2015年6月 自分達の力で
今月はほとんど売場で追本さんを見ない。というのも、先月の大量採用で二十人くらい入職したおかげで、毎日のように研修に追われているようだ。そうは言っても、やはり休憩は一緒になるんだけど。
「研修の進み具合、どうですか?」
「良い感じで進んでるね。多い時で六人同時とかあるから、ペースを合わせるのが大変だけど」
そう言って、いつものようにおにぎり一個をほおばる追本さん。
「それにしてもたくさん入りましたよね」
「だね。大変だけど、運が良かったよ。フリーターも何人かいるし、ほんと助かる。三月で学生が一気に辞めて、これからどうなるかと思ったけど、不思議となんとかなるもんだねー」
こういうバイトは、フリーターの存在がカギになる。主婦や学生ばかりだと、どうしてもシフト希望が偏って、必要なラインが埋まらなかったりするからだ。なので、週五フリーで入れる人がいると、あたし達学生も助かるってわけ。休み希望が簡単に通るからね。
「しかも老若男女問わず、おもしろい人達が集まったよー。接客も期待できそう」
机上研修と呼ばれる、概論と道徳的な(?)座学と基本的なレジ操作は追本さんが徹底してやっていた。あたしの時は草野さんだったので机上研修マニュアルというやつをなぞっていくだけだったけど、追本さんはかなり脱線してるらしい。人によっては心理学的なノウハウを語られたりしてるみたいだけど……。普通、バイトの研修でそんな話する必要あるのかな。だいたいいつも気合い入ると空回りするのが追本さん。がんばり過ぎて
* * *
「ちょっと! 出雲さん、聞いてくれる!?」
ものすごい剣幕であたしのところに駆け寄ってきたのはビーバーハウスの遅番リーダーの
「な、どうしたんですか?」
「追本よ! あのクソ追本!」
あわわ。心配してたそばから悪態つかれてるじゃん。ってか、テラさん仮にも女性なんだし、クソって……。
「追本さん、なにかしたんですか?」
「ちょっと私忙しいからレジ上げ頼もうと思ったら! 『今から研修だし、契約ではそちらの仕事なので無理です』って断ったのよ!」
「は、はぁ……」
レジ上げというのは、レジを最後に閉める業務のこと。レジ一台分の売り上げを扱うため、ある程度勤務日数がある人じゃないとできない仕事。そもそもは、そのレジに入っていた人がそのままレジ上げするのが一番効率的なんだけど、なかなかそうもいかない。なので、契約外のレジのレジ上げも毎日のようにあたし達は手伝ってる。それも全部
「どうしたの? あいつ最近どうしたの? えっらそうに! なーにが研修よ! クソ追本のくせに!」
「ま、まぁまぁ落ち着いて……」
「落ち着いてらんないわよ! あーイライラする……」
そう吐き捨てながら、テラさんは去っていった。嵐だ。鬼だ。そこには、確かに嵐のような鬼がいた。怖かった……。普段は優しいおばちゃんで、あんなこと言うような人じゃないのに。一体どんな言い方をしたんだ、追本さん……。
* * *
「え? そんなに怒ってた?」
本人に伝えて良いものか悩んだが、さすがに二人の関係が険悪なままだとあたしも仕事がやりづらいと考えた末に、さっきのテラさんの怒りっぷりを説明した。ちょっとだけ控えめに。
「別に何も間違ったことは言ってないんだけどねぇ。新人さんにちょっとだけレジ入ってもらって、どんなもんか感触だけ確かめてもらったんだけど。それですぐ引き上げようとしたら、テラさんにレジ上げしてくれって頼まれて、断っただけなんだけど、ねぇ……」
「確かに間違ったことは言ってないですけど、問題は言い方ですよ」
「言い方?」
「そうですよ。あんな怒り方してる大人見るの、初めてだったんですけど。よっぽどな言い方しないとああはならないかと」
「うーん」
追本さんはそう唸ると、腕を組んで考え始めた。
「まぁ、確かに研修ばっかりだったもんだから、テラさんに対してもちょっと上から目線になっちゃったのかもなぁ」
「それですよ、たぶん! 追本のくせにって言ってましたもん」
「僕はのび太くんか!」
「まさにあれは、ジャイアンでした」
その前に『クソ』がついていたことは、言わない。
「テラさんなぁ、『刺激と反応の間』が狭いんだよなぁ」
「なんですか、それ?」
刺激と反応の……ま??
