2015年2月 アファメーションと苦悩

「私は偉大なリーダーである。私は偉大なリーダーである。私は偉大な――」


 なんか、聞いてはいけないものが耳に入ってきた。出勤のタイムレコーダーをスキャンしようと事務所に入ったら、目の前で追本さんがぶつぶつとつぶやいていたのだ。


「お、おはようございます」

「あ、おはよう! ケイロくん。今日の調子はいかがかね!?」

「まぁ、ボチボチです」


 ほっ。あたしが聞いてしまったことは、気づかれていないようだ。


「最近さ、アファメーション始めたんだよね」

「なんですか? そのイタリアのデザートみたいなの」

「いやー、あれね。甘ーいアイスに苦ーいエスプレッソがたまらんよね。しょっぱいものと甘いものを一度に食べたいという人間の究極の欲求を満たす最高の……って違う!」


 確かに、しょっぱいものを食べた後、甘いものが食べたくなり、甘いもの食べたらしょっぱいもの……という、あの恐怖の無限ループはなんなんだろう。


「アファメーションってのは、自己暗示法の一種だね」


 自己暗示って……。なんかこの人、どんどん怪しげな方向へ向かっているなー。


「自己暗示っていっても、催眠術とかじゃないからね」

「そうなんですか」

「人間の意識って、二種類あるって知ってる?」


 二種類? そもそも人間の意識について考えたこともない。


「知らないですね」

「顕在意識と潜在意識の二つなんだけど。普段僕らが使う意識っていうのが、顕在意識の方なんよね」

「そうなんですか」

「そう。考えたり思案したり……あ、一緒か」


 くそっ。あたしが突っ込もうとしたのに、自分で突っ込まれた。


「要するに、心の中で考えてることが顕在意識。そんで、俗に言う無意識ってやつが潜在意識だったりするんよね」

「それと自己暗示が、どう関係があるんです?」

「良い質問だ!」


 そう言って追本さんが人差指を立てる。


「氷山の一角っていう言葉があるでしょ?」

「それは知ってます。表に見えてる何倍もの体積の氷が、海の中に隠れてる。つまり、目に見えてる部分は全体の一部分でしかない、ってやつですよね」

「それそれ! よく知ってるじゃん! この二つの意識の関係は、まさにそれ」

「見えてる方が顕在意識、ということですか」

「イエス!」


 あれ? 正解なの? 無意識の方が言葉の響き的に隠れてる方だと思ったからそう答えたけど。体積的には普段考えたりする方のが大きいでしょ、どう考えても。


「これがポイントでさ。顕在意識って、潜在意識のおまけみたいなもんらしいよね。つまり、自分達の思考や行動はちっぽけなもので、実際には、ほとんど潜在意識に支配されてるって言っても過言ではないってこと」

「ほんとですかー?」

「ほんとだよ。そんで欲求……いや、自分への要求を言葉で潜在意識に染み込ませるのが、アファメーションってわけね」

「へぇー」


 そんなので本当に潜在意識に浸透させられるんだろうか。あれ、でもちょっと待って。


「でも、潜在意識に染み込ませたらどうなるんです? どっちかっていうと、顕在意識でバリバリ意識していった方が良い気がしますけど」


 あたしがそう言うと、待ってましたと言わんばかりに、追本さんは満面の笑みを見せた。ってか、そのむかつく程の良い笑顔、お客さんに出して欲しい。


「それなんだよねー。じゃ、聞くけど、毎日毎日頭の中で自分の欲求を繰り返してたらどう?」

「やばい人ですね」

「でしょ? つまり、潜在意識に働きかけることで、自動的にそういう意識とか行動ができるようになるってわけね。頭の中で考えなくても」

「つまり、偉大なリーダーであるっていうのを潜在意識に定着させると――」

「そう! 自然と偉大なリーダーとしての振る舞いができるように……って」


 あ、やば。


「やっぱり、聞いてた?」

「え? なんのことです?」

「なら、良いんだけど」


 なんとかごまかせた……かな。でも、無意識でそういう行動とかできたら、楽だろうなー。常にいろいろ意識するの、しんどいもん。かといって、さっきの追本さんみたいにぶつぶつ言うのはなんか嫌だから、たぶんやらないと思うけど。


   *  *  *  *  *


「クレーム、ですか?」

「そう。また資材館」


 追本さんはそう言うと、頭をガシガシかいた。『また』というのも、理由わけがある。資材館はその名の通り、いわゆるブルーカラーのお客さん向けの商品がたくさん置いてある。こう言っちゃなんだけど、あそこに買い物にくるお客さんは粗暴な感じの人が多くて、正直あたしも一人で資材館のレジに入るのは怖い。ちょっと領収証を出すのを忘れただけで怒鳴られたこともあるし。心が弱い人はポッキリと折れちゃうと思う。なので、クレームの一歩手前みたいなのはほぼ毎日のように発生していた。


