2014年5月 トランスフォーメーション
「やっぱすごいよ、原田さんは!」
五月に入って急に温度を上げてきた太陽に負けず劣らず、追本さんの目はギラギラと輝いていた。
「ってか、なんですか? その、すごいよマサルさん的なノリは」
「……いや、それよりケイロくんがマサルさん知ってることにびっくりだよ」
「読んだことはないですけど、タイトルだけ知ってたんで。それより誰ですか?」
「ん、あぁ。原田さんね! 原田隆史さん」
誰だろう? まったく聞いたことがない。
「教育関係の人でね。ケイロくんもほら、教師目指してるなら知っておいて損はないと思うよー」
「へぇー。もしかして、またセミナーですか?」
「ビンゴ!」
そう言って追本さんは、ゴソゴソとカバンからB4くらいの紙を引っ張りだした。
「今回のセミナーはちょっと高かったんだけど、まじで行って良かった! これは原田さんが実際に生徒にやらせていた目標設定シートだよ」
「目標設定シート、ですか」
その紙には大きめの紙にも関わらず、びっしりと書き込みがしてあった。日誌のようになっていて、この日はこれを頑張った、これが足りなかった、とか。
「これを中学生にやらせてたっていうから、すごいよね」
「それは確かに……」
中学生でこれだけ文字をびっしり紙に書いた記憶、あたしにはない。確かにすごい。
「これからの時代はね、IQじゃなくて、EQのだよ」
「EQ?」
そう言って頬を紅潮させる追本さん。IQなら聞いたことはあるが、EQとは初耳だった。
「そう。IQはよく聞くよね。インテリジェンス・クオーシェントの略で、知能指数とかって意味かな」
「はい」
「んで、EQはエモーシャル・インテリジェンス・クオーシェントの略で、人格とか人間力のことなんだ」
「へぇー」
人間力……? 人格はまだわかるけど、人間力ってなんだろう。
「僕が探し求めていたのは、まさにこれなんだよね」
「それで、人間力ってなんですか? 人力車的な?」
「そうそう。やっぱりこのエコの時代、ガソリン車はないよねー。太陽電池も風車も邪道! 時代はやっぱり人力車……って違う!」
いや、あたしは本気でそう思ってましたけど……。
「つまり、品格とか徳とか、そういうやつ」
「能力がどうとかじゃなくて、良い人どうかってことですか」
「そう! それだよ、ケイロくん!」
そう考えると、追本さんは確かに嘘ついたりとか人を傷つけたりはしてないように思う。ときどき殴りたくなるほど、むかつくことはあるけど。
「そもそも挨拶ができない人、増えてるからね。まずそこからなんだよね。それでさ、指導をする上で、まず何をすれば良いと思う?」
指導する前にすること? なんだろう……。
「準備運動とか、ですか」
「うーん、近い!」
「近い? ストレッチとか」
「それ、ほぼ一緒!」
「え? じゃあなんですか?」
すると、追本さんは自分の水筒をつかんでひっくり返した。
「心のコップを、上向きにすることだよ」
「それ、下向きにしてますよ」
「……。あ、あぁ。こうね」
そう言って、慌ててさっきひっくり返した水筒を元に戻す。いまいちかっこつかない人だなー。
「その前に、心のコップってなんですか?」
「受け入れる姿勢のことさ」
「??」
「つまりはね、指導しようする側はみんな良いこと、ためになることを言ってくれるわけでしょ?」
「はい」
「でもさ、よっぽどのマニアじゃない限り、それを喜んで聞いて自分の成長に繋げようとか思わないわけさ。ケイロくんも経験ない? 先生とか親に、将来のためになるからこれしなさいあれしなさいって言われたこと」
「ありますね」
それはイヤというほど。小さい頃はピアノを習わされていたし、高校時代のソフトボールもそう。全部親に言われてやっていたことだ。将来のためにって。高校の先生に女優になりたいって勇気を出して言った時も、まず反対された。その時にあたしは確信した。大人って、自分達の価値観を押し付けて、子供の声は聞いてくれないんだって。夢に向かって挑戦することを、応援してくれない。でも、それはあたしのためを思って言ってくれている、ということももちろんわかってはいた。わかってはいたけど、心から納得はできていなかった。
