第2話 ジェゾ その2
喧騒から離れた緑葉庭園の木の陰に隠れると女は整わぬ息を吐きながら怒鳴った。
「あんた誰をぶちのめしたのかわかってんの!?」
ジェゾは別段困った様子もなく答えた。
「人に無礼で女性を張り倒すような人間だ」
「そういう事じゃねぇよ!」
女は髪をかき上げるとさも迷惑そうにジェゾを見た。
「観光地ってのはね、人の流れる場所なんだ、お得意様はみんな品のいい人間ばっかじゃないだ。そういうのを捌く専門の人間だっている、あんたがぶちのめしたのはそういう人間なんだよ!? その図体でさっきの身のこなしだから腕に覚えはあるようだけどね。別段珍しくもないんだよ、あんたみたいのは。末路はみんなおなじだ。あいつらの用心棒はね、超能力者なんだよ! 家一軒だって吹っ飛ばせるとびきりの奴さ、そこらのちょっと腕に覚えのあるバカじゃ消し飛ばされるのが落ちなんだよ!」
「そうなのか」
「ハァ!?」
女は超能力者と聞いても微動だにしないジェゾに素っ頓狂な声を上げた。
「そ、そうだよ! 船があるならさっさと逃げな!」
「ふむ」
ジェゾは自分の大きなアゴに手を当てた。
女は良く見るとまだ少女の面影を残していた。
化粧や服の所為でわかりにくかったが半爬虫類、半哺乳類の種族の彼女はまだ肌につやはあったし、耳の体毛もふわりと滑らかだった。
ふとジェゾは自分の娘はこれくらいの時どんな風だったろうと考えた、また夢の余韻だ。
この夢を振り切ろうとして痛めつけたあのオークの事を申し訳なく思い始めた。
効果がないのに人を痛めつけるなんて、と。
ここが自分の不思議な所だと気付けないジェゾだった。
「キミは私を助けて今後に不都合はないのか?」
女は髪を逆立てんばかりに激怒した。
「滅茶苦茶あるよ! なんだって私があいつと一緒にいる時に限って……畜生!」
「キミは何故あんな男と一緒だったんだ、つき合わされているように見えたが」
女は何かが喉に詰まったような嫌な顔をした。
「そんなのあんたに関係ないだろ!」
「関係ならある、私には君の今後に多少の責任がありそうに思えるのだが」
「……多少じゃねぇよ」
女は小声でそういうと、舌打した。
「私は自分で自分を買うつもりだったんだ。自由をね」
ジェゾはそれを聞くともう話が見えてきた。
たしかに多少の迷惑では済まなそうだった。
「でも最初の約束と値段が違った。そういう事だな?」
「そうだよ! だから話がこじれたんだ……なのにあんたの所為でもっとこじれちまったよ!」
「キミは不法移民だな」
ジェゾはどうでもいい事のように呟く。
すると女はいまいましい者に、いっそ敵意の笑みを浮かべて吠えた。
「ああ、そうだよ!料金は“後払い”さ。こんな素敵な海と空だもの、色々高くついたんだよ!」
「甘い考えだったようだ」
女はついに堪忍袋の緒が切れた。
ジェゾの脛に容赦のない本気のけりをかましたが、ジェゾは微動だにしなかった。
逆に女の方が自分の蹴りの衝撃に耐えられず、すっころんだ。
「クソ野朗! 賢しげな顔しやがって! えらそうに!」
自分は多少、警察時代とは変わったと思っていたが、あらゆる険悪な仲になった人間にいつも言われる捨て台詞をまた再び聞いてしまった。ジェゾはまたかと苦笑した。
「何笑ってんだ!!」
「いや……この年になると、色々と、フフ、いや。年は違うか」
「ハァッ!?」
「うん、兎も角、情けない気分で、何か変わった事がしたくなったんだ」
「ハァ!?」
「キミを助けてみたくなった」
「……あんた頭おかしいんじゃないか?」
女はまるでいかれたオートロボットとでも話しているかのような気分になった。
しばらくして、自分なりにこれしかないという答えが見えたのか、次第にむかむかとした顔になって唸るように聞いてきた。
「……アンタ、私に“おったって”んのか?」
ジェゾは苦笑して手を振った、異性に失礼かもしれないが。
だが娘と重ねたような相手に欲情する気はないし、わけにもいかない。
「いや、ただ単純に、なんだろうか……私は、ある場所で、自分に“一区切り”をつけたつもりだったんだ。それまでの自分がいやになってしまったからね。でも、その一区切りが怪しくなってきてしまってね……確かめてみたくなったんだ」
女の顔から怒りが消え、別の感情が表情を支配しはじめていた。
「あんたヤクでもやってんのか?」
女は年相応の少女の顔になって、いかついオークの前でも崩さなかった威嚇のための女の顔を取りこぼしてしまった。
