2015年3月 宗教勧誘とアドラー心理学

 最近水面下で、追本さんが大変なことになっているのを知った。


  *  *  *


 チェックサービスでは、入らなきゃいけないレジの台数が契約で決まっているので、誰かが突発で休む場合にも、必ず代わりを見つけなきゃいけない。この現場のアルバイトは六十人近くいて、全員の電話番号やメールアドレスを聞くのは大変だという理由で、ライングループを作っている。そこで絶対代わりを見つけてください、ってわけ。

 実はそれとは別で、学生限定の秘密ライングループも作っていた。内海うつみさんという、学生の中では一番長く働いている人が作ったらしく、あたしも当然誘われた。正直言うと、入りたくなかった。こう見えてあたし、一匹オオカミ派なんだ。誰かとつるんで、あーだこーだやるのがほんと嫌い。大学でもそう。そんなんやるくらいなら、少しぐらい寂しくても、一人でいる方が全然マシ。あ、彼氏は別ね。……というわけで、気乗りはしなかったライングループで、あたしはほとんど既読スルーなんだけど、気になる情報が流れていた。


『追本さん、女子高生に手出したって!』

『マジで? やばくない?』

『草野さんに呼び出されて注意されてたっぽい』

『そりゃそうだわ』

『休憩室で見たかも! なんか泣いてるから近づけなかったけど』

『っていうか、私もご飯作ってって言われた!』

『あの人、やばいねー』

『あんな社会人にはなりたくないわー』


 あー。やっぱりこのグループ入んなきゃ良かったって思った。あたしも言われたことあるよ、ご飯作ってって。寂しいんだろうなー。彼氏持ちのあたしにも言ってくるぐらいだから、よっぽどだよね……。そりゃさ、三十代で就職もせず、彼女にフラれて、スーさんにもフラれて、挙句の果てに女子高生に告白してフラれて、借金まである。あたしだって、あんな三十代になりたくないって思ってた。はたから見れば、底辺中の底辺の良い見本かもしれない。

 接客ランキングだって、いまだに底辺だし。口ばっかりの夢追人かもしれない。でもね、なんかわかんないけど、腹が立った。本当にあんたらが言う資格あんの? って思った。なんか矛盾してるのかもしれないけど、理由はわかんないけど、あたし以外の人が追本さんのことを悪く言ってるのが、無性に気に食わなかった。ほんと、意味わかんないけど。

 ともかくその件で、辞めさせられるというわけではなかったみたいだが、逆に追本さんが辞めるって言いだしたみたいで、大変だったらしい。そりゃそうだよね。でも草野さんの説得で踏みとどまったらしい。先月いっぱいでスーさんも辞めてしまったし、追本さんが告白した茉莉ちゃんも来月で辞めるみたいだから。ここで踏ん張んないと、本物の負け犬になっちゃうよ。みんなにボロクソ言われたまんまで逃げてほしくないよ――。


  *  *  *  *  *


「ケイロくん、現金払いおじいちゃん、知ってる?」

「はい?」


 いつも通りかぶった休憩で突然、追本さんがそう言ってきた。


「ポイントカード出されてさ、『お支払いは現金でよろしいですか?』って聞くじゃん」

「聞きますね」

「そしたら絶対『いつもニコニコ現金払い!』って元気よく応えてくれるおじいちゃんがいるのね」

「んー、見たことないですね」

「そっか。こないださ、そのおじいちゃんの家に行ってきたんだよね」

「はい??」


 まったくこの人は、なんでそう斜め上のことをやるんだろうか。普通お客さんの家に行く? そんなんばっかりやってるから、みんなにボロクソ言われるんだよ。


「話せば長くなるんだけど。家に行く前に実は何回か食事に誘われててさ。行ってたんだよね」

「なんでおじいちゃんに誘われるんです?」

「いやー、なんか知らないけど、年上と年下にはモテるんだよね」


 年下と年上って言ってるけど、実際には、老人と子どもってだけの話。あとついでに犬にも結構好かれている様子を見たことある。


「それでさ、奥さんまで連れてきて」

「はぁ」

「なんだろうって思うじゃん?」

「ですね」

「そしたら、二人がかりで宗教に勧誘されちゃってさ」

「しゅ……? ええーー?」


 ほんっとに期待を裏切らない、この人……。ほいほい誘われて行くような人だから、そんなのに勧誘されちゃうんだよ!


