2015年7月 打破力とクールビューティー
「え? 東大ですか?」
追本さんは昨日、東京大学へ行ってきたらしい。そのことを、いつものように同じ休憩時間になるあたしに報告するために、待ち構えていたようだ。
「一体なにしに行ってきたんですか?」
「ふふふ……。ドクター中松に会いに行ってきたのだよ」
そう言って追本さんはメガネもかけていないのに、くいっとメガネを押し上げる動作をした。……なんかイラッとするな。
「誰ですか、ドクター中松って?」
「え? マジ!? 知らないの?」
「知りません」
ドクター? 医者かなんかだろうか。
「アレだよ、ビーバーハウスで売ってる、アレを発明した人」
「なんですか、アレって……」
あたしがそう聞き返すと、ドヤ顔で右手こぶしを開いたり閉じたりし始めた。なに? なんなのこのアクション。まったくわからないしそれよりも、なんなの? 人をイラッとさせる追本さんのこの才能。本当にすごいんだけど。
「灯油ポンプだよ」
「あー、なるほど。アレ、発明した人ってまだ生きてるんですね」
「どうやら今年いっぱいの余命らしいんだけどね」
さらっとした顔でとんでもないこと言うなー。
「だからさ、こんなチャンスもう二度とないと思って、行ってきたんだ」
「でも、なんで東大なんです?」
「東京大学の卒業生だから、らしいよ。本当は東大生だけが聴ける講義だったんだけど、特別にあることをしたら、僕ら一般人も入れるようになったってわけ」
「なんですか、あることって?」
「ふふふ……。知りたい?」
なんだろ。今日はいつにも増してねちっこい。はいはい、そんなにしゃべりたいのね。
「はい。知りたいです」
「実はね、イグ・ノーベル賞の日本招致のスポンサーになったんだ」
「え!? スポンサー? 追本さんが!?」
「そう」
あの貧乏暇なしの追本さんが!? 誇らしげにそう言ってるけど、スポンサーって、意味わかって言ってるの!? ってか、なに? そのイグ・ノーベル賞って?!
「あの……。いろいろわけわかんないんですけど」
「まぁスポンサーって言っても、金額はたいしたことないから。給料の十分の一くらいかな」
「そうなんですか。で、そのイグ・ノーベル賞っていうのは?」
「なんかね、マーク・エイブラハムズって人がやってる賞らしくて。『最高または最悪なものに、人々を笑わせ、考えさせてくれる研究』に対して与えられる賞なんだって」
……また随分とおかしな賞が世の中にはあるもんだ。
「よくそんなのにお金出せましたね」
「え? おもしろいじゃん。それに、音楽辞めてから最近お金貯まるようになったんだよね。寄付も始めたし」
キフ? 寄付? あれ、あたしの耳、ついにどうかしちゃったかな。
「寄付って、いくらですか?」
「んー。毎月収入の1%くらい」
「な、なんだぁ」
少し安心。でも待てよ。それでも追本さんが毎月寄付なんて、やっぱり信じられない。借金だって、まだ全部返したわけではないだろうに。なにがあったんだろ……。
「『スジ・ピカ・イキ』が大事だって、ドクター中松も言ってるからね。僕はもっと世の中に貢献できる自分の立ち位置を見極めたくて。お金の使い方も、その一環ってわけ」
「お金の使い方、ですか」
あたしがバイトしてるのは、ほとんど彼氏のため。利己的だって言われようがどうしようが、それは変わらない。変えるつもりもない。それに自分の食費だって削って貯めてるお金を寄付なんて、到底できない。
「まぁ、寄付に関しては、誰かのためというより、自分の心のためだね」
「どういう意味ですか?」
「今までの僕は、自分のためだけにお金を使うことしか考えてなかった。もっと言えば、自分がいかに得するか。でも結果的に、それってどんどんお金が無くなっていくってことに気づいたんだよね」
「?? でも、自分のために使うんだから、良いんじゃないんですか」
「そう思うじゃん? でも自分のために消費したものは消えてなくなってるんだよね」
うー。あたしには追本さんの言わんとすることがよくわからない。
「でも、誰かのために使うお金は、結果自分の中に残る」
「でもさっき、誰かのためじゃなくて、自分の心のためって言いませんでした?」
「そう。自分のためじゃなくて、自分の心のため」
ますます意味がわかんない。言ってること、一緒じゃん!
