01:ジェゾ――――――――――――――――――
第1話 ジェゾ その1
「私の事を今も愛しているの?」
女がそう尋ねた。
日光がカーテンから漏れ女の輪郭をなぞる。
美しい竜人だった。
確かにその人を掛け替えのない人だと思っていた。
だがジェゾは答えに詰まった。
愛しているとは言わなかった。
「お父さんは、私を愛してるの?」
娘がそう尋ねた。
だがやはりジェゾは、何も答えなかった。
ジェゾと彼の家族の住む場所は、美しい森と中世風の建造物で囲まれた小規模な球体コロニーだった。
彼はその日、いつものように短い休日を終え、宇宙警察としての任務に戻った。
家族の住むコロニーが砕けちった映像は勤務先の宇宙船で見た。
砕けたコロニーの隙間から、黒い鎌を持つ宇宙怪獣が見えた。美しい漆黒と紫の甲殻が宇宙の闇に溶けていくのを、ただ呆然と眺めていた。
「あなたは私達を愛していたの?」
ガコン、と音が鳴ると同時に自然物が軋むような音がした。
ヌェリドキアスがワープ空間から通常空間に移行したのだろう。ベットが自分の体重で軽く沈み、ジェゾは重力が変化したことを感じた。
「これよりヌェリドキアスは通常航行に戻る!各自停泊準備を整える事!次の停泊地は海洋コロニー、泳ぎたい奴は水着。ナンパしたい奴は避妊具。日焼けしたい奴はクリーム、砂は船に戻る前にちゃんと払え、以上!」
仰け反るほど快活な女性の声が聞こえる。
船長からのアナウンスだ。
ジェゾは停泊準備を整えた、とはいっても寝巻きを洗濯用ダクトに突っ込みジャケットを着ただけだが。
宇宙警察を止めて怪獣狩りだなんて昔の自分が知ったらなんと言うだろうか。
賞金稼ぎのようなグレーゾーンで生きる者たちは生真面目な宇宙警察が最も煙たがる人種である。そして嘗ての自分は生真面目な宇宙警察だった。
久しぶりに妻と娘の夢をみた。
自分の頬を触る手の感触を思い出した。
竜人のなかでも強面だったジェゾの角や鱗を、悪戯っぽくなでてくれた妻の手の感触。
無邪気だった頃の娘、自分に似なくてよかったという安堵。
夢の余韻はまとわり憑いた蜘蛛の糸のように目覚めたあとも憑いてきた。
生物災害扱いの宇宙怪獣に警察の出る幕はなかった、犯罪ではないのだから。
公共の安全を守る事がひいては家族を守る事だと信じていたジェゾだったが、その家族は公共の保護からあぶれた場所で粉々に消えてしまった。
あの日から自分が支えにしてきた誇りや誠実さの基軸は崩壊した。
あの禍々しい黒い鎌を追って幾つの宙域を超えてきただろう。
高速艦ヌェリドキアスは怪獣討伐を主目的とはしていないが、多くの宇宙船を見てきたジェゾの経験からいっても他の追随を許さない戦闘力を誇っている。
怪獣狩りを営むようになったジェゾがヌェリドキアス船長と出会えたのは幸運だった。
タラップを降りるとぬけるような青空と目の冴える青色の海が広がっていた。
まだ子供のトルソは大はしゃぎで波と戯れている。
レックスは早速海洋人の美女を口説いている。
アテナは見っとも無く舌を垂らしながら砂浜に寝そべる趣味はないといって留守をするといっていた。
レックスが海洋人の腰に手を回したのをみてジェゾは憮然とした。
「レックス、女遊びは歓心せんな」
ついつい小言をいってしまうのが彼のクセである。
「硬い事いうなよジェゾ、久々の青空の下だぜ?“いろんなトコ”を這いずってここまできたのが生物ってもんじゃあないか」
そういうとレックスはジェゾの首に腕をかけた。
「そんな息が詰まるような事ばっかり言って、旦那は仏にでもなりたいのか? 仏になれるのは仏だけだぜ?」
レックスはジェゾの肩をポンポンと叩き、若い女性と親しげに浜を出て行った。
これからあの女性のいろんなトコとやらを這いずるつもりなのだろう、義理堅く気のいい青年だが、どこまでいっても健全な青年然とした所業で様々なトラブルを起こしてきたのがレックスである。
停泊中に厄介ごとに首をつっこまなければいいのだが。
船長はヌェリドキアスの停泊する港で海を眺めていた。
遠めからトルソを見守りつつ久々の地面の重力を満喫しているようだった。
「子守なら私がやろうか?」
ジェゾが言うと船長は「うんにゃ、いい」とこちらも見ずに手をひらひらさせた。
「かわりに生活用品や弾薬の補充、頼んでもいいか?」と船長はいった。
ヌェリドキアスの生活に必要なもろもろの品や燃料、機材等は当番制で買い足しをしている。
前回はレックスが当番だったので欠品が多く、命よりヌェリドキアスを大事にする船長と綺麗好きのアテナはカンカンだった。
掃除用具を多めに買い足さなければならない。
ジェゾは船長の頼みを承諾すると、まぶしい海から遠ざかるように街に出た。
どうもこの景色がよくなかった。
白く美しい曲線の町並み、海の青さ、ぬけるような空、かつて家族と暮らしたコロニーを彷彿させた。
妻と娘の思い出が次々と蘇ってくる。
息が詰まるような事とレックスは言った。
妻も同じように言っていた。
「妻に妻である事ばかり求めるのね」
最後に喧嘩したのは何故だったか、娘の教育、自分の仕事の都合、なんだっただろう?
