02:シオカラ――――――――――――――――――
第3話 シオカラその1
■コロニー「シオカラ」
イカノシンは憮然とした態度で医者の説明を聞いていた。
伸びた髭のような触手を弄びながら聞いたその話はぼんやりとした薄い壁越しに聞こえる音のように聞こえた。
「大丈夫ですか?」
医者が不安げにこちらをのぞいてきた。
イカノシンはけろりとした顔で「うむ。」と応えるとそそくさと外に出た。
病院の外は緑に囲まれた庭園で、遠くには数十年前の【大移動】によって宇宙怪獣に崩壊させられた重力場がまだ残っていた。山が天空で逆さに聳えているのもその爪あとだ。
自分の余命が後半年もないと聞いたイカノシンだが、実感は湧かなかった。海洋人の中でも身体の痛覚神経が少ない種族だったからだ。この時、彼が考えたのはこのコロニーの事だった。家族はとうに他界し、残された家もイカノシンが死んだ後は局に差し押さえされるのだろう
結局何も残らなかったな、とイカノシンは思った。自分の人生70年は一体何のためにあったんだろうか、このコロニーで生まれ、このコロニーで死ぬ。それはいい。だが生まれてから死ぬまでに何も残せない事が虚しかった。
勝手な話だが、あの大移動の前には、娘がいたし、孫もいた、口うるさく女らしさのかけらもない「おばちゃん」のような娘だったし、孫も爺の欲目で見ても可愛く見えるのは偶な事だった。どうしようもなく浅慮で元気いっぱいの昔の自分にそっくりな悪ガキだったのだから。だが、あの数十年前には、残せるものがあったのだ。彼には家族があった。今一人孤独で死を迎える老人ではなかった。
重力変動が起こって以来、雲の流れが速かった。急に時間の流れまで速くなった気がする。「早く死ね」と世界が時計を進めているように思えた。ただでくたばるのは癪だった。偏屈で頑固だったイカノシンの数少ない親友達、自分の工場、すべてあの大移動で失った。残せるものは何もない。ぽっきり折れていたイカノシンの意欲。
だが、不思議な事に余命を宣告された事で急にふつふつと活力が湧いてきた。「このままくたばってたまるか」イカノシンは呟いた。
「わしに半年残した事を後悔させてやる」
誰に怒っているのかもわからないが、この怒りは活力なのだ。こんなイカのじいさんが何かを成し遂げたところで誰が悔しがるわけでもない。ただイカノシンは敵が欲しくなったのだ。昔から負けず嫌いだった。最後の競争相手に自分の身の回りを包むこのコロニーを選んだ。誰だって大きい大きい敵を打ち倒してみたくなるものなのだ。彼は曲がった腰をそのままに草原に座っていた。風や重力を感じ、草の奏でる音を聞いた。まだ自分は生きている。静かな景色の中でふつふつと湧く闘志は命を燃やして灯る蝋燭の明かりだった。今イカノシンは、最後の火をつけた。
数ヵ月後、シオカラに青く輝く三対の翼を持つ宇宙船が降り立った。宇宙高速船ヌェリドキアスは滞空モードに移行し下船の手続きと準備を行っていた。
「お前等やる事ぁ分ってるな?」
広いコクピットに響く荒っぽい女性の声、船長のいつもの下船前の呼びかけである。
「わーってる。シオカラの管理局が依頼した重力反応の調査だろ?」
だるそうに応えた灰色の肌の半爬虫類の青年はレックスだ。
「そん通り! ここは随分前に宇宙怪獣にやられて以来、重力場がおかしい。通信障害も今だ直らんし、ソラの気流もしっちゃかめっちゃかだ。昔はそれなりに栄えた街だが何が起こるかわからん。十分気をつけるように」
「では総員! 下船準備!」
「はぁーい。」
気の抜けた船員達の返事が返ってきた。
船長はしらけた顔になり下船操作を行った。いつもの事だ、気合をいれてやろうとしても、切羽詰った状況になるまでこいつらは活き活きとしない。死んだ魚のように。普段のヌェリドキアスには活気のかの字もない、竜人ジェゾは一人四次元詰め将棋に格闘し、レックスは宇宙バイクかグラビアの雑誌を読み漁り、アテナは毛づくろいや爪の手入れで忙しい。まるで隠居したじじいの庭と学生共のたむろするファミレスがセットになったような空間がヌェリドキアスのコクピットだ。ふざけろ。今畜生め。オレの城にはなんでこんな阿呆どもしかおらんのだ。責任者よ! 出て来い! ……自分だった。
下船モードに移行したヌェリドキアスは小気味良いフロート音を立ててコロニーの重力と水平調整に入った。生物の肉体がしなるような音が船内に響く、船長はこの音が好きだった。いい音だ、惚れ惚れするような多元恒星エンジンの安定感。二対の翼が収納される駆動音はまるで楽器のようだ。
「いい音だねぇ~キャプテン」
クラゲに似た姿の最年少のエンジニア、トルソが横で呟いた。この船の性能や状況の機微に反応してくれるのはこの子供だけだ。
「お前もいい子だでぇ」
しみじみとした声を出した船長は、ばあさんのような顔になってトルソの頭を撫でた。
その数秒後、レックスが音を立てて屁をこき、反対側でアテナの舌打ちが聞こえた。船長の癒しの時間は一瞬で消し飛んだ。
ドックに入ると、
「はぇ~、随分まぁ立派な船ですなぁ~」
港の職員がいった。裸猿人で、このコロニー独特のイントネーションなのか少しなまっている。船長は船を褒められた事ですっかり笑顔になった。「わかるぅ~?」等といって職員になれなれしく近づいていった。職員は長身の美女がいきなりずかずかとやってきたので少し面食らった顔になったが、すぐに笑顔になって船長と話し始めた。
「いやぁ、昔はここもワープ中継地点として随分わんさか船が来たんですぁ、ウンチュウカイジュウにやられるまではそりゃもういい処だったんですが……またこのドックにこんなに立派な船を迎えられるとはねぇ……」
それを聞くと船長は自分の船を褒められた事より、この港の盛衰を見届けるつもりなのであろう職員の寂寞とした思いに打たれたようだった。
「そうだったのか……さぞ辛いだろうに。港の人間としちゃ空っぽのドック見るほど辛い事はねぇからな……」
しみじみと船長が応えると職員は「ああ、その通りです…。」といってドックの手すりに体重をかけた。
「いつか重力変動が直って、またこの土地に船が、活気が戻ってくるんじゃないかと夢見ているんですがよぉ。年々給料も払えなくなってポツリポツリと人が止めていくのを見て過ごすのが辛くて辛くて。でもこのままドックが錆び付いちまったら、その夢までさび付いちまうようでねぇ……」
「わかるよ……栄えていた街から一つ一つ船が消えていく寂しさっつったらナァ……」
船長はズビっと鼻をすすって職員の肩をがっつりと掴んだ。おっさん二人のおいおいとした泣き声がドックに響きはじめる。
はたから見ていた一堂の中でアテナが言った。
「ああなると船長、長いから」
ジェゾが「ウム」というと一同は港の受付に歩き始めた。責任者を放置して手続きを薦める算段である。
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