2014年8月 諦念
「ケイロくん、僕は決めたよ」
「急になんですか?」
今日は追本さんとバイト終わりにご飯を食べに来ていた。というより、無理矢理連れてこられた。
今年のお盆は実家に帰らず、がっつりバイトに出た。今月後半に彼氏が
「いろいろさ、考えたんだよね。パソコンも壊れたし」
「はぁ……」
「今月のセールも忙しかったよね」
「そうですね。八月のセールはやっぱ混みますね」
ビーバーハウスでは不定期にセールをやっている。対象商品が5%~10%割引きされるだけなんだけど、なぜか毎回お祭りみたいになる。レジは常に長蛇の列。あたしからしてみれば、時給も上がるし、セール様様なんだけど、追本さん達リーダー陣はいろいろと大変みたい。セールも終わって落ち着いてきたはずなのに、ビールの減りは遅い。
「六月にさ、僕が音楽イベントやった時、トランペット吹いてた子がいたじゃん?」
「はい。背がちっちゃくてかわいい人ですね」
「そう。あの子のワンマンライブ行ってきたんよね」
「すごいですねー! ワンマンライブとか」
「まぁ、キャパ小さめのバーでやってたんだけど、満員御礼だったよ」
あのイベント以来、少しだけインディーズ音楽に興味がわいて、少しはあたしも業界用語? みたいなのがわかるようになっていた。キャパというのは、キャパシティのことで、その会場に何人入れるか。当然数字が大きいほど、大きな会場ってことになる。対バンっていうのは、バンドやアーティストが複数集まって、順番にそれぞれのライブ演奏をすること。ワンマンっていうのは、一組のアーティストが最初から最後までずっとショーをやること。対バンはたいてい他のアーティストの集客を目当てにしてる人達が集まってしまうので、出演者の方が人数多いなんて悲惨なことによくなるらしい。逆にワンマンは、お客さんを呼べる人しかできない(やる意味がない)ので、ワンマンライブができるというのは、集客力があるという一つのステータスにもなるみたい。いろいろ大変よね、音楽業界も。――というわけで、キャパが小さくても、ワンマンライブができるっていうのはすごいことなのだ。
「どうでした?」
「楽しかったよー。手料理を振る舞ってくれたり、お礼の手紙とお土産もあったり。もちろん、ライブ自体も良かった。他とは違う演出ができてて、すごいなーって思ったよ」
「へー! 音楽聴ける上に手料理まで! すごいですね。それで、追本さんは最近どうなんです? チルさんとしての活動は」
追本さんはチルという名前で、シンガーソングライターとして活動している。そういえば、それからの活動報告を聞いてない。いつもならライブやるよーって声かけてくるのに。
「そのことなんだよね。決意っていうのは」
すっかり冒頭の話を忘れてた。そんなこと言ってたなー。結構引っ張ってくれたけど、なんだろ。なんだか、あまり深刻そうな雰囲気ではない。
「音楽さ、辞めることにしたんだ」
「へー、そうなんですか」
なーんだ、辞めるのか……って! え!?