「それで、どうしたんですか?」

「もちろん、断ったよ。僕には僕の教義があるんでって」

「はぁ……」

「でも熱心に話を聞いてたせいか、何回もしつこく誘われて。ずっと断り続けたんだけど……」


 お人好しはつけこまれるという、好例だ。


「終いには、『あんたの人生つまらんな』って言われて。さすがにカッときたから、もうお会いすることはないです、って強く言っちゃったのね」

「そりゃ、誰だってそんなこと言われる筋合いはないですよね……」

「でもさ」


 追本さんは少しだけ寂しそうな表情をしながら、続けて言った。


「こないだ、奥さんが亡くなったから、線香あげに来てくれないかって言われて」

「え……」

「そんなん言われたら、行かないわけにはいかないでしょ」

「それは……微妙ですね」


 見ず知らずの、ましてや宗教に勧誘してきて、自分の人生も否定するような人の家に線香あげに行く人なんて。そんなの今まで聞いたことも見たこともないけれど。


「家にあがって線香あげて、ご飯もごちそうになったんだけど」

「もはや家族の一員ですね」

「部屋中に奥さんとの旅行の写真が貼ってあったのよ」


 これは、どうリアクションすれば良いのか、さすがのあたしにもわからなかった。


「それ見ながらさ、あの時は初めての海外で……とか、旅行の思い出を聞かされて。そうなると、僕の人生を否定された時のことなんてすっかり吹っ飛んじゃって。寂しい気持ちでいっぱいになったんよね」

「奥さんとの思い出が、忘れられないってことですかね」

「そうだろうね。そのおじいさんも、元々宗教とか信じる方じゃなかったらしいんだけど、奥さんに誘われて入ったらしい」


 うーん。複雑。


「僕がそのおじいさんの若い頃に似てて頑固だから、自分が宗教に入って幸せになったみたいに、僕にも幸せになって欲しいんだって」

「そこだけ聞くと、良い話ですね」

「まぁね。僕も別に宗教を否定するわけじゃないんだけど、何かにすがるってことだけはしたくない。自分の力で、成功したいよね」

「それは、わかります」

「んで、帰りに奥さんが大事にしてたっていう本をもらった」

「ええーー!? そんなの、もらわないでくださいよ!」


 それ、おじいさん全然諦めてないじゃん……勧誘するの。


「まぁまぁ。何か今後の役に立つかもしれないしさ」

「そういうもんですか」


 なんでもかんでも、良い方に受け取るのだけが追本さんの特技だと、改めて確信した。


「アドラー心理学にさ、『価値低減傾向』っていうのがあるみたいなんだけど」


 急にまた、難しそうなことをぶっこんできたな。


「他人の価値を下げることで、優越感を得ようとするってことなんだけど。おじいさんが僕の人生を否定してきた時、まさにこれだって思ったんよね」

「ですね。追本さんを不安にさせるっていう目的もあったかもしれないですけど、自分は正しいっていうのを誇示したかったのかも」

「だけどさ……」


 追本さんは遠くを見つめながら、言った。


「本を持ち帰った僕もまた、同じなのかもしれんね」

「え……? どういう……」

「そうそう! そういえばクッキー焼いてきたんよね」


 へ? クッキー? あ!


「ホワイトデーですか」

「そうそう。ケイロくんにももらったじゃん?」


 そう言って追本さんは休憩室を出ていった。確かに追本さんにもバレンタインデーの時、チョコをあげた……けど。チロルチョコの詰め合わせ(百円)。すぐに戻ったかと思うと、その手にはラッピングされた小さな袋をいっぱい持ってきた。


「これ、追本さんが焼いたんですか?」

「そうだよ! 今朝早く起きてね。バターがなかなか溶けてくれなくて苦労したよ」

「女子力高いですね……。あたしですら、彼氏にあげたの手作りじゃないのに」

「はっはっは! そうだろう? 僕、絶対良いパパになれる自信あるんだけどなぁ」

「相手がいないのに、準備だけは万端ってわけですね」

「言うなぁ……ケイロくんよぉ……」


 追本さんはそう言ってしょんぼりした。

 意外にも、追本さんが焼いたクッキーはめちゃくちゃおいしかった。悪い人じゃないし、こんな特技も持ってるのにできない人はできないもんだなー。結婚。でも、あたしに仮に彼氏いないとしても、なんかこの人とは結婚できないっていう、本能的ななにかを感じる。なんだろう? ま、いつか良い人見つかるよ! がんばれ、追本さん。




【2015年3月接客ランキング結果】

53.83/Dランク

154位/162位(全社)


【結果考察】

 わー。Eランク取得者がまた9人に増えてる……。あたし、結構がんばってるつもりだけど、一回も当たったことがない。もうここに来て、丸二年経つのに……。どういう基準で見られてるんだろう。唯一のSランクは上木野さん。そしてこの三月で、長く続けてた学生が一気に卒業する。いつもEランクを取っていた内海さんもその一人だ。結局古参のメンバーは接客ランキングが改善することはなかった。業務的には仕事ができる人達がいなくなってピンチだけど、接客を新しい方向に向かせるにはチャンスなんじゃないかな。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る