2016年5月 ニーバーの祈り

「いらっしゃいませー!」


 先月の追本さん退職騒動が円満に収まり、むしろ以前よりもやる気に満ちている当の本人。それは良いことなんだけど……。


「追本さん」

「ん? なんだい?」

「ちょっとやめてくださいよ。売場で変顔するの」


 そう。なーんか知らないけど、最近隙あらば変顔をしてる。放っておけば良いんだろうけど、確実に見て見てアピールしてくる。


「変顔? そんなのしてないけど?」

「いやいや、してるじゃないですか!」

「これはね、ケイロくん。笑顔の練習だよ、え・が・お」


 そう言ってまた不気味なエビス顔を作る追本さん。ってか、笑顔だったの……それ。


「それ、お客さんに見られたらクレームもんですよ」

「ふふふ……。安心したまえ! ちゃーんと、お客さんに見られないようにやってるから」


 それって要するに、自分も変顔って認識してるってことよね? ねぇ? しかも、あたしが接客してる最中にその顔してくるのって、確実に意図的に笑わせにきてるよね!? それであたしが吹き出したらクレームもらうのあたしじゃん……。


「ってか、なんで突然そんな笑顔作るようになったんですか?」


 お客さんが途切れると、あたしはそう聞いた。よく考えたらおかしいもん。今までの追本さんは、真の接客は不自然な笑顔は必要ないとかなんとか、持論を述べてたのに。それなのに! 今の追本さんの顔ったら! むかつく程、不自然な笑顔。


「『ニーバーの祈り』って、知ってる?」

「?? ウーバーなら知ってますけど」

「『君の好きなうた』ね。シンガーソングライターやってた時、カバーしたわぁ。……じゃなくて。『ニーバーの祈り』」


 祈り? ついに宗教にも手を出したの……?


「『主よ、変えられないものを受け入れる心の静けさと、変えられるものを変える勇気と、その両方を見分ける英知を我に与えたまえ』」

「なんかの宗教ですか?」

「恐らく、キリスト教の人の祈りの文だね。まぁ僕は別に、キリスト教でもなんでもないけど、この言葉には得るものがあってね」


 この人は本当に知識に関しては見境がない。


「それで、その祈りと笑顔とどう関係があるんです?」

「まぁ、その祈りの内容そのまんまなんだけどね。僕はこれまで、自分の信念というか価値観というか、とにかく自分の考えを曲げたくなかった」

「迎合したくないって言ってましたもんね」


 ……よく言えば強い意思なんだけど。追本さんの場合、信念が強いというより、どっちかというと頑固頭って感じだったんだよね。


「そう。迎合したくないのは今でも変わらないけど。ただ、自分にプラスになることは、をしても良いんじゃないかって、最近やっとわかってきたんだよねー」

「価値観の上書きですか」

「僕は前に、笑顔って自然に出てくるもので、無理矢理出すもんじゃないって言ってたの、覚えてる?」

「あー、言ってましたね、そういえば」


 確か、お店の店員がみんな不自然な笑顔だったら不気味だとかどうとか言ってた気がする。


「でもさ、自然に出る笑顔と、お客さんに向ける笑顔はまったく別物だって、わかったんだよね」

「どう違うんですか?」

「簡単に言うと、プライベートとかで自然に出る笑顔は受動的な反応。接客でお客さんに出す笑顔は能動的な行為、ってわけね」


 ん? 今簡単にって言わなかったっけ……? なんか余計難しくなったような……。


「あ、ごめん。要するに、もらうか与えるかの違いってことね」

「自然に出た笑顔がもらったもの?」

「イエス! んで、接客で出す笑顔が与えるもの、ってわけ」

「あー、それならなんとなく理解できます」

「あ、お客さんだ。いらっしゃいませー」


 追本さんとあれこれ話しこんでしまっていたけど、あたしは今レジに入っている。さっとお客さんの方に向き直し、きれいな30度のお辞儀をして迎える。


「いらっしゃいませ。ポイントカードはお持ちですか?」


 ふふふ。どんなに他のことをしていようと考えていようと、目の前にお客さんが来たらすぐに接客モードに切り替えれるのがあたしの強み。さっきまで笑顔の出し方の話をしたせいか、いつもより笑顔にも力が入る(笑顔に力が入るっていう表現もおかしいかな?)。


