第6話 シオカラその4



「だからさっさと船長を止めればよかったのよ!あなた誰よりも速いんでしょ!?」


アテナが病院の外で吼えた。


「うるせぇなぁ!お前こそ一番最初にトルソを見失ったろうが!」


レックスも応じるように吼えた。


ジェゾも稀に見るほど感情をあらわにしていた。


「大体、何故あんな軽はずみに暴力に走るんだクラウアディオーネ!トルソが絡むとお前はいつもそうだ!」


そういわれると船長は自分よりはるかに高い位置にある竜人の顔をにらみつけた。


「お前今おれの名前を呼んだつもりか?喧嘩を売ってるのか?それに正確な発音じゃないぞ?」

「今はお前の名前なんかどうでもいいだろうが!喧嘩を買える立場か!」

「お、おいおいジェゾ!」

「ねぇちょっとジェゾ!」


レックスとアテナが船長とジェゾの間に割ってはいる。


船長にとって真名とは軽はずみに扱われていいものではなかった。それをジェゾが「どうでもいい」といったのは、本当の本当に怒っている証拠だ。彼女にとって名を粗末に扱われるという事は、魂を弄ばれるような事なのだ。しかし今はたしかに、自分の立場を主張する場合でもない。この事態は完全に自分の落ち度だし、船員は皆、船長である自分によって加害者側に巻き込まれたのだ。道理を通すなら自分は喧嘩等買える立場にない。


「…すまなかった。」

しばらくの睨みあいの後、船長が収まりの悪い怒りを押し込むように謝罪した。


レックスとアテナは安堵のため息を吐いた、二人がもし本気で喧嘩をしたら、しかもそこが人の生活するコロニーだったら、それは洒落にならない。この年で全宇宙のお尋ね者になるつもりはない。


「あのぅ…。」


トルソが大人達の口論に気の引けた様子で話し始めた。


「勝手にはぐれてごめんなさい、僕の所為で、その、船長も、お爺さんも……僕は、その。」


するとジェゾが遮るように太い声を出した。


「トルソ、お前は子供だ。責任はない。」


それを聞くと流石にレックスがイラついた顔になった。


「おい、ジェゾ、トルソだってヌェリドキアスの船員なんだぜ?ガキだけど、ガキ扱いすんなよ。」


ジェゾはレックスを睨んだが、アテナが割って入った。


「癪だけど、こいつに同意するわ。このこにも責任ならあると思う……果たせるかどうかは別として。」


 船長もジェゾも苦い顔になった。

 トルソの事になると、この二人はなんだかんだで甘い、アテナ達はそう思ってあえて釘を刺すような言い方をした。トルソには少し厳しすぎるかもしれないが、この家業を考えれば今回のような事が後々も続くならばそれは大きな傾きになる。取り返しのつかない事に繋がるかもしれないのだ。



「でもまぁ、最悪の事態にならなくてよかったわね。あのお爺さん死ななくて。」


 これがアテナなりのフォローだった。自分自身お高くとまって嫌味な性格だとは思うが、性分だし、馬鹿に囲まれて苛立たない程達観した女性でもなかった。彼女のようなヒステリックな知性を持つ者が、ヌェリドキアスのバカ共と長く付き合っているのは彼等にゆるぎない分別があるからだ。それが崩れることは彼女にとって許せない、例え子供の可愛がりでも。


 トルソは久しぶりに見るヌェリドキアスの船員達の険悪なムードにじくじくとした痛みを感じていた。いつも喧嘩はするが、憎みはしない。それがヌェリドキアスのメンバー達だった。なのに今は、最悪の状態だ。しかも自分の所為で…。


「みんな……ごめん。でも……きいて?」

「ん?」

「あのお爺さん、病気で、死ぬんだ。もうすぐ。」


 トルソは下を向いて涙をこぼした。一同は固まった。誰も何も言葉をかけてやれなかった。こういう時一番あっけらかんとした朗らかな声で慰めて上げられるのが船長だったが、今回は事の張本人だ。歯を食いしばってたたずむだけだった。そこに病院の放送がなり、イカノシンを運んできた一同が呼ばれた番号の部屋に入室するよう促された。中では虎猫顔をした医者が座っていてイカノシンの状態を一同に説明した。


「いやぁ元々海洋人のなかでも体の柔らかい烏賊族の人ですからね。骨折というよりは筋肉が捩れた感じなんですがね。いってもソレほど重いケガじゃないみたいですよ。」


 それを聞くと一堂はほっとした顔になった。トルソ以外は。

 トルソはすがるように医者に聞いた。


「あの、おじいさん、どのくらいで治るんですか?精密な機械いじりとか、そういう事、出来ますか?」


すると猫族の医者は「それは難しいですね。」といった。


「半年もあればそこまで回復しますけど。安静にしてればね。」


 トルソは絶望した。あと数ヶ月、老人はそういっていた。とても間に合わない。自分がうろちょろした所為で、一人の男の人生が、悲惨な最期を迎えようとしている。自分がほんのちょっとの好奇心で、彼の人生をかけた戦いに、横から最悪のちゃちゃをいれた。自分自身の愚かしさに悵恨ちょうこんの思いが湧いてきた。体が震えるようだった。自分が機械を発明しようとするときと同じクセをもつ海洋人のお爺さん、自分の作った重力制御装置と同じ理論でつくられたあの装置。

 自分の人生の先輩のような人物の最後の最後を台無しにした。

 いてもたってもいられなくなり、トルソは飛び出した。

 船長はトルソを追うように向かったが、アテナが船長の腕を掴んだ。

 振り向くとアテナは船長を見つめていた。

それは子供に対する大人の顔の一つだった。

 「過保護はやめろ」と顔に書いてあった。船長はそれとは真逆の大人だが、今回ばかりは自分に非があった。

 「わかってる」と船長が力なく呟くと、アテナは船長の腕をゆっくりと離した。


「お爺さん!」


 トルソはイカノシンの病室に転がり込んだ。


「なんじゃ、ボウズか。」


 イカノシンの腕には補強用のギブスが巻かれていた。

 トルソの心にずんと鋭い痛みが走った。


「ごめんなさいっ!」


 頭を下げた。

 こんな行為になんの意味もないと感じながら。


 イカノシンは、暇つぶしに見ていたネット端末を閉じ、めがねを外した。


「何を謝っておる。」

「そ……その腕……。」


 イカノシンはふぅーっとため息をついた。


「お主の所為じゃない。」

「でも。」

「いらつくガキじゃのぉお主は! どんくさいっ! よいというとろうが!」


トルソは黙って頭を下げたままだった。

はぁ、とため息をつくとイカノシンは外を見た。


「わしがわるい。わしの所為じゃ。」

「えっ?」


トルソは意外そうな顔をした。


「考えてみれば、ありゃ子供の誘拐じゃ。親が怒るのは仕方ない。」


親が虎のような奴だとは思わなかったが、とイカノシンは付け足した。


「わしも人の迷惑を考えず、あんなものを作った。失敗したらこのコロニーがどうなるかも分らん。だからこれは平等な結果じゃ。」

「そんな……だってあれは、成功すれば、このコロニーを直せる装置で、みんなを助けられる装置で……。」

「わしゃ別に誰かを救いたくてあの機械を作ったわけじゃない。」


 イカノシンは疲れた顔で答えた。しかしトルソにはその顔が達観した仏のように見えた。


「いっただろう? あれはわしの戦いじゃった。」

「う、うん。」


 トルソは怯みながら答えた。


 そこにドアの開く音がして、トルソが振り向くと船長が立っていた。

 イカノシンはその船長を見た。緑の眼が燃えるように輝いている。イカノシンは「ぶっころす」顔を見たときから思っていた事を改めて感じていた。この女は本物のソラの旅人だ。つまり、獣なのだ。「ぶっころす」には境界線がある。そこらのチンピラではそれが見えない。彼女はそれが見えるし、使えるし、跨(また)げる人間なのだろう。死の淵にあるイカノシンだからこそ、船長が纏う生殺の覇気が深く理解できた。しかしその絶対的な強者は、自分に頭を下げてきた。


「トルソ……いえ、ウチのクルーから事情は聞きました。私のしたことは、あまりにも割が合いません。本当に申し訳ない事をしました。」


そういうと、トルソにも同じく深々と頭を下げさせた。


「頭を上げてください船長さん。」


イカノシンは慎重に言った。


「元々、ワシの作った装置は数が足りんかったのです。一人でせっせとこれから調整と量産を始めても、半年ではとても間に合わなかったでしょう。恥ずかしながら、わしゃ怒っとったんですよ。この世の中か、よくわかりませんが、何か上手くいかない色々にね。いつ切れるか分らない糸が今日切れただけですわい。」


船長は頭を下げたままだった。トルソがチラとみると、船長は苦悶の表情だったが目はギラギラと輝いていた。


「この半年間は、久々に活き活きとしていました。楽しかった。白状すればアンタに対して負の感情はある。ですがそれは全て誤魔化しです。戦って死んだと、格好だけは付けたくなっていたんですのう。考えてみたら、家族や工場を奪われたあの日から数十年もくすぶっていたくせに自分の番になってどれちょっと、なんて、虫のいい話ですわい。」


 トルソは隣にいる船長から熱を感じていた。超能力ではなく、人の心から発せられる熱だ。こういう時の船長は「ぶっころす」時の船長だった。トルソはどうしてこの事態で、船長がこんな熱を帯びているのかわからなかった。まさか文字通りおじいさんを「ぶっころす」つもりじゃないだろうか?脈絡のない事を散々してきた船長だが、どこか一本筋が通っていると思っていた。その信頼はこれからも変わらない。だがトルソは子供だった。船長の熱の意味が分らず、少し怖くなっていた。


「キャ……キャップ?」


 トルソは船長が何をするのか不安でたまらなかった。


「わしは貴方の大事なクルーに乱暴を働いた。申し訳ない。」


 すっかり毒気をぬかれたようなイカノシンの声。トルソはじくじくとした痛みを感じた。船長は何をするつもりなんだろう、何かをもう決めてしまった顔だ。お願いだからおじいさんをいじめないで、僕なら大丈夫だから。トルソの中で焦燥が爆発しそうになっていた。その時。


「ヌェリドキアスと私のクルーを使って下さいっ!」


 船長は吼えるように言った。空気が震えるような声にトルソは不意をつかれて「えっ?」と声を出して船長を見た。船長は床を見つめたままだ。だが、その眼にやどる熱は強敵を前にするそれにも匹敵するものだった。「ぶっころす。」という熱だ。


「勿論貴方さえよければ、ですが。」


イカノシンは呆気にとられた顔になった。


「お主……。」

「ヌェリドキアスの設備と、装置にくわしいエンジニアとして私のトルソをお貸しします。コイツにも責任の一端はあります、クルーとして、それを果たすチャンスを下さい!」


 船長は再び頭を下げた。

 イカノシンはしばらく黙ってその様子を見つめた。


「わしの装置は重力変動の近くに設置しなければならんのだぞ?」


 船長は沈黙した。


「保障はできん代物だぞ? 成功しなかったら……今思えば正気の沙汰ではなかったのじゃ。それを……。」

「貴方の行った事は矜持です!」


船長は言った。


「私は、貴方をよく知らぬままにその矜持を踏みにじった…許されない事です。せめて今私に出来る償いは、貴方の矜持に、私の矜持で答える事です。」


 イカノシンは真っ直ぐと船長の目を見た。それは船乗りの目だった。宇宙怪獣に襲われる前、何千何万という船が行き来したこの港にも、数えるほどしかいなかった本物の船乗りの瞳。喰らいついたら離さない、漕ぎ出したら漕ぎ尽くす、巻き込んだら巻き込み潰す。損や得には敏感だが、だからこそそれを捨てたときは何よりも恐ろしい、本物のソラの生き物だ。随分久しくこの種の喋る獣にはあっていなかった。イカノシンは察知した。自分の狂気にも似た邁進の日々は何処から支えられてきたのか、港の工場で嘗て見たこのような生き様、このような生き物がいる事実が、イカノシンを支える杖となっていた事を。


 イカノシンはギラついた眼に問いかけた。

 

「それはつまり、ここでその小僧が潰れても良いという事じゃな?」


 船長は答えなかった。

 かわりに別の方に問いかけた。

 

「トルソ。」


 トルソはびくっとして船長とイカノシンの両方を見た。

 船長が自分が潰れても良いと言わなかったのにはホっとしたが、その代わり船長は自分の身を自分に任せきった。

 自分で決めろと言われているのだ。

 船長が自分を何か抜き身の、真剣な掛け合いに始めて撒き込んだ。

 ドキドキした。

 興奮と恐怖があり、同時に、不思議な安心感もあった。

 一人前に成ったようなむず痒さと、船長の燃えるような眼に対する畏敬の念が体の表面にぞわぞわと走った。


 「おっ、おじいさんの腕になりますっ!」

 

 トルソは精一杯の大声で、天に誓うかのように叫んだ。

 それを聞くとイカノシンはカカカと笑った。


「存分になってくれ! 何せお前の船長にぶちおられた腕じゃからのぉ!」


 その後、数ヶ月にわたりヌェリドキアスは一つのコロニーに滞在した。

 この船の最長停泊記録に迫る日数だった。

 惑星シオカラの重力変動は二人の努力により矯正され、重力変動のおさまった街には少しずつ活気が戻った。

 しかしそれを成し遂げたヌェリドキアスと、老人は、二度とその景色には参加しなかった。

 船はまたソラに漕ぎ出し、老人もまた、別のソラへと旅立ったのだ。

 その二つの旅路に感謝や見送りはいらなかった。

 そして二度とその旅路が混ざり合うこともない。

 彼らは“いらない”と言い切れるよう支度をしたのだから。

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