「ならわかると思うけど、アドバイスはありがたいけど、自分のことは自分で決めるよって思わない?」
「はい。思います」
「先生も親もいろんな経験をしてて、子供達にはできるだけ苦労はさせたくないって思うから、正しい道を進んで欲しくて言うんだよね」
「それは……そうだと思います」
「でもほとんどの大人は、コップがまだひっくり返ってるのに、指導とかアドバイスっていう水を注ごうとするんだよね」
「まぁ、水筒だとフタも開けないといけませんし」
「身もフタもないこと言うなぁ」
……こういうことを言うから、ときどき老けて見えるんだな。このおっさんは。
「……で、どうやったらそのコップは上向きになるんです?」
あたしがそう言うと、追本さんはうーんと腕を組み始めた。
「毒を抜き、夢を引き出す。……ということらしいんだけどね」
「つまり?」
「話を聞いてあげるってことさ。不満に思ってることとか言いたいこと全部言ってもらって、全部出たら今度は夢とか未来について語ってもらうことだね」
夢、未来。あたしは、あの時先生に語って否定されて以来、それを封印している。だってもう、笑われたくないから。
「――追本さん、もし聞いてもしゃべってくれなかったらどうするんです?」
「それが普通さ」
「え? でも聞かないと……。言ってもらわないと始まらないじゃないですか」
「だってさ、もしうっかり自分の夢とかしゃべって笑われたら嫌じゃん。だから普通は夢とか簡単にしゃべらないと思う。だからまず……」
そこまで言って追本さんは組んでいた両腕を、机にゆっくりと置いた。
「自分が
「え? コンボイですか?」
「いや……だからなんでそういうの知ってるの、ケイロくん……。僕と一回り以上違うのに……」
これはたまたま、父がプラモデルを持っていたから知っていただけ。
「ともかく! 教える側がどんなに良いこと言っても、正しいことを言っても、相手を変えることはできない。でも、自分が変わる姿を見せて、変わることは怖くないってことを教えることなら、できる」
そういう、もんなのかな……。言ってる本人は、なにか変えたんだろうか?
「というわけで、僕も今月、トランスフォームの第一歩として、音楽事務所辞めたんだよね」
「え? あの怪しい事務所、ついに辞めたんですか?」
「うん。いろいろ勉強にはなったけど、アフィリエイトとか僕無理だし、セミナーとか来ないとCD出させないって言い始めてね。もうついてけないって思って、辞めちゃった」
ほらー! やっぱりそうなるんじゃん!
「50万円は、どうなるんですか?」
「もちろん、返ってこない」
「訴えた方が良いんじゃないですか?」
他人事だけど、身近にだまされた人がいると思うと、やっぱり気分悪い。
「いや、良いんだよ。この事務所に入らなければ見えなかったものがいっぱいあるから。むしろ感謝してる。大学に四年通ったと思えば、安いもんっしょ」
「そういうもんですか……」
本当にこの人はお人好しというか、無駄にポジティブというか……。どうやったらそういう発想ができるのか、あたしには理解できない。
「あ、いたいた」
休憩室にそう言って入ってきたのは、リーダーの草野さんだった。
「追本くん、朗報だよ」
「え? 何ですか」
「なんか、今期から接客指導の時間積極的に作って良いって。ほら、社員の藤市さん、いつも連絡くれるの遅いから……」
「まじっすか!」
うそ……。本当に、やってしまった。こないだ
「これも原田さんの言葉なんだけど……」
草野さんが休憩室から出ていくのを見送った追本さんは、
「『仕事と思うな。人生と思え』ってね」
そう言って、あたしにウインクをしてきた。
まずは自分が変わる。そう言っていた矢先の出来事だった。
【2014年5月接客ランキング結果】
44.94/Eランク
140位/146位(全社)
【結果考察】
今月もまたEランク取得者9人。全体もEランクに後戻り。そんな中、一人だけずっとSランクを取っている人がいるみたい。上木野さんという人だ。何度かあいさつだけはしたことあるけど、笑顔がすっごい素敵な女性。こういう人もいるのに、なんだかもったいないなって思ってしまう。
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