第9話 悪魔の晩餐
「はいはいそこ、甘酸っぱい青春やんないの」
見つめ合う愛実とベルゼブブの微妙な空気を沙羅が破壊した。いつもの明るくおちゃらけた様子を見せた沙羅に安心し、愛実はほっと溜息をつく。ベルゼブブはきまりが悪そうにしかめっ面で顔を背けた。
「どうしたの愛実?」
「いやあ、やっぱり沙羅はそうでなくちゃな、って」
「もしかして、バカにされてるんでごぜーますか?」
「違う違う。でも、沙羅の泣き顔なんてなかなかレアだから記念に写真でも撮っておいたほうがよかったかも」
「な、な……! なんて趣味の悪い! 変態!」
沙羅は顔を赤くして後ずさりをする。
「冗談だって。……私にコスプレさせようと人が言う?」
「良かった……汚れた愛実なんていなかったんだね……」
沙羅は勝手に安堵し、胸を撫でおろした。
「私、どんな目で見られてるんだろ……」
「……さて」
沙羅は愛実の尋問を黙殺し、洗面所の方に目をやる。
「ともかく、打ち解けたみたいだから。そういうわけだから出ておいで、浅葱」
「そういえば、浅葱さん――」
閉じこもっていた洗面所から、浅葱はそろりそろりと、まるで天敵を警戒するウサギのように這い出て来た。普段淡白な印象を受ける浅葱の珍しい仕草に、二人は頬を緩ませた。
「浅葱ったらあの娘の名前聞いたらああなっちゃって」
「気持ちは分からなくもないな、ゲームとかでよく出てくるけど本当はベル……あの娘ってかなり上位の悪魔なんでしょ? その本物に、こうやって接してる私たちがヘンなのかもね」
「沙羅……」
浅葱はまるで留守を命じられた子犬のように沙羅を見つめた。
「大丈夫だって、ほら。」
沙羅はそんな浅葱に苦笑を浮かべながら、彼女の元に駆け寄り、手を引く。浅葱は相変わらずおっかなびっくりという様子であったが、とりあえず予備の椅子も出して、四人が食卓に揃うこととなった。
その直後、一際大きな音で、誰かの胃袋が空腹を訴えた。ベルゼブブが不思議そうに三人の顔を覗き込む。愛実が真っ赤になった顔を伏せ、小さく手を挙げた。
料理どころか現代知識も怪しいベルゼブブを台所に立たせるのは危険だということで、他の三人が台所に立つことになった。退屈そうにしていたベルゼブブは、近くにあった新聞を手に取ってみたがすぐに放り投げ、結局テレビにかじりつくことになった。
「……それでさ」
ニンジンの皮を剥き、浅葱に手渡しながら、愛実が会話の口火を切った。
「何?」
「あの後、どうなったの?」
「千笑ちゃんを送ってった。引き取られた親戚のとこに。その後病院と警察に」
「……大変だったでしょ」
「一番大変だったのはあんたでしょ、愛実。あたしは責任をとっただけ」
「うん……」
普段口を開けば無駄話が飛び出す沙羅が、いつになく歯に物のつまったような返事をする。その様子を浅葱は横目で見ながらも、口を挟むことはしなかった。目の前の野菜と包丁に意識を向けることにした。リゾットの予定が、時間の掛からないかんたんなメニューということでカレーライスになったが、作業が増えるのはある意味ありがたかった。途切れ途切れの会話が続いていく。
「……ねえ、さっきの話の続きだけど」
椅子の位置、そして名を呼ぶことが憚られる以上、沙羅はベルゼブブには視線を送ることでしか彼女の注意を引くことはできない。更に当のベルゼブブは、目の前のカレーと格闘しており、沙羅など気にかけることもなかった。そう言えば、ベルゼブブは暴食を司る悪魔だっけ。そんなことを思い出しながら、沙羅は愛実に視線でヘルプサインを送る。愛実は目を合わせて小さく頷き、隣のベルゼブブの肩を遠慮がちに小突いた。
「ん? なんだよ」
ようやくカレーから顔を離したベルゼブブ。余程夢中でかき込んでいたのか、口元がべったりと汚れている。
「あなたの名前。なんて呼べばいいのかな? 本当の名前じゃなくてもいいから」
「そんなん『悪魔』でいいだろ……」
「その、嫌な名前じゃなければいいんだよね? その名前ってどういう意味なんだっけ?」
「話してもいいが、多分お前らの手が止まるぜ」
「……オッケー。やめとく。……じゃあ――『ベル』ってどう?」
「ベル……?」
「うん。女の子っぽい名前かなーって思ったけど、安直だったかな?」
「……好きにしろ」
ベルゼブブ改めベルがそっぽを向く。常にしかめっ面の彼女だが、こういう反応を見せるときは満更でもない時だと、なんとなく学び始めていた。
「……名前」
顔を向けないまま、ベルが続ける。
「名前?」
「あのうるさいチビが沙羅で、デカいくせにビビりなのが浅葱、だろ? お前だけ名前聞いてねえ」
愛実の視界の端で、沙羅の堪忍袋の緒が切れる音がした。
「あ、ああ……私ね。十和田愛実っていうの」
「トワ・ダメグミ……ダメグミだな」
愛実は慌てて手を目の前で振って否定する。
「違うよ! 変なとこで切らないで! メグミ! 沙羅も爆笑してないで訂正してよ!」
「ははっ、お前もアタシを好きに呼ぶんならアタシがお前を好きに呼ぶのも勝手だろ」
ベルが、初めて心底楽し気に笑う。笑いの種は蔑称という度し難いものではあったが、その笑顔が思ったより眩しくて、思わず顔を背けてしまった。
「はははっ、ベル、最高だよ! ダメグミって、も、もうダメ、お腹痛い……」
とりあえずコイツは明日パシらせよう。愛実は小さく決意した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます