2013年11月 借金

 追本さんが音楽事務所に所属する、という話はにわかには信じられなかった。どう見ても芸能人って感じはしないし、そもそもどんな音楽をやっているのか、聴いたこともないわけだし。でも当の本人はすっかりその気になっていて、バイトもたまに休むようになっていた。


「や! 久しぶり、ケイロくん」

「おはようございます、追本さん」


 久々にあった追本さんは相変わらずのテンションだった。


「バイトの方はどうかね? 順調かね?」

「はぁ……。まぁボチボチですね」


 ……お父さんか!


「追本さんの方はどうなんです? 本当に事務所に入ったんです?」

「まぁね」


 いまだに信じられない。何度も言うようだけどこの人は、言われなきゃ音楽やってると気づけないし、言われても納得できないぐらい、芸能人オーラがないのだ。


「それで、メジャーデビューとかできそうなんです?」

「んー。まぁ、事務所に入ったからって今すぐどうこう変わるわけじゃないから。メジャーに行けば良いってわけでもないし」


 そう言って追本さんはスマホをいじり始めた。そうなんだ。なんか、事務所に入ればもうメジャーデビューしてテレビとか出れるんだと思ってたけど。さすがにすぐに、というわけにはいかないのね。そもそも、追本さんがテレビ番組出てる姿とか、ほんと想像できないし。


「忙しそうですね」

「まぁねー。集客もしなきゃだし、借金も返さないといけないから、なかなか忙しいよねー」

「借金??」


 なんだか、嫌な予感がしてきた。


「借金なんてあるんですか?」

「あるよー。元々若い頃の借金が残ってたのと……xxxxxx」


 追本さんはそこまで言うと、急に小声になってゴニョゴニョと聞き取れない言葉を発した。


「え? なんですか?」

「……50万円」

「え?」

「だから、さらに50万借金が上乗せされたんだよ」

「は?!」


 あたしは耳を疑った。


「なんか、所属費ってわけじゃないんだけど、今後僕のCDを作るための預かり金らしいんだ。プロデューサーもつけてくれたよ」

「そ、そうなんですか……」


 あたしは芸能界のことはよくわからない。でも、直観で感じたことをぶつけてみる。


「だまされてませんよね?」

「だまされてはないよー。そのへんの怪しい事務所と違って株式会社だし。プロデューサーも有名なCMの曲作ってたりしてる、ちゃんとした人だし」


 そう言い切った追本さんは妙な自信にあふれていた。でも50万円だよ? 普通こういうのって、むしろ事務所がお金かけてデビューさせて、それから儲けるんじゃないの? 芸能界ことはまったくわからないから、もっと深掘りしてみないとなんとも言えない。


「それはすごいですね。ちなみに、社長ってどんな人なんですか?」


 あたしがそう聞くと、一瞬ぴくりとした反応を見せる追本さん。


「ちょっとね、いかついというか、威圧的な人だった。僕もね、疑ってはいないんだけど、一つだけ気になることというか、賛同できないことがあるんだよね」

「なんですか、それは」

「……ケイロくん。アフィリエイトって、知ってる?」

「いえ、知りませんけど……」


 なんだろう。聞いたことのない単語だけど、胸のあたりがざわざわする。


「つまりね、簡単に言うと。その事務所に知り合いを紹介して、アーティストとして所属が決まったら、成功報酬として半額の25万円、もらえるって話なんだ」


 えーっと。うん。社会のことをまだよく知らないあたしにも、ピーンときた。


「追本さん」

「ん?」

「それ、完全にアウトなヤツですよ」

「アウト、と言いますと?」

「いやだから、だまされてますって」

「いや……、違うんだ」


 何が違いますか。入会金で50万払って、紹介者が25万もらえる? それでデビューできるのなら、確かに安いのかもしれない。だけど!


「ちなみに、その事務所に有名な人っているんですか?」

「いや……いない」

「ほら! つまり事務所に所属させるって言って、お金だけ取るつもりなんですよ! CDだって、本当に作ってくれるんですか?」

「大丈夫! ……な、はず」


 ダメだこりゃ。完全に洗脳されてる……。聞く耳持たないとは、こういうことを言うんだと、身をもって感じた。なんか目があさっての方向向いてるもん。


「いや、仮にだね、だまされたとしても、こういうおもしろい経験ができたと考えたらさ、安いもんじゃん?」


 そう言って追本さんはお昼ご飯のおにぎりをほおばり始めた。お昼におにぎり一個しか食べない人が、よく50万円を安いと言えたもんだ。そんなのにお金出す前に、そのしわだらけで黒ずみかけてるカッターシャツを新調しろっての。完っ全に金銭感覚がどうかしてる、この人……。でも、何を言っても聞いてくれそうにないし、そもそもあたしには関係のないことなのだ。追本さんはいいけど、こんなのと付き合ってる彼女さん、本当にかわいそう。そんなことを思いながら、自分もモソモソとお昼のパンを食べ始めた。




【2013年11月接客ランキング結果】

61.62/Cランク

97位/137位(全社)


【結果考察】

 事務所所属が決まったことが嬉しかったのか、追本さんは70点のBランクだったらしい。わかりやすい人だ。サブリーダーの一人、スーさんは38点のEランク。スーさんはすごく面倒見の良い人で、みんなから慕われているんだけどな。会社の接客基準はもちろんそういうところは見ないから加点されるはずもなく。得点がすべてではないけれど、やっぱり上に立つ人には良い点を取って欲しいとあたしは思う。

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