何かを計画していた気がするが、それは家族のための計画だったのか、計画のための計画だったのか。
「妻に妻である事ばかり求めるのね」
「仏になれるのは仏だけだぜ?」
どうもよくなかった。
今日は夢から覚めても嘘のような青空の下だ。
この突き抜けるような陽気さが自分の孤独をより強いものにさせているのは明白だった。
兎も角いまはこの青と白の世界から遠ざかりたい、物品の補充を請け負ったのは良かったかもしれない。
小さな商業区画だったが港町という事もあって、宇宙船の長期運航に必要な雑貨は充実していた。
フロート式の機械がだす発光や次元燃料の匂い、精密機械を直射日光から守るために設けられた日光遮断カバーによって外の眩しさから隔絶された世界がそこにあった。
今の自分の気分にはぴったりだな、とジェゾは思った。
朝だというのにいかにも風俗関係といった女性達がぞろぞろと食事どころの店から出てきた。
彼女達は今が仕事あがりで、朝こそ晩飯時なのだろう。
そういえば今日は朝食も各自自由だ、まだジェゾは何も食べていない。
外の陽気な町並みに似つかわしくない鉄の寂れた看板の和風ラーメンBERがあったので暖簾を潜る。
背の高い竜人の中でも更に背の高いジェゾはあらゆる建造物に角を引っ掛けてしまう。
特に他所ではぶら下げられた装飾品には注意を払わねば成らない。
店に入ると先程の風俗嬢が一人店の端で宇宙クラゲラーメンを食べていた。
顔に青あざがあり、気の強そうなキリリとした顔だったが、ふてくされているようにも見えた。その隣にはいかにもその筋に見えるオークの中年が女性の隣で何かがなっていた。
宇宙警察時代にもよく見たタイプの二人だ、夜の世界では誰だって攻撃的になる。
弱い自分を守るための、強い自分が必要だからだ。
「醤油ラーメン」
注文をして店を眺めると、あいてる席がそのオークの隣しかなかった。
失礼と声をかけてから横に座る。
困った事にジェゾの図体では少々席の間隔が狭かった、肘の甲殻が隣に当たらないよう縮こまれるだけ縮こまったが、それでも隣からは舌打が聞こえた。
失敗したな、と思ったがもう席に座って注文までとってしまった。
外の青空から逃げてきたが、そう都合よく住み良い場所はないようだ。
注文した醤油ラーメンもあっさりしたものかと思ったらギトギトのこってり醤油ラーメンだった。
ジェゾの趣味ではない。
完全に失敗だったな。
そう思いながらすすってみると、存外悪くなかった。
次第にその味に救われて隣のガラの悪いオークも気にならなくなってきた。
元々仕事柄こういう輩になれていることも手伝った。
ギトギトコッテリとしているがスッとした風味が後から加わる複雑な味わいで、なかなかクセになる。
お品書きを見るとこれは惑星固有の海草によるものらしい。
「オイ」
ドスの聞いた声が隣から聞こえた。
「テメェさっきから肘が当たってんだよ。喧嘩売ってんのか!?」
確かに2~3回当たってしまったかもしれないがこれがジェゾにとっての精一杯だった。
「すまない」
ジェゾは詫びたがオークの気は治まらなかった。
彼の図体も大きい方だったがジェゾの長身には到底及ばなかった。
ジェゾはどうしても相手をみると見下ろす形になってしまう、そこも気に入らなかったのかもしれない、このオークのようなタイプはとりあえず自分の脅威になりそうな相手には時も場合もなく威嚇するものだ。
ジェゾが「すぐ食べるからまって欲しい」というと、オークはとんでもない暴挙にでた。
ジェゾの手から器が払われ、まだ半分もあったラーメンがジェゾのズボンにぶちまけられた。
「今日のオレは機嫌が悪いんだよ。運が悪かったな」
「ちょっと!」といって連れの女がオークの所業を嗜めると髪をひっぱって突き倒した。
普段はこれぐらいの事では怒らないジェゾだったが、今日はそれこそ機嫌が違っていた。
別段怒っているわけではないが、何か変わった事がしたかったのだ。
夢の残滓はまだジェゾにまとわり憑いている。
「いや、私は運が良い」
ジェゾは呟いた。
「今日は何か、かわった事がしたい気持ちだったんだ」
そういうとジェゾはオークの喉仏を鷲づかみにした。
恐ろしい怪力の所為でオークは息が出来ず、ジェゾはそのまま掴んだ片手でオークの身体を宙ぶらりんにした。
もがくオークをそのままに店主に金を差し出した。
状況が状況なので釣りはよいと札束をカウンターにつっこむとそのままどかどかと出口までオークを突き出した。
咳き込むオークが「ただじゃすまねぇ」だの「オレが誰だかわかってんのか」だのと喚いたがジェゾはゴミを袋に押し込むように足を突き出してオークの頭を踏みつけた。
それでも抵抗してくる彼は懐から超周波ナイフを取り出した。
凶器を確認したジェゾは先程より強くオークの体重がかかった方の足を、今度は踏みつけるのではなく踏み抜いた。
鈍く嫌な音をたててオークの足は反対側にひん曲がり、ジェゾの踵には潰したオークの膝の肉片がこびり付いた。
スイッチがオンになったままのナイフが地面に刺さる、周りの物質が粒子にかわり砂より細かい煙状の土が噴出した。
騒ぎを聞きつけた野次馬がわらわらと出てくる中、オークの連れの女がジェゾの尻尾を掴んでひっぱった。
「何やってんのよ早く逃げな!」
そういうと女はジェゾを連れて喧騒の街中を飛び出した。
少女の小さな歩幅に自分の大きすぎる歩幅で追突しないように気をつけながら歩いてジェゾは困惑した。
妙な事になったな。
あれで終わり、すぐに買出しに行くつもりだったのに。
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