2016年3月 春の接客祭りの果てに
『春の大接客祭り!! 開催!』
今日は三月に入って初めての出勤。さて今日もがんばるかと、タイムレコーダーで出勤打刻しようとすると、すぐ奥の壁にでかでかと赤文字でそう書かれたポスターが目に入った。なにこの、某パン会社の宣伝文句のようなやつ……。ま、誰の仕業かはすぐわかったけど。
「ふふふ! おはよう! ケイロくん」
「わっ、おはようございます」
突然追本さんが背後からにゅっと現れた。心の中で思い浮かべたら現実にすぐ出てくるの、心臓に悪いからやめて欲しい。
「見たかね、そのポスター」
「なんですか、これ?」
「見ての通りだよ。春のパンま……じゃなかった、接客祭りさ!」
いや、今完全に元ネタ言おうとしてたよね?
「先月の接客会議でさ、マスター・サクラエビにそろそろイベントみたいなのやっても良いんじゃない? って言われて、早速やってみようと思ってね」
「イベント……ですか」
確かに、よく見ると、賞品が出るみたい。なになに……。上位三名に豪華景品が当たる? 金券二千円分、空気清浄機、物産展詰合せ。なんか、商店街の福引っぽい感じは否めないけど、結構豪華じゃない?
「でも、このお金、どこから出るんです? まさか本社から?」
「それね。僕もそう思ってたんだけど、違うみたいで。どうやら乙和見さんの自腹みたい」
そう言って追本さんは笑った。いや、笑ってもいいとこなの? それ……。乙和見さんはこの現場の担当社員なんだけど、今までの社員と違って、結構追本さんといろいろ話してるみたい。こないだも巡回に来た時に、一緒に売場で散歩してた。いや、みんなの接客調査だったんだろうけど、どう見ても散歩もしくはデートだったね、あれは。ほんと、男二人でなにやってんだか……。
「良いんですか? 結構な金額いきません?」
「大丈夫っしょ。それにこれだけじゃなくて、今月の接客ランキングでBランク以上の人にはもれなく景品が当たるよ」
「えー! まじっすか! 乙和見さん、太っ腹……」
いつもぬぼーっとしてる感じの乙和見さんなんだけど、やるときゃやるのね。さすが、社員!
「そういうわけだから、ケイロくんも張りきっちゃってよ!」
「わかりました! がんばります!」
確か一月の接客ランキングで90点のS取ってるから、それより上を目指したいな。
「さーて、最高の接客の始まりだ」
追本さんはそう言ってブンブン腕を回しながら出ていった。うん。目標の総合Aランク目指して、気合い入ってる。もうちょっとだもんね。もうちょっとで、夢にまで見た、現場総合平均75点のAランクに届くんだ!
それにしても、気づけば随分とお店の雰囲気が変わったように思う。あたしが入ったばっかりの頃は、お客さんの顔が怖かった。まだ慣れてなかったっていうのもあるけど、なんていうか、イライラしているのがすごく伝わってきてたから。確かにいつも混んでて、レジで待たされるからそうなるのはわかる。でも、本当に負のオーラに満ちていたような感じ。あたしも、もし家からの距離とか時給とかの条件が少しでも悪かったらすぐ辞めてたと思う。だけど、今は接客やってて楽しい。あちこちのレジで元気なお迎えの声が聞こえるし、スタッフとお客さんとの楽しげな会話も時々聞こえてくる。接客ランキングで見られる項目って、言ってしまえば表面的なものだけど、それが良くなるだけでもこんなに変わるんだよね。お迎えでお辞儀をするのは、ちゃんとお客さんを迎えてるっていうサイン。笑顔を出すのもそう。笑うことと笑顔を出すことは違うんだってことも、わかってきた。作った笑顔もまんざら悪いものじゃない。こちらから、相手の心に歩み寄るために、笑顔を作るんだ。
今回の接客祭り、もちろん七十人近くいる
なんか、初めて外部の委託会社に所属していて良かったって思えた。入ったばかりの時はなんとも思わなかった(そんなこと気にする余裕がなかっただけかもしれない)けど、外部委託ってやっぱり疎外感がある。それぞれが店舗のために頑張って接客していても、それをちゃんとわかってくれる人、見てくれる人はびっくりするほど少ない。特にリーダー達はフリー業務(基本的にレジを打たず、売場巡回や
大げさなことではなく、レジってそのお店の『顔』だと思うの。一番最初に目について、一番最後に通過する大事な場所。そこで少しでも良い接客をしようと、あれこれ取り組んでいるあたし達チェックサービスのバイト。それなのに、店舗の人から感謝されるどころか、むしろ疎まれたりしている。事あるごとに文句を言われたり、なんでもないことで注意されたり、本当に悔しい想いもしてきた。だから、こういうイベントができることが、なんか嬉しかった。もちろん、これをやったからといって、
ここでバイトを始めて丸々三年。思えば、あたしも成長したのかな。接客が好きでこの仕事を選んだわけじゃないけど、気づけばどうやったら良い接客ができるようになるか考えてしまう自分がいる。でも、あたし以上に追本さんは成長してる。それも、仕事だからっていうより、なんか成長すること自体を楽しんでるみたい。
仕事って、お金をもらうために自分の時間を犠牲にするものなんだって思ってた。まわりの大人がみんなそうだったから。だから、あたしは大人になりたくなかった。お金は大事だけど、もっと大事なモノってあるじゃない? あたしは、それを失いたくなかった。でも、いつかはみんな、そうやって大人になっていくしかないんだと諦めかけていた。――だけど!
散々バカにしてきたけど、追本さんはただのバカじゃない。あたしが諦めかけたモノを行動で見せてくれる、大バカ者なんだよね! 一緒に働けるのもあと一年だけど、もっと、まだまだ見せてくれるんだよね!?
そう思っていた、矢先――。
* * *
「や、辞めるー!?」
「はい。いろいろ考えて、答えを出しました。四月いっぱいで、退職させてください」
休憩室に入った途端、追本さんと草野さんの会話が耳に入ってきた。追本さんの横顔は、今までに見せたことのない、まるで戦地に赴くかのような険しい表情だった。
【2016年3月接客ランキング結果】
73.78/Bランク
83位/200位(全社)
【結果考察】
惜しくも目標の75点のAランクは達成できず。でも最高点はまた更新! 接客祭り、ちゃんと効果はあったみたいね!
あたしは80点のAランクで目標クリアはできたけど、自己最高点を更新できなかったのが残念……。あと、カッキーさんに負けたのも悔しい! 上木野さんも当たり前のように100点取っていたけど、彼女は今回イベント運営側だったから賞の対象外。それどころか、接客三銃士賞なんてものがあったから、上位の三人以外にコメント付きで賞をあげてたみたい。しかもそれは、実費なんだって。すごいよ、自分は当たり前のように最高点を叩きだしておいて、それには目もくれず、他のスタッフの評価をしてあげるなんて……。接客三銃士は改めて別格だと思った。こんなすごい人達がいる、このチームだったら、次は絶対Aランクいける!
そ・れ・な・の・に! なんで? なんでこのタイミングなのよ、追本さん!!
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