2016年9月 レジリエンス
八月は本当にいろんなことがあった。接客バトルロイヤルをはじめ、サブリーダーの大木戸さんが辞めてしまったり、スーパー不死鳥の担当社員さんが異動になったり。あと変わったところだと追本さんと乙和見さんに誘われて初めての高尾山にも登ったり(この二人、一年前くらいから計画してたんだって。なにやってんだか……)。そして何より、あたしの中で一番大きかった出来事は――。
「え? よりを戻したの?」
「そう……ですね」
久々の追本さんとの休憩かぶり。いつの間にかそういう話になり、特に報告するつもりもなかったんだけど……ね。
「まぁ良かったんじゃない? 雨降って地固まるって言うし」
「そうかもしれませんね」
実は、接客バトルロイヤルが終わった後すぐに広島に戻り、彼氏に会った。そもそも、将来のこととかで悩んでる時に彼氏があれこれ言ってくるのが嫌で別れたような感じだったんだけど。いざ別れてみると、いかに彼氏があたしのことを想っていてくれてたか、身に沁みてわかった。正直、別れたあと心ここにあらずというか、何やってもむなしい感じがして……。バイトなんか特にそう。彼氏と遊ぶための資金稼ぎという大義名分を失ってからは、ただただこなしているだけだった。こじつけなのかもしれないけど、接客バトルロイヤルであたしが優秀賞を取れなかったのも、そういう半端な気持ちだったからなのかもしれない。優秀賞を取れたら、キッパリと彼氏のことは忘れるつもりだった。つまり……そういうこと。
「最近さ、ミルトン・エリクソンの本を読んでるんだよね」
「え? ガリガリ――」
「おっと! それ以上は言わないことだ」
そう言ってくいっとメガネを押し上げる仕草をする追本さん。うん。久々にきたな、このイラつく感じ。
「アメリカの心理療法士さんなんだけどね。この人がやっていた戦略が自己啓発にも活かせるんだよね」
「ほんと、自分を高めるの好きですよね」
「そう! 探求と探究は僕の人生のテーマだからね」
ま、なんとなくわかる気はするけど……。
「それで、なんでそのガリ……エリクソンって人が突然出てきたんです?」
「エリクソンがね、生涯貫いた哲学があってね。それが『希望』と『
「追本さんが好きそうなワードが出てきましたね」
「でしょ?」
この人は本当に愛とか夢とか希望とか、好きだからなぁ。
「エリクソンはクライアントに希望を持ってもらって、自分の力で立ち直るようにサポートを続けたみたいなんだよね」
「サポート? 直接治療するんじゃなくってですか?」
「そこなんだよね!」
そう言って追本さんは目を見開いた。
「つまり、心理療法士という上の立場でクライアントに接するんじゃなくて、あくまでクライアント目線で並走するっていうスタイルだったみたい。この方法を使えば誰でも治せるっていう魔法はないっていうことを知ってたからこそ、その人その人によってやり方を変えていったんだ。すごい人だよね」
「そうですね。お医者さんってこう言っちゃなんですけど、偉そうにしてる人多いイメージですもん」
「このやり方ってさ、何かに似てると思わない?」
追本さんはそう言うと今度はニヤニヤし始めた。
「うーん。その人その人でやり方を変える……あ!」
「イエス!」
そうだ。今この現場で追本さんがやってる接客指導。判定基準はわかってるわけだから、普通だとその基準通りにできるように教えればいいだけ。でも、追本さんは人によって教え方もかける時間も違う。なるほどね、ここにヒントを得てたのか。
「できる人にはできる人なりのやり方。できない人にはできない人なりのやり方っていうもんがある。一辺倒に正しい知識を教えただけじゃあダメなんだよね。みんな価値観もバイトをやる理由もそれぞれ違うんだから」
「バイトをやる理由……。これが結局、モチベーションに繋がるんですもんね」
「その通りさ。僕だって、ただお金を稼ぐってだけなら、とっくに辞めてたよ。ただレジ打つだけなら、つまんないもん」
追本さんはそう言ってカラカラと笑った。それはわかるけど、あなたがそんなこと堂々と大声で言って良いんだろうか……。でも、これは確かにそうだ。あたしも彼氏と別れた後、接客バトルロイヤルっていう目標がなかったら、確実に辞めてたと思うもん。
「六つある戦術のうち、とりわけ『分割』と『
鼻息荒くそう言いながらドヤ顔をする追本さん。はいはいわかったわかった、すごいすごい。
「一時的に高い点数を取ることってできるかもしれんけど、長期に渡って組織を継続的に成長させていくためには、リーダーがしっかりと日々ビジョンを見せないとね。大きな目標も、小さな目標の積み重ねだから。それを達成しながら、さらに新しい道を示していくのが、僕の仕事かねー」
「新しい道、ですか」
「そう。いろんな道があるからね。一見楽しくないって思えるレジ打ちの中にも、みんな何かを見出して欲しいんさ」
「結局同じことの繰り返しですからね、レジって」
「そうさ。お金を得るのと引き換えに、人生の大事な時間を提供してるわけだからね。せっかくだから、その時間も成長したいじゃん?」
「そう言われれば、確かに」
あたしも日曜日なんかは八時間勤務することがある。つまり人生うち、その一日の三分の一はバイトに使ってるってことよね。それをたった数千円に引き換えてるんだと思うと、少しゾッとした。
「ただただ時間を潰すだけのバイトなんて、まっぴらごめんだからね。たかがバイトでも、高い目標と夢を持って過ごしたら、得るものもあると思うんだよね」
「さすが、数々のバイトで食い繋いできた人は、言うことが違いますね」
「ふふふ……。今度から僕のことを、バイトマスターと呼びたまえ」
そう言って、またくいっとメガネを上げる仕草をする追本さん。いい加減、メガネを本当にかけるかその仕草をやめるか、どっちかにして欲しい。かっこいい風のこと言ってるけど、結局はその年まで就職できてないって現実わかってんのかな、この人……。
それはそれとして、
【2016年9月接客ランキング結果】
67.21/Bランク
143位/213位(全社)
【結果考察】
先月よりさらにダウン! ギリギリBランクは維持できたけど……。久しぶりにEランク取得者が3人もいたのが原因みたい。ただ、これが一昔前のこの現場だったら、全体はDランクとかになってたと思う。Eランクが3人いても全体がBランクで留まっていられたのも、Sランク取得者が必ず数人いるから。以前とは違う。良かったり悪かったりと安定しなかった時期とも違う。平均ラインは確実に上がっている証拠なんじゃないかな。とはいえ、せっかく全体Aランク達成したんだから、またそこに戻りたいところ。追本さん、ここから
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