目の前にいる竜人はそんなものを鼻息で吹き飛ばしてしまう程の“本物”だった。
眩しい空と海はいつまでもヌェリドキアスを照らしていた。
船長は自分の船を惚れ惚れと見つめていた。
本当にいい船だ、毎日毎日、新築の我が家を見るような気分だ。
すると手首のデバイスから通信が入ってきた。
見るとジェゾからだった。
「よぉ、ジェゾ! 買い物は済んだか? 済んだならお前もたまには遊べよ、お前が海パンで泳いでる姿はなかなか面白そうだしな」
いつもの冗談だ、遠慮しておく、という返事が耳に届く前に聞こえた気がする。
「いや、遠慮しておく」
耳にも届いてきた。
フンと鼻を鳴らすと船長は所要をすませた竜人のクルーに自由行動を許可しようとした。
そこにジェゾが声をかぶせてきた。
「キャプテン……謝りたい事があるんだが」
「……なんだ? 謝って欲しい事じゃなくて? ……珍しいな」
「さっき売られた喧嘩を買って、相手を叩きのめした。だが、どうやらそいつがこの港の裏っ側を仕切ってる関係者だったらしくてな、超能力者もいるらしい、船に迷惑をかけるかもしれん、すまない」
しばらくの間。
船長はぽかんとした。
ジェゾの横にいた少女はその長い沈黙を別の意味で捉えた。
「ほら、だから言ったろ? 余計なことするから、あんたの船長びびっちまって」
そう女が言うと、デバイスから船長の笑い声が聞こえてきた。
「ブヒャヒャヒャハ! お前が喧嘩を買った? 喧嘩を!? 相手は悪い奴か?」
「ああ。多分それなりに」
「それなり? 嘘だろ? 最悪最低のクソ野朗がいたんじゃないのか?」
「いや、いつもの、なんだ、その、それなりだ」
「それなりなのにぶちのめしたのか。お前、太陽にやられちまったんじゃねぇか?」
「……」
微妙な間があった。
「……どうした?」
「そうかもしれん」
「あ?」
「太陽にやられた」
ジェゾの隣にいる少女はもうそのまま少女の顔だった。
解けない問題を解けといわれて首をかしげる女学生のような顔だ。
一方でヌェリドキアスの船長は笑顔だった。完全に面白がっている。
そして「そうか、じゃあまた後でな」といって通信をきった。
それだけで良い。
何もかも勝手にしろという事だ。
ジェゾがやる事なら船や仲間に危害が及ぶような事にはならない。
なってもこの船の船員には大したことではない。
よしんば大したことだとしても、旅に大事はつき物だ。
備えていない者はいない。
備えても超えられない荒波なら、それは運命というものだ。
船長はサングラスをかけると膝を交差させてどっかとベンチに座った。
ここからは浜全体が見渡せた。
この暑い中黒い革コートで人目に付くこの女性は、太陽が竜人を狂わせたわけではない事を知っている。
彼は元から狂っているのだ。
ただそれが表出した際に、この陽気な町の整然とした雰囲気は気が狂う言い訳として丁度良かった。
ジェゾのような真面目ぶった間抜けがためこむ熱は、真面目ゆえに溜め込まれ、間抜けゆえに噴火する。
どこかで定期的に噴出するものならば場所だけ選べば良い。
迷惑を蒙るのが悪人ならば、尚良しだ。
船長は安めの三次元情報データ誌を20ページほど買うと、暇つぶしに読み始めた。
太陽が沈む頃合になってもトルソは泳ぎ疲れることを知らない、いつまでもはしゃいで遊び、浜辺の生物に感動している。
アテナは入念に毛づくろいをし、衣服のデータ雑誌を観覧していた。
そうして高々と昇る太陽が海に沈み始めるまで、船長は穏やかに過ごしていた。
その頃、10kmも離れていない夜の繁華街で一人の竜人がにぎやかな高級クラブのドアを蹴破り、ビップルームまでのしのしと歩いていた。
守衛の男たちが竜人にありったけのビームライフルを打ち込むが、竜人はびくともしなかった。
浴びているビームがダンスホールのビームライトなのか本物のレーザービームなのか、火花が出なければ違いが分らないほどだ。
すると奥の部屋から男が現れた。
男はなにも持たず、独特のオーラを放っていた。
その男の周りだけ空間がどす黒く歪み、まわりの守衛は安堵の吐息を漏らした。
「これでなんとかなる」
◆
「世は事もなしかぁ」
船長は沈む夕陽を見ながら微笑んだ。
遠くから爆音が響き、天に向かって花開くように炎が散っていた。
「綺麗な花火ねぇ……今日あんな催しあったかしら?」
レックスの隣で半裸の女性が呟いた。
「キミの方が綺麗だよ」とレックスが言うと、女は「うわぁ、アリガチィ」といって唇を重ねた。