「感情っていうのはさ、消せないじゃん? そもそも消したら人間じゃなくなるし。だけど、外側からの刺激に対してどう反応するかっていうのは、自分で選択できるってこと」
「反応、ですか」
「そう。自分の気に障ることを言われて、すぐカッとなってわめき散らすのか、一呼吸置いて、それをポジティブに受け取って微笑むかの違いだね」
ポジティブに受け取って微笑む? 誰だって、自分の嫌なことをされて喜ぶ人はいない。追本さんが言っていることは無理があるような気がするなぁ。そんなこと実践できるのは、聖者か変態かのどっちかだ。
「まぁ、一応それとなく謝っとくよ」
「それが良いですよ。あ、でも――」
「もちろん、誰かから聞いたとかは言わないから」
そう言いながら追本さんはカラカラと笑った。ほんとに大丈夫かな……。
「それよりも、やばいことが」
「え?」
追本さんはそう言うと、ピタッと笑うのを止めた。あの楽観的な追本さんがこんな急に真顔になるなんて。さっきのテラさんのキレ具合よりやばいことなんて、あるの? もしかしてまた先月みたいな事件が起きちゃったとか……? そうだったら本格的にやばい。
「椎田次長、今月いっぱいなんだって」
「ほんとですか!?」
その先月の事件で助けてもらった、クライアント側で唯一のチェックサービスの理解者、椎田次長が辞めるなんて。それは確かに困るけど……。
「うん。ここより売り上げの良い店舗に異動なんだってさ。まぁ、栄転と言えばそうなんだろうけど」
「ちょっと、追本君」
あ、噂をすれば。毎度のように顔色の優れない椎田次長が追本さんに向けて、手招きをしている。
「その件かな」
追本さんは招かれるがままに、椎田次長と会議室の方へと消えていった。栄転ならば、先月の事件の件で左遷させられるわけじゃないのだろう。それにしても、タイミング的には、気にはなるところだけど……。
* * * * *
翌日、朝一で追本さんに遭遇。結局昨日はあれから顔を合わすことなく、帰ってしまったから、変な妄想だけが独り歩きしていた。
「おはようございます! 昨日なんて言われたんです?」
「おはよう、ケイロくん。昨日の? ……あぁ、椎田次長に呼ばれたやつね」
「そうです、それ」
「たいした話はしてないよ。今月いっぱいだから、あとはよろしくって」
「そうですか」
「ただ……」
そう言うと、追本さんは別段顔を曇らせるわけでもなく、少し不思議そうに首を傾げた。
「『新しい次長には、絶対に逆らうな』って、言われたんだよね」
「なんですか、その半分脅しのようなセリフは……」
「ってか、僕椎田次長にも逆らった覚えないんだけど」
なんかなー。この人って、テラさんの時もそうだけど、ちょいちょい自覚なしに人をあおるような発言する。もしかして、椎田次長にもやっちゃったから、釘を刺されたんじゃないかと疑ってしまう。そうでないと、普通そんなこと言わないでしょ? しかもリーダーの草野さんではなく、サブリーダーの追本さんに。
「でも正直、誰になっても
「そんなに違うもんなんですか」
店長より下の役職である次長の一人が代わったからといって、そんなに影響があるものなんだろうか。
「たぶん、ガラッと変わると思う。ぶっちゃけ、ここは店長もよく代わるんだけど、自分達にはそこまで関係なかった。売場は大変みたいだけど」
そう。
「椎田次長は本当に先見の明がある人なんよね。いくらコストがかかっても
「守って……」
裏ではどんなことがあったのか、あたしには知る由もなかったが、一回だけサービスカウンターで対応している椎田次長を見たことがある。最初は怒鳴り散らしていたお客さんも、元々顔色の悪い椎田次長に対してバツの悪さを感じたのか、すぐにおとなしくなっていた。どんな荒ぶったお客さんも鎮める能力の持ち主。それはまさに、最強の盾と言うにふさわしい姿だった。
「そう。だから、椎田次長がいなくなったら、もうかばってくれる人がいなくなると思っておいた方がいいね。今度からは自分達の力で、戦っていかないといけない」
「戦うって、そんな大げさな……」
「あながち大げさでもないよ。より一層、チーム力を強くしていかんとね」
追本さんは向きを変えて、肩をぐるぐる回しながら、
「一生懸命頑張ってる人が報われる職場にするために、僕はやれることをやるよ」
と、なんだか意味深なことを言い残して去っていった。自分達の力……か。確かに、あたしはまだ学生でただのアルバイトだけど、チェックサービスで働くのは多少なりとも強い責任感が必要なんだと感じている。社会のことはまだよくわかってないけど、今までアルバイトって、会社のためとかそういう理由で働いている人はいないんだと思ってた。いわゆる利己主義。お金が欲しいから、その代わりに労働力を提供してるだけなんだって、割り切ってた。でも、追本さんはそういうアルバイト像とはかけ離れて見えた。地位も権力も武器だってないけど、見えないなにかと戦う戦士。そんな後ろ姿をあたしはしばらく追っていた。
【2015年6月接客ランキング結果】
45.00/Dランク
170位/175位(全社)
【結果考察】
ぎりっぎりのDランク。今回は
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