「ま、これは捉え方の問題だから。人それぞれだけどね」
そう言って相変わらずおにぎり一個をほおばる追本さん。自分の心のためって、どういう意味なの? 人に禅問答みたいな謎だけ残していかないでよね……。
* * * * *
「グルテンフリー?」
「なんか追本さん、そう言ってたよ」
今日は後半の休憩でみきやんさんと一緒になった。みきやんこと、
「小麦製品を一切食べないんだって」
「それで、なんか良いことあるんです?」
「さぁ? あの人のやること、意味不明なこと多いからね」
みきやんさんはそう言うと、おいしそうにコンビニのプリンを食べ始めた。ってか、いつもおいしそうなデザート食べてるけど、なんでそんなにお肌キレイなのよー。それに比べて追本さんは今度は食生活まで禅僧みたいにして……。なにになりたいんだ、あの人は。
「お、いたいた」
噂をすればなんとやら。追本さんが慌てて休憩室に入ってきた。
「みきやんさん、悪いんだけど十七時から資材館の外レジに変更してもらっても良い?」
「良いですよ」
「良かったー。ビーバーハウスのいつも入ってる人が急に休んだみたいなんだよね。頼むよ」
「はい」
追本さんはそう言って休憩室から出ていった。と、思ったらまた帰ってきた。
「あれ、そういえばみきやんさん、資材館の外レジ入れたっけ?」
資材館外レジというのは、資材館の入口から出たところの小屋に設置されているレジで、いつもはビーバーハウスのレジさんが入っている。そもそも
「追本さん」
みきやんさんはメガネをくいっと上げると、レンズ越しに鋭い視線を追本さんに送りながらこう言った。
「わたしに、入れないレジなんて、ありましたっけ?」
か、か、かっこええー!! 追本さんのニセメガネ上げとは全然違う! 痺れるし憧れるぅー! 本物だ……。この人は。
「ふっ。そうだったな。頼むよ、みきやんくん」
追本さんもそう言ってメガネを押し上げる仕草をする。うん。やっぱりあんたはニセモノだ。みきやんさんは自分の荷物を片付けると、首をポキポキと鳴らしながら颯爽と休憩室を出ていった。
「みきやんさん、かっこよすぎですね」
「あぁ。彼女に入れないレジは、ない」
そう言ってまたくいっとメガネを上げる仕草をする追本さん。いや、もういいですって。何度やっても敵いませんって。みきやんさんの肌つやだけじゃなく、あの仕事に対する無双感! まさにクールビューティー! ああいう女性に……っよし!
* * * * *
「どどど、どうしたの? ケイロくん!?」
ふふふ。そんなに目をまんまるにして。今日は会う人会う人、この追本さんみたいな反応をしてくる。
「ちょっと、気合い入れようと思いまして」
「彼氏と別れた、とかじゃないよね?」
「違いますよ!」
まぁ、驚くのも無理はない。久しぶりにバッサリやっちゃったんだから。
「ケロちゃん、どったの? でもかぁわいい」
サブリーダーのシーさんも、あたしの顔を見るなり近寄ってきて頭をなでてくる。
「高校でソフトやってた時はずっとこの髪型だったんですよ。これでバリバリ接客やっていきます」
「これがベリーショートってやつか。良いじゃない、ケイロくん」
高校の時は、この髪型のせいで男子に間違えられて嫌だった。だから封印してたんだけど。あたしも少しは大人になったから、もう大丈夫なはず。これであたしもみきやんさんのようなかっこいいチェッカーになるんだ! ――と思っていたけど、接客するお客さんからはしょっちゅう二度見されるようになった。そんでついにはおじいちゃんのお客さんに名札と顔を交互に見られながら、「女の子みたいな顔しとるのぉ」って言われた。……うん。やっぱり、また伸ばそう。早くもあたしはそう心に固く誓った。
【2015年7月接客ランキング結果】
49.22/Dランク
168位/182位(全社)
【結果考察】
今回も結局Dランク。大量採用で入ってきた人達の点数が低かったみたい。接客三銃士は、定期的に追本さんとミーティングしながら指導を進めている。まだまだ、効果的かつ効率的な指導方法は確立されていないみたいで、頭を悩ませてるようだ。とはいえ、プレイヤーとしてはあの三人は本当に別格。上木野さんは今月二回当たってどちらもSランク。しかもそのうちの一つは100点。さすがだ。こないだ、三人が揃って上がりだった時、たまたま追本さんが研修をしていて。デモンストレーションをやってくれって三人に無茶ぶりしてたところに遭遇したんだけど……。鳥肌が立った。項目ごとの笑顔の出し方、挨拶動作。どれをとっても完璧かつ自然。しかもそれぞれの個性が死んでいない。本当にすごい人達が今、集まっているんだと実感した。あたしも負けてらんない。
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