第14話 襲撃

 愛実の教室は、今日は一段と騒がしい、浮ついた雰囲気に満ちていた。例の転校生の噂である。内陸部に位置し、都会でも田舎でもない微妙な立地にある城南高校に転校生がやってくるというのは非常にまれであった。それが外国からの、ともなればこのざわつきも仕方ないだろう。

 人の噂話で腹を満たせる人間ではない、と自己評価を下していた愛実も、少なからず浮かれた気分になっていることを否定することはできなかった。沙羅の女好きが移ったのだろうか、と考え、必死に頭を振った。


 「お前ら本当分かりやすいな、ほら、席につけ」

チャイムが鳴り、時間通りに担任の教師が入って来た。ようやく騒ぎは収まる。

「皆のお待ちかね……といきたいが、その前に今日は大切な放送がある。しっかり聴いておくように」

生徒たちの表情に比べ、担任のそれは重く沈んでいた。深刻な事態を予測させる。教室のスピーカーからノイズがした後、全校放送が始まった。


「生徒の皆さん、おはようございます。校長の橘です。今日はみなさんに大切な話がありますので、よく聴いてください。最近このあたりで起きている事件はご存知だと思います。今朝、前崎高校の生徒が犠牲になりました。これを受けて、職員会議を行いました。つきましては、生徒の皆さんにお願いがあります。」

 

 教室は水を打ったように、しんと静まり返っていた。一息置いて、放送は続く。

「まず、部活動及び生徒会活動をしばらく中止。また、下校の際は複数名で行っていただきます。それから、くれぐれも危険な真似はしないように。名前は出しませんが、一名、そのようなことをした生徒がいると伺っています。警察の方々が協力して下さっていますが、いつ危険が襲い来るか、分かりません。慎重に、細心の注意を払って生活を送ってください。よろしくお願いします。以上です」


 その「一名」とは沙羅のことだろう。愛実は確信していた。ならば、なぜ自分は呼び出されなかったのだろう。沙羅が庇ったから? まさか――

「愛実、おい愛実!」

 愛実の思考は打ち切られた。鞄の中から、ベルが小さな声で愛実に呼びかけていた。愛実は鞄のほうに身を屈め、声をひそめて返す。

「何? 学校ではあまり話しかけないでって――」

「気づくの遅えんだよ! 契約者だ! 契約者が近くにいるんだよ!」

「なっ――」

咄嗟に体を起こして周りを見渡す。クラス中の怪訝な視線が彼女に刺さった。

「……すみません」

それを見て、愛実は目を伏せた。


 教師はそれを横目に見ると、プリントを配り始めた。

「今朝の放送の内容です。熟読して、親御さんにお見せするように。」


 愛実は再びベルに話しかけた。

「契約者って誰? その人がもしかしたら、例の事件の」

「そうだ、だけどこんなに人がいたら誰なのかは分からねえ」

「一人一人、調べていくしかないのかな?」

「そうなるな。向こうから来てくれればそれが一番いいんだが」

「うーん、……はっ! ごめん、少し待ってて」


 遠慮がちに肩を叩かれる感触を覚え、愛実は顔を上げた。

「はい、ごめん!」

 その先にいたクラスメイトの田淵資憐が遠慮がちに手をひっこめた。眼鏡をかけた大人しい男子生徒、彼女の認識にはそれ以上の記憶はなかった。いや、まさか彼が契約者なんてことはね。

「あの……プリント」

「ごめん、今回すね」

 机の上を見ると、前の席から回って来たプリントが愛実の所で渋滞していた。


 「北村先生、転校生の娘忘れてませんか?」

 前列の席に座る生徒に北村と呼ばれた教師が、あきれ顔になってため息をつく。

「お前に言われなくても分かっとるわ。プリントは全員に行き渡ったな?」

 北村がクラス中を見渡す。途端に教室がざわめきを取り戻した。

「お前ら、本当に放送聴いてたんだろうな……? まあこれ以上待たせても悪いしな。入ってきてくれ」


 北村が扉の外にいるらしき転校生に声をかけ、手振りで促す。

 多くの人が抱く彼女の第一印象は、「凛」であろう。容姿端麗でありながら何物も寄せ付けない冷徹さを併せ持つ、洗練された刃のような少女であった。

「ヴァネッサ・ルーサーです。ファルシオンから来ました。これから皆さんと勉強したり、日本の文化を学びたいと思います。よろしくお願いします」


 最低限の挨拶を済ませて頭を下げ、北村に促された席へと歩き出す。ふと足を止め一点を見つめた。その射抜くような視線は目を丸くした愛実を捉えていた。

「……へ?」

ヴァネッサは意味ありげに目を細め、その視線を外した。

「……彼女、そういう趣味なのかな?」

 資憐がぼそりと呟いた。




 「なんで沙羅までこっちに来たの」

昼休み、愛実と沙羅はいつものように空き教室で弁当を広げていた。しかし、今日は沙羅が愛実の教室にやってくるというハプニングを抱えたのだった。無論、お目当ては転校生であった。

