2015年5月 解約の危機!?

「追本さん、44点Eランク……」


 先月末に追本さんが接客チームを結成したばかりだというのに、出鼻をくじくとはまさにこのことだ。チームリーダーの追本さんが初っ端でEランクを取るとは……。これにはさすがの追本さんも落ち込んでいる様子だった。


「あひひ……44点だ……。しっしっし……」


 ダメだこりゃ。壊れてる。


「ま、まぁまぁ。追本さん。最高の反面教師じゃないですか!」

「そうね。みんなが僕みたいなEランカーにならないように、僕の惨めな姿を、アピールしていこうかね……。しっしっし……」

「ってか、うちの現場、Eランカーだらけじゃないですか」

「そうだった。ボクモナカマ。ボクモナカマ」

「しっかりしてくださいよ」


 大丈夫かな……。まぁ、しばらく放っておけば、またポジティブマンになって帰ってくるだろう。


  *  *  *  *  *


 ゴールデンウイークも終わり、高く昇る太陽はすでに夏を演出するのに十分なエネルギーを放っていた。そんな、ある日。いつものように出勤すると、追本さんが今まで見たことのないような青ざめた表情をして、椎田しいだ次長と店長室に入っていった。

 椎田次長というのは、このビーバーハウスに常駐勤務している三人の次長の中でも総務を担当していて、委託に切り替わる前からチェックサービスのことを知ってくれているただ一人の次長。すごくレジに対して理解のある人なのだ。こないだも過不足(レジのお金が合わないこと)の報告書の紙を持っていった時、「はい、印鑑ね」と言って、内容も見ずに承認印をくれた。立場上、厳しくしないといけないと思うのに、寛容なオーラがあふれ出ていた。

 店長室というのは、まだ誰も入ったことのない謎の部屋。ビーバーハウスの事務所内で、唯一らしい。万引犯を捕まえた時ですら、その部屋は使わない。どんな時に使うのか謎だったが、追本さんが入っていったことにより、その謎も明らかになるだろう。

 あたしはすぐにレジに入らないといけないので、その場を去った。かなり気になる。追本さんのあの慌てぶり。これはただごとでは、ない。


  *  *  *


 休憩時間になり、あたしは珍しく、というか初めて追本さんと休憩がかぶることを望んだ。いつもはくだらない話で貴重な休憩時間を吸い取られるのが嫌だったが、今日は違う。あの時、椎田次長と何を話していたのか――。


「ふうぅぅーー」


 来た! さすが、こういうことに関しては、彼は期待を裏切らない。大きなため息と共に、追本さんが休憩室に入ってきた。


「なにかあったんですか?」

「え? わかる?」


 いや、朝のアレを見てなくても、もろバレですよ。そのため息と表情で。


「実はさ、大変なことになった」

「大変なこと?」

「そう。ぶっちゃけ、解約の危機」

「えぇーー!?」


 追本さんの表情は物語っていた。その言葉が、決して誇張ではないということを。


「ど、どういうことですか?」

「やらかしちゃったんだよ。ちょっと詳しくは――」


 追本さんはそこまで言うと、あたりをきょろきょろと見渡した。


「ここでは言えない」

「よっぽどですね」

「前代未聞の事件だよ」


 そうまで言われると、知りたくなるのが人間のさが


「ってか追本さん、店長室に入ってましたよね?」

「あれ、見られちゃったか」

「あの部屋って、なんだったんですか?」

「あれだね。他の人に聞かれちゃまずい内容の話をする、そんな部屋だね」


 うう……。なんか怖い。


「そんなに聞かれちゃまずい話の内容だったんですね」

「まぁね。クレジットカードのさ、渡し忘れってあるじゃん?」

「はい」


 ここビーバーハウスでは、支払いの時にクレジットカードが使える。ポイントカードにクレジット機能がついたものもあり、特にそのカードは渡し忘れる危険性が高い。そして、数あるミスの中でも、クレジットカードの渡し忘れは最もやってはいけないミスだった。それは文字通り、お店の信用問題クレジットに関わることなのだ。


「それのひどい版、だね」

「それって、もしかして窃盗とか……」

「近いけど、そこまではひどくない」

「でも近いんですね」

「うん。今日は草野さんが休みで、取り急ぎ僕が呼ばれて話を聞いたけど。こりゃ窃盗だって言われてもおかしくない状況だったね……」


 そう言うと追本さんはまた大きくため息をつく……のかと思ったら、なんか目輝いてない?


「だけど、この事件の真相は、必ず僕が暴いてみせる。なぁ、ケイロくん」


 ありゃ……またホームズモードに入ってる……。なんなんだろう、定期的に訪れるこの人の探偵気取りは。まぁでも、Eランク取ってさらに追い打ちをかけるように事件が起きて、普通の人なら胃に穴が開いてる状況なのに。ワクワク(?)できるのは良いこと……かな。


  *  *  *  *  *


 結果から言うと、その事件の張本人は数日後退職した。クビではなく、自主退職らしい。まだ入って一ヵ月くらいの若い女の子みたいで(あたしは結局顔を合わすことはなかった)、レジに実際入ったのも数回程度。クレジットカードを渡し忘れてしまって、それをポケットに入れてしまったらしい。研修の時に散々クレジットカードの渡し忘れは絶対しないようにって言われてたので、つい怒られるのが嫌で入れてしまったのではないか、と追本さんは推理していた。本人はまったく無意識でしたって言ってたらしいけど(そっちの方が問題な気が……)。ともかく、お店に迷惑をかけてしまったので辞めます、と言って辞めたみたい。


「ふう……。なんとか事なきを得た」

「やっぱり辞めちゃったんですね」

「だね。これ、表沙汰になったら、本当にやばかった。椎田次長に本当に感謝だね。あの人が次長じゃなかったら、大変なことになってた」

「そうなんですね」

「そうだよー。店長にもうまく言ってくれたみたいで。さっき店長とトイレで一緒になったけど、笑いながら『大変だったねぇ』って声かけてくれたし」


 あの気難しそうな店長がそんな気さくに?! ……男子トイレの事情はあんまり聞きたくなかったけど。


「ともかく、椎田次長にはこれから足を向けて寝れないね」


 追本さんはそう言って胸をなでおろした。


「でも、結局なんて言ってそのお客さんにクレジットカード返したんです? まさかスタッフのポケットに入ってました、なんて言えないですよね」


 あたしがそう言うと、追本さんは固まった。あれ、まずいこと聞いた?