「またいつもの感じじゃないんですか?」

「まぁ、そうなんだけど。今回かなりお客さんキレててねー」


 追本さんはそう言うと、エプロンのポケットから紙を取り出し、なにやら描き始めた。


「ほら、資材館の入口と、出てすぐ外の小屋とで二つレジあるじゃん?」

「ありますね」

「そのクレームもらった高校生の子が外の小屋だったんだけど、何人か並んでたわけ」

「はい」

「そしたら、打ってる商品の中に売価不明の商品があって。お客さんが自分で値段を見に行ってくれたんよね」

「良いお客さんじゃないですか」


 売価不明、というのは、商品のバーコードが取れてたりして、商品登録ができない状態のこと。資材館では結構頻繁にあるから、本当に困る。マニュアルでは、売場担当者を呼び出して対応することになってるけど、たまにこうやってお客さんが見に行ってくれることもある。


「そのお客さんは、ね。問題は、その後に並んでたお客さんだよ」

「めっちゃ待たされて怒ったとか?」

「それもあるけど、さらに悪いことに、休止板(レジを止めますと書いてある板)を出して、すぐ近くのもう一つのレジに案内しちゃったのね。時間がかかるんであっちお願いしますって」

「え? マニュアル通りの対応じゃないですか」

「それがねー。運が悪いことに、もう一つの資材館入口の方のレジも混んでたんだよね」


 あちゃー。そういうことか。めっちゃ待たされてイライラしていたところに、さらに案内されたところも混んでてまた待たなきゃいけない。そりゃ、誰だって怒るわ……。


「それでそのお客さんガチキレて、『店長呼べ―!』って怒鳴り始めて。結局次長対応になったよね」

「うわー……」


 最高位のクレーム対応、それが『次長対応』だ。ビーバーハウスでは、次長と呼ばれる役職の方(実際にどういう業務をしているのかは知らない)が三人いて、それぞれ三つの館(生活館、資材館、ガーデン館)を守っている。店長がクレーム処理することはほとんどなく、面倒なことはどうやらこの次長達が処理をしていたようだった。


「結局何が悪かったって、無意識にマニュアル通りの行動をしてしまったことなんよね」

「でもそれって、普通じゃないですか」

「そう、普通。だけど、状況が普通じゃなかった」


 ?? あたしには追本さんの言わんとすることが、いまいち掴めなかった。


「確かにマニュアルでは、売価不明とか商品対応で時間がかかる時には、休止板を立てて他のレジに案内するってことになってる」

「ですよね」


 すぐ終わる対応ならまだしも、いつ終わるかわからない対応に関しては、そうしないと次のお客さんをいつまでも待たせることになるからだ。


「でもその時はいろんな状況が絡んでた。外のレジに並んでたお客さんはこの時期ですごい寒かっただろうし、順番に並んでたのに突然レジ止められたし、挙句の果てに、あっち並んでくださいって定型文のように言われた先はさらに並んで待たなきゃいけなかったし」

「それは確かに、お客さんにしてみれば理不尽だと思いますね……」

「だよねー。すごい並んでて焦ってたっていうのがあると思うんだけど……。心の中にマニュアルじゃなくて『お客様を想う気持ち』があったら、また違ったと思うんだよね」


 お客様を……思う?


「こういう状況ではこうしなきゃいけないっていうマニュアルは、確かにムラのないサービスを提供できるかもしれないけど、イレギュラーな時には、その人の人間性がダイレクトに現れると僕は思ってるんだよね」

「焦ってたら確かに、素が出ますもんね」

「そう。だからこそ、無意識レベルでの『お客様を想う気持ち』を養わなきゃいけないなって、今回の件で痛感した」


 追本さんはそう言うと、ぎゅっとこぶしを握り締めた。

 あたしには正直、この問題はまだ難し過ぎると思った。お客さんを想うって言われても……。赤の他人であるお客さんに対して、そこまで気持ちは込められない。少なくとも、今のあたしは。追本さんは本気でそれができると思っているんだろうか。あたしにも、いつかそうできるようになる日が、来るんだろうか。それはわからない。ただ、顕在意識のレベルでも、あたしはまだ他人は他人だという考えを変えようとは思えなかった。 




【2015年2月接客ランキング結果】

53.26/Dランク

142位/160位(全社)


【結果考察】

 今回もEランク取得者は6人。クレームをもらった例の高校生の男の子もEランクだった。偶然かもしれないけど、ランクの低い人ほどよくクレームをもらっている気がする。接客への意識の低さ、これがランクに影響していることは間違いないと思うけど。人の意識を変えるなんてこと、ほんとにできるんだろうか。

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