「別にいいじゃない、見に来るくらい」

「動物園の人気者じゃないんだから、ただでさえクラスメートに囲まれて参ってるのに来られちゃ迷惑でしょ」

「っていうことは、元気いっぱい! って感じじゃない?」

「多分ね。みんなの質問攻めに遭ってたけど、とりあえず最低限、っていう感じで返してた」

「ふーん、愛実は何か話した?」

「クラスメートを囲むのは趣味じゃないよ。あ、でも自己紹介のときすごく見られたかも」


 沙羅は急にのけぞって椅子から立ち上がった。顔と言葉が引き攣っている。

「な、何それ。運命のヒロイン登場ですか?」

「そんなんじゃないと思うよ、第一私、女子は恋愛対象じゃない……と思う。そんなことより、プリント配られた?」

「うん、早く帰れってやつでしょ、誰かと一緒に」

「今日は一緒に帰ってもらっていいかな?」

「いつも一緒のくせに」

 沙羅は悪戯っぽい笑みを浮かべた。


 「おーい、アタシは無視か、いい根性してるなお前ら」

さぞ不機嫌そうな声が愛実の鞄の中から響く。

「虫だけに?」

「よし沙羅、帰ったら三発ほど殴ってやる」

「冗談だよベルちゃん……冗談だから」


 愛実はベルを鞄から出して、机に置く。なかなかに食欲の失せるシルエットだが、背に腹は代えられない。

「ダメグミ、例の契約者の事だが……どうやらあの部屋にいるらしい」

「あの部屋って……教室?」

「ああ。やはりあの新入りが怪しいんじゃないかと思う。お前を睨んでたんだろ?」

「睨む、っていうか、そうだね」

「ファルシオンからアイツが来たのは悪魔絡みの件と考えていいだろう。そしてお前が契約者だってアタリをつけてる。だから睨みつけていたんだろう。アイツが女好きだとしてもダメグミみたいなやつを狙うとは考えづらいからな」

「今、さらっと酷いこと言われてない……」

「ともかく、アイツには目をつけとけ。もしかしたらアタシらを始末に来たのかもしれないからな、気を付けろ」

「始末……うん、分かった」


 「愛実、と言いましたか。頼みがあるのですが。一緒に帰りましょう」

 来た……。愛実は喉元まで出かかった言葉を押し込めた。

授業が終わって、下校時刻となった。相変わらず押し寄せる人の波をかき分けて、ヴァネッサは愛実の傍までやってきた。挨拶の時と同じような、抑揚のない淡々とした声だった。無論、ヴァネッサを誘おうとしたクラスメイトは何人もいた。しかし、それを断ってのことである。クラスは朝の比ではない勢いで騒がしくなった。


 「やっぱりそういう趣味なのかな……?」

「いや、女の子が好きならむしろ……」


 そういったざわめきを無視し、ヴァネッサは愛実の手を引き、教室から出ていく。

「あの、友達と帰る約束してたんだけど、一緒でもいいかな?」

「構いません」

固い口調は崩さない。本当に自分と帰りたいのだろうか。愛実は内心そう問いかけた。


 「ねえ、向こうでは部活、っていうか勉強の他に何かしていたの?」

「趣味であれば読書を。運動ならマーシャルアーツを」

「凄い……ねえ、どんな本を読むの?」

「目を引いたのはなんでも。最近は中島敦を」

 案の定と言うべきか、ヴァネッサは沙羅の質問攻めに遭っていた。クラスでは鉄面皮を崩さなかった彼女も、ここでは若干の疲れの色をにじませている。彼女も人間らしい部分はあるのか、と愛実は一人感心した。とはいえ、これ以上は迷惑だろう、と愛実は沙羅を諫めることにした。


「沙羅、ヴァネッサさん困ってるから、このへんでね?」

「あっ、そうね、ごめん!」

「いえ、気にしないでください。そうですね、この辺でいいでしょう」

 ヴァネッサは微笑を浮かべる。今日初めて見せる笑顔であった。気のせいか、愛実はその笑顔に危険なものを感じた。そして、その予感は現実のものとなる。

「ここなら人目につかない。出てきてください、ベリアル」

 炎の柱が立ち上がり、それを引き裂いて悪魔が現れる。始末する気かもしれない。ベルの警告が頭の中で反響する。しかし今に至っては手遅れだ。それを察したか、ベルが愛実に呼びかける。

「戦うしかない、行くぞ愛実!」

「うん! 下がってて、沙羅!」


 ベルが人間の姿に戻り、粒子の姿と化す。それは愛実の体に吸収され、彼女の姿を変えた。沙羅が昨日邂逅した、大鎌を携えた戦士の姿がそこにあった。

「憑依ですか、珍しい。何をしようと、仕留めるまでのこと!」

「上等だ、返り討ちにしてやる!」

愛実のベル憑依体が叫ぶ。ベリアルの鉄拳と大鎌が炸裂した。

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