「そのことについては、触れないように」

「はぁ」

「今後も、ここで働きたいならね」


 そう言ってウインクをする追本さん。なに? なにをしたの、この人……。でもことがことだけに、この件に関してこれ以上詮索しないようにした。

 

「でも、今回の件で、改めて一人一人の意識を高めなきゃいけないって思ったね」

「机上研修の時観たビデオにありましたもんね。一人の不正で、その現場自体が解約になったってやつ」

「それだよ。その現場の二の舞になるとこだったわけだ」


 研修の時は、そんなこと起きっこないと軽く観ていたが、現実に自分達がそうなりかけたと思うと、ゾッとする。


「思いやりと勇気のバランスって、わかる?」

「なんですか、それ」

「人間の成熟って、この二つのバランスが取れてることを言うんだよね」

「はぁ」


 成熟……? 人間として完成されてるってことかな。それがたった二つの要素で説明できるっていうこと?


「今回の件、もし、勇気が欠けてて思いやりの割合が多いリーダーが対応してたらどうなってたと思う?」

「うーん。そのミスをした子を全面的にかばってしまう、とかですか」

「イエス!」


 そう言って、いつものように人差指を目の前に出す追本さん。


「そうなると、どうなったと思う?」

「クライアント側からしてみれば、不安になる……っていうか、そんな人さっさとクビにしろって普通は思うでしょうね」

「そう。悪意があってそうやったのではないにしろ、とっさにクレジットカードをポケットに入れるような子をレジに出したくないわけよね。でも、リーダーはアルバイトを守る義務がある。守ってあげたいけどこの場合は……」

「その子をしかない、ということですか」

「その通り。それを勇気と呼ぶのかはわからんけどね」


 追本さんの表情から、笑顔が消えた。


「チームを守るには、時には非情な選択もしなきゃいけないのがリーダーの務めなんだって、勉強になったよ」


 なんか柄にもなく、ちょっとかっこいいこと言ってる。でもそれは本当にそうだと思った。全員が全員、うまくいけば良いんだけど、そんなに世の中甘くないっていうこと。理想論ばっかりを口にする追本さんも、今回ばかりはごまかしようのない現実にぶち当たったようだ。


「もう二度と、こんな過ちは繰り返させないさ」


 そう言ってイスに深くもたれかかる追本さん。


「そのために、『接客三銃士』結成したんだからね」

「そうでしたね」


 先月末に結成した接客チーム。今回の事件のせいで影が薄くなっていたが、あたしも聞き覚えのある面々でインパクトがあった。

 まず上木野笑美うえきのえみさん。彼女はあたしのお母さんくらいの年だけど、それを感じさせないバイタリティを持っていて、この現場唯一の100点メーカー。安定した挨拶動作にぶれない笑顔。チェックサービスの接客基準のお手本のような人。中井咲代なかいさくよさんは追本さんのお母さんと同い年らしいんだけど、すごくパワフル。しつけとか礼儀とかに厳しいけど優しい人。こないだもあたしがちょっと元気なかった時すぐ声かけてくれて、「笑顔で前を向いて! 歩幅を大きく!」ってバンバン肩を叩かれた。最後に下山流須恵しもやまるすえさん。三十代に入ったばかりのキレイなお姉さんって感じ。とても子どもがいるようには見えない! しっかり者で、追本さんの暴走を食い止めているのは彼女らしい。動作も笑顔も自然で、とても基準通りにやってるとは思えないのに、安定してAやSランクを取っている。


「正直さ、もう二度とこんな素晴らしいチームは組めないと思ってる」

「そうなんですか?」

「うん。時代が流れて、メンバーが入れ替わることがあるかもしれない」

「何年もやれば、もしかするとそうかもしれないですね」

「でも、その時絶対に、あの時の三人を超えることができないって、ぼやくと思うんだよね」


 そう言って追本さんはカラカラと笑った。確かにすごい三人が揃ったと思う。だけど、今のところただ接客ランキング上位者を集めただけ。このチームでは何も実績がない。チームとしてちゃんと機能するかもわからない。それなのに、追本さんのその自信はどこから来るのか、不思議だった。そう、まるですべてがうまくいくことを見越しているかのような自信。


「ふふふ……。これから楽しみだねぇ」


 追本さんは、そんなことを考えてるあたしの心をあざ笑うようにそうつぶやいた。彼には一体、どんなビジョンが見えているんだろう。この時のあたしには、まったく想像できなかった。




【2015年5月接客ランキング結果】

42.74/Eランク

171位/176位(全社)


【結果考察】

 例の事件があったせいでモチベーションが下がったのか、今まででワースト3位の結果。接客チーム結成後の結果としては、最悪のスタートだ。しかもどうやら、同じ人がEランクで三回当たったらしい。郷道さとみちさんという、女の人。今後、彼女をめぐって接客チームの奮闘が始まることになろうとは誰も想像できない……はずもなく。まず最初に取り組むべき壁が、目に見えて現れたのだ。

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