗ったままにしておくと臭くなると脅迫すると、すんなり従ったのであった。

 女性の、それどころか他人の髪に触れることはまれであったが、愛実はベルの髪の毛の手触りに舌を巻いた。

「おい、どうした」

 そこで初めて、愛実はベルの頭に手を置いたままぼうっとしていたことに気付いた。

「あ、ごめんね」

 愛実は櫛を取り出し、ベルの髪の毛を整えはじめた。


「ベルってさ」

「ん?」

「元は神様だったんだよね、何の神様だったのかな」

「知ってりゃ苦労しないっての」

 ベルは愛実にされるがままにしたまま、不満そうな声を上げる。


「んー、髪とか綺麗だし可愛いし、美の女神だったりするのかな?」

「お前、女に興味があるのか? 言っとくけどアタシにそんな趣味ねえからな」

「違うってば! ただ言ってみただけだよ。ああ、あとね……」

 急に声のトーンが落ち、櫛が止まった。

「何だよ?」

「うん、昨日言ってたじゃん、本当の沙羅がどうだって」

「言ってたっけか?」

「いや、やっぱりベルの言う通りだったかなっていうか、さっきの沙羅にはびっくりしたなっていうか」

「さっき? 飯のときの?」

「違う違う、もっと前。浅葱を困らせるなら許さないってヴァネッサさんを睨んだとき」

「その程度でか?」

「その程度、か。うーん、やっぱり無理させてるのかなあ、沙羅……」


 ベルは呆れたようにため息をついた。

「はぁ……そういう重い奴だから気を遣わせてるんだろ、まあでも建前あっての人間だからな、その辺は割り切れ」

「重いかなあ」

「重い重い。まあ、お前は今大変なんだし、気を遣ってるところもあるんだろ。だからお前も変に気を遣わないでいつも通りにしてろって」

「うん、そうするよ。ありがとう」

「気にするな。アタシの大事な契約者様だからな」

「やっぱバカにしてる?」

「してるしてる」

 ベルはそう言って悪戯そうな笑みを浮かべるのだった。




 誰もが寝静まった丑三つ時。沙羅と浅葱の寝室で妖しく動く影が二つ。

「浅葱……浅葱…」

 愛しく、切なく。複雑な感情の入り混じった声で沙羅は浅葱の名を呼び、身体を絡める。浅葱は沙羅を受け入れ、その髪を優しく撫でていた。

「……またですか、沙羅」

 苦笑とも喜びともとれない声色で、浅葱が応える。そして、沙羅のパジャマのボタンに手を掛けた。沙羅もまた浅葱に手を伸ばす。


 露わになった浅葱の乳房に、沙羅はまるで乳飲み子のように吸いついた。両腕は浅葱を強く抱きしめる。それはもはや愛情表現と言うより束縛に近かった。それでも浅葱は抵抗しない。代わりに浅葱も両手で沙羅を包み込んだ。

 沙羅は口を離すと、代わりに浅葱の唇に舌をねじ込み、絡め合わせる。そして手は蛇のように浅葱をまさぐる。浅葱が小さく声を上げ、身をよじる。その様子を見て、沙羅は満足そうに微笑んだ。その笑みもしばらくは続かない。浅葱が沙羅の中に入って来た。沙羅は慣れない刺激に身を屈め、浅葱の胸に顔を預ける。その体勢のまま浅葱の下着を脱がしにかかった。二人は夜通し体を重ね、時折甘い嬌声を響かせるのであった。


 この瞬間、浅葱を支配していると心から思えるこの瞬間だけ、沙羅は満たされると同時に、どうしようもない背徳感に堕ちてゆき、そのたびに昂ぶるのであった。

 一体いつからこのようなことをしているのか、沙羅も知らない。ただ、この関係は物心ついた時から続いていること、浅葱はそのたびに自分を受け入れてくれることは分かっていた。ただ、浅葱がこの関係を、恋人関係にない性行為をどう思っているか知ることはなかった。訊くタイミングを逃して今に至っている。今になっては浅葱の答えが恐ろしく、訊けたものではない。


 ああ、一か月しないで済んだのにな。また数え直しか。

 快感に打ち震えながら、沙羅は自己嫌悪にさいなまれる。しかし、彼女の思考力を、新しく、とめどなく注がれ続ける快感が奪い続ける。沙羅は思考を止め、麻薬じみた快楽の海に溺れることにした。

 二人は夜通し体を重ね合い続けた。日が昇る頃には寝具も寝間着も、彼女達二人の関係性を暗示するかのように乱れ合っていた。

 


 愛実は部屋でぐっすりと眠っている。無論、このことを知る由もない。

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