悪党達は花火となって街の夜空を彩った。
粉みじんになった高級クラブの天井からは空の花火が良く見えた。
クラブの客達はきゃあきゃあ叫びながら散り散りになり、こぼれた酒やら麻薬やらがガラス片と一緒に散乱した。
事情を知らない観光客達は催し物と勘違いしていつまでも空に輝く火花を観賞していた。
ジェゾの口にはまだ吐き出した炎の塵が残っており、軽く咳き込んだ。少女はもう何がなにやらという顔をしてジェゾの隣で腰を抜かしている。
「あんた……あんた一体何者なの?」
ジェゾは吹き零れた火の粉を手で払うと、少女のほうを見た。
「キミにはどう見えるね?」
少女は恐怖に打ちひしがれていた。
ジェゾは少女の瞳を見て、納得した。
そしてそのままその場を去った。
少女には一言も声をかけなかった。
もう他人の手助けとしては十分すぎるほどの事をしたと思う。
少女の瞳は自分の正体を映していた。余計な事をした価値はあった、御礼よりも有難いものも頂いた。
鬱屈の答えの片鱗が彼女の瞳に映っていた。
ジェゾが浜辺に戻ると、ついに泳ぎ着かれたトルソが船長の横で眠っていた。
船長はそんなトルソにコートをかけてやり、タオルで枕をつくっていた。
こういう時、この女は美しいな、とジェゾは思った。
あの少女の若さからくるものでもなく、レックスが連れた海洋人の女のような振りまくための女らしさでもない。
これは母性から来る美しさであり、幾度となく火中を潜り抜けた錬鉄のような者のまなざしでもある。
おなじ錬鉄でもひたすらに男である自分には得がたい力強さだった。
彼女は無類の美女だ、癪だが認めざるを得ない。
「通信で女の声が聞こえたが、その子はどうした?」
ジェゾの顔も見ず、トルソに優しいまなざしを向けながら船長は言った。
「生きている」
船長は鼻で笑った。
「当たり前だ阿呆」
向き直った船長の眼差しはまっすぐとしたものだった。
トルソに向けた慈愛のまなざしと同じものを向けられたジェゾは、侮るなとむっとしたが、同時に結局こういう時の彼女には逆らえない事も知っている。
「助けたのか?」
船長は尋ねた。
「助けたの意味によるな」
ジェゾは言った。
すると船長は笑顔で不良のようにぐいと背中を曲げ、睨め付けるようにジェゾを見上げた。
「その子、最後にどんな顔をしてお前を見た?」
核心をつく船長の言葉に息が詰まった。
それをみて船長の笑顔は更に深い熱を帯び始めた。
彼女には到底似つかわしくないが、忌々しい事にそれは知恵在るものの笑みだった。
「その子の顔が答えだぜジェゾ……やっと鏡を直視したな」
つまり、お前はそういう奴なんだよ、へっへーん。
……忌々しい我等が船長。
ふて腐れたジェゾはフン、と鼻息を鳴らした。するとしまらない事に盛大に火の粉が出た。
船長はついに大笑いした。
とっさに手で鼻を覆ったがもう後の祭りだ。
鼻息等ならすものではなかった。
彼女の笑い声が納まるまで、ジェゾは海を見た。
気恥ずかしさと悔しさで船長の笑顔には耐えられなかった。
すっかり太陽は沈み、夜空は黒く、宇宙と同じ色をしていた。
あの黒い鎌が吸い込まれていったソラの色だ。
妻に妻である事を求めたか?
娘に娘である事を求めたか?
夫であるように夫として勤めたか?
父であるように父として接したか?
勿論すべてイエスだ。
問いかける端から答えになっている。
やはりどう考えても自分は狂っているらしかった。
彼が求めているものは求められる限り常に求められ続けなければならず、それゆえに満たされないものだった。
今思えばこの世界にそのようなものは存在しないのは明白だったが、在るように振舞い続ける自分に安堵を覚えていた。
「停滞する狂人め」
今はただ妻と娘に心から謝りたい。
感謝なら毎日している。
壊れたものを取り戻そうとしてうっかり自分の本当の居場所を知ってしまったのだ。
明日またこのソラに漕ぎ出す船は、狂人と阿呆と馬鹿共の巣窟で、自分にとって世界一の宇宙船だ。
自分の周りを眺めれば言い訳も出来まい、類は友を呼ぶものだ。
「貴方は私を愛しているの?」
「ああ、愛しているとも……この感情に、その名前をつけていいのなら」
心の中で、妻の幻影とともに去ってしまった太陽に、竜人は呟いた。
夜空はただ静かで、深く深く、何もかもを吸い込んでいった。
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