「ほら、ありがとうは?」


 お母さんと五歳くらいの女の子のお客さん。その女の子が大事そうに握りしめていたガムをスキャンして、あたしはお買い上げテープをそっと貼ってあげると、お母さんがそう言った。すると、その小さなお客さんは上目遣いでモジモジしながら、


「おねえさん、ありがとうございます!!」


 って嬉しそうに言いながら、ペコペコとあたしのお辞儀のマネをした。か、かわいいよぉー! あたしにもあんな時代があったんだよなぁ……。純粋で、目をキラキラさせて、屈託のない笑顔を出せてた頃が……。


「ありがとうございます。またお越しくださいませ」


 ついその女の子の純粋な笑顔に圧倒されて、反応的にマニュアル通りのお見送りをしてしまった。あたしのバカ! もっとなにか、気の利いたこと言えば良かったのに……。


「ケイロくん、良い笑顔出てたよー」


 母子を見送った後、追本さんがボソッとそう言った。


「でも、とっさに言葉って、出ないもんですね」

「大丈夫。ちゃんと伝わってるさ。特に子どもはね、表面的な言葉や態度じゃごまかせないからね。あの女の子の反応を見たら、ケイロくんがどんな想いで接した

か、わかるってもんさね」

「そうですか……」

「そうだよ。子どもはそうやって自己表現の仕方を身につけていくんだと思うよ。だから僕も、心から良い接客しようと思ってるんだったら、顔も良い接客しなきゃって思ったわけだし。今まで、きちんとお客さんのことを考えて接客していれば、無理に笑顔出す必要はないって思ってた。むしろ気持ち悪いって思ってた。でもそれって、違ったんだよね。本当に気持ち悪いのは、心では歓迎してないのに笑顔を出されることだった。だったら、心と表情を一致させようと思ったら、ちゃんと目で見える笑顔は出すべきなんだよね」


 そう言ってまた、くしゃくしゃの笑顔(?)を見せる追本さん。


「今まで意識して笑顔なんて作ったことなかったから、自然な笑顔を出せるようになるにはもう少し時間かかりそうだなぁ」

「だから練習してるってことですね」

「そういうこと! ほんと、自然な笑顔出せる接客三銃士とかケイロくんとか、うらやましいよ」


 あたしは……、いつの間にか、抵抗なく笑顔が出せるようになっていた。学生時代に女優を目指していたからっていうのももちろんある。でも、心と表情の一致がどうとかは、今まで考えたことがなかった。だって、心の中でどう思っていようと、良い笑顔を向けると、誰とだって仲良くなれる自信はあったから。でも、今振り返ってみると、本当に仲の良い友達って……。

 変えられないものを受け入れる心の静けさと、変えられるものを変える勇気、かぁ。誰かの気持ちを変えることは難しい。でも、自分の気持ちだったら。勇気さえあれば。うん。少しだけ、わかってきたような気がする。


「それにしても――」


 追本さんはそう言うと、さらに不気味な笑顔を見せた。なになに?! この人はどこまで限界突破しようというの?


「さっきの女の子、かわいかったなぁ」

「完全なロリコン発言ですね」

「ちょ、いや、そういうんじゃなくてだね」


 その慌てぶりは本気っぽくて怖い。笑顔も怖いけど、その発言はいろんな意味でもっと怖い。追本さん、犯罪だけは、ほんと勘弁してくださいね。




【2016年5月接客ランキング結果】

74.39/Bランク

108位/203位(全社)


【結果考察】

 今月はEランク0人! Sランクも6人と、上々の結果じゃない? でもあと一歩! 店舗平均の最高記録は更新したものの、全体Aランクには届かず……なんだよね。

 本当にあと一歩のところまで来てる。もう少しなんだよね。しかも、今回当たったSランク取得者は、接客三銃士以外の人が5人も。今までは、平均点数が良かった時はほとんど接客三銃士の誰かが当たっていたからっていう裏事情も実はある。だけど、今回のは本物。この現場の力量そのままの点数だとあたしは思ってる。さて、来月は何をやっていくのかな。今度こそ!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る