「辞める? 辞めるって言いました!?」
「そう。きっぱりとね」
突然過ぎて、意味わかんない。
「だって、こないだまで音楽で絶対稼ぐためにいろいろ考えてるとかどうとか、言ってたじゃないですかー!」
「その時はね。でも、諦めたんだ」
「夢って、そんな簡単に諦められるもんなんですか?」
もー。いつもそうだけど、今日は特に! 言ってる意味がさっぱりわかんない。そんでさっきまでスローだったはずのビールの進み具合も急に加速し、おかわりを頼みだす始末。
「僕ね、音楽やり始めてから18年くらい経つけど、いつの間にか縛られてたんだよね。音楽をやり続ける自分っていうのに」
追加で頼んだビールが来ると、またちょびちょび飲み始めながら追本さんは語り始めた。
「いや、正確には、酔っていたと言っても良いかもね。年を取るにつれ、昔からの仲間はどんどん音楽を辞めていって気づけば、この年になって本気で音楽活動をしてるのはほんの数人。それも、成功して売れてる人なんていないし。そんな中、僕は諦めずに続けてるぞーって。意地になってたのかも。けど、事務所に入って現実の厳しさを知って。だったら自分でって思って、小規模でも音楽をビジネスにするってことも勉強もしたけど、やればやるほどむなしくなって……。あの時のイベントも、本当に喜んでもらうためにいろいろ考えて、気持ちの面では成功だったけど。実際問題、あのままじゃ食っていけんよね」
そうなんだ。楽しそうにやっているように見えたけど……。金銭的な面では成功ではなかったんだ。
「そんで、ずっと悩んでたんだけど……。この前、たいして親しくもない人にこう言われてね。『今音楽を辞めて、困る人はいるんですか?』って」
「困る人……ですか」
「そう。例えばさ、ファンがいっぱいいる有名なアーティストとかが引退したらさ、悲しむ人いっぱいいるじゃん」
「そりゃ、まぁ……」
「だけど、僕のファンって、いないんだよね、一人も」
それまで淡々と語っていた追本さんだったが、その一言はなんだか寂しそうに言った。
「でも、応援してくれる人はいるじゃないですか! あたしだって……」
「ありがたいことに、そういう人達がいることはもちろんわかってるよ。でも、それはアーティストとしてのチルじゃなくて、追本知昼という一人の人間を応援してもらってるんだなって、最近気づいたんだ」
「それは……」
そう言われれば、そうだった。あたしはバイトで知り合った追本さんだからこそ、応援したいとちょっとは思ってる。これがもし、たまたまライブ見に行って、アーティスト『チル』を知ったとして。応援したいかというと、それはない。曲も好みではないし、ルックスだって……以下同文。
「……でしょ?」
あたしはどうもフォローのしようがなかった。
「気にしなくてもいいよ。これが真実! ……っていうことに、やっと正面から向き合えるようになったと。そういうわけなもんでね」
そう言って、ビールジョッキを口元にやると、ぐいぐいっと飲み始めた。その表情はどこか晴れやかで、なにかが吹っ切れたように見えた。そっか。これが、夢を諦める瞬間ってやつなのかな――。
「これからは、違う目標に向かって、突っ走るさ!」
あれ……?
「普通こういう場合って、夢を諦めて就職する、とかじゃないんですか?」
「誰もそんなことは言ってない」
「はぁ……」
「音楽というツールを諦めただけで、また違うツールで夢は追い続けるってわけよ!」
開いた口がふさがらないというか、心配して損したというか。人はそう簡単には変わらないってことなんだろう。ただ、なぜだかわからないけど、妙な安心感を感じる自分がいた。
「それじゃ、次の夢があるってことですね?」
「当たり前じゃん! 僕から夢を取ったら、何も残らんよ」
おっしゃる通り。追本さんは夢を追っているから、追本さんだ。ってか、この人がサラリーマンやってる姿、全然想像できないもん。
「そういうわけで、これからもよろしく! ケイロくん」
「頑張ってください。陰ながら、応援してます」
まぁ、応援というか、この人がこれから何をやらかすか、見ているのは楽しいけれども。とりあえず、応援ということにしとこう。
* * *
「5963円のお会計になります」
「はーい」
追本さんは会計の金額を聞いて、財布を開いた。と、次の瞬間。さっと酔いが醒めたかのような真剣なまなざしで、あたしを見つめてきた。
「ケイロくん」
「はい?」
「今日は2000円で、良いよ」
「……はい……どうも」
おごりじゃないんかーい!! 無理矢理連れてこられて、あたしジュースしか飲んでないのに。本質的に変わっていなくても、少しは大人になったのかな、と思っていたけど。せめてここだけは変わろうよー。……なんて、言えるわけもなく。ため息をもらさないように気をつけながら、渋々千円札を二枚、追本さんに手渡した。
【2014年8月接客ランキング結果】
43.60/Eランク
144位/151位(全社)
【結果考察】
え……? 何が起こったの? 先月過去最高点を更新したと思ったら、今度はまたEランクが10人! これって、過去最高の数なんじゃ……。この転落の原因を、追本さんはちゃんと追究しているのだろうか。この現場、本当に点数の振り幅が大きい。つまり、基盤ができてないってことよね。新しくやるって言ってたことも、まだ形になってないみたいだし、どうなるんだろう。
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