第5話 お嬢様とヲタク、水と油の如く
アタシの小さな引っ越しは速やかに実行された。
幸い、下宿を経営するおばあさんは細かいことを追求せず、下宿賃を黙って受け取るだけだった。
それよりも、先生の奥さんによる引き留め工作がかなり堪えた。
今もたまにおかず持って来てくれては、家事やり方を教えてくれる。
しかし、目下のアタシの興味は大学生こと、実習生に釘付けだった。
アタシにとっては新鮮過ぎる存在だったのだ。
「……実習生、女子高生の横で何してんの?」
「女子高生をひん剥いてふん縛って陵辱するゲーム」
実習生こと大学生は、万事そんな調子だった。
「はぁ? 高校教師目指してんのに?」
実習生はただ、アタシに蔑むような目を向ける。
「はぁ? 現実と虚構の区別もつかないの? 心療内科行く?」
「ぐ……」
確かに、これが現実であるはずはないか。
極彩色の超立体的ヘアスタイルに、腰がばっちりくびれてて二の腕も細いのに、バスケットボール大の乳がぶら下がっているなんてどんな豊胸手術受けたんだコイツ。
まぁそんな高校生が現実にいるはずがない事だけは確かだ。
なんとも居づらいので、自分の寝泊まりしている部屋に戻る。
部屋は狭かったが、十分だった。納戸から物を出しただけの、窓がない部屋だった。
襖と違って扉は鍵がかかる。
隣に変な大学生はいるけれど、漫画が沢山置いてあって、しかも黙って借りて良いというのだから、アタシにとっては夢のような空間だった。
しかもいちいち廊下に出なくても、薄っぺらい押入れの板を外せば出入りできる。
とはいえ、夜の恐ろしさは変わらなかった。
眠気が限界を迎えるまで漫画を読み続け、気絶するように眠るより無かった。
「ねぇ、実習生」
「……なんだねJK?」
大学生を『実習生』と呼ぶのは、この大学生にそう呼べと言われたからだ。そして、アタシは『JK』と呼ばれていた。
彼なりに、アタシに対して距離を取ってくれているんだろう。
でも、アタシはその距離感に限界を感じ始めていた。
「ねぇ、いい加減JKって呼ぶのやめない?」
もう何度も繰り返した質疑応答を繰り返す。もう少し親しくしてくれてもいいのに。
冷たすぎる奴。
「オッパイJK」
「気にしてるっつってんだろ!」
「オヤジスキーJK」
「……JKでいい」
心底私の事が好きではないらしい。まぁ、いやらしいゲームをプレーしていても、アタシが近くにいたら、男がしなくてはならないという行為も出来ないからだろう。
実習生の軽口で、少しだけ緩んだ気持に任せて目を閉じた。
しかし、悩みはもう一つあった。
会いたい。父でも母でもなく、妹に会いたかった。
でも、理性の上では二度と会いたくない。きっと、アタシに怯えた目を向けてくる。
それが恐ろしかった。
鍵のかかる扉の方が好きだが、襖には襖の良さもあった。
三日に一度は、妹が自分の布団に潜り込んできてくれた。その温もりは、恐らく二度と味わえない。その事実に気付かされて、寂しさに苛まれ、枕カバーに水滴がついていく。
でも、すぐ近くに誰かが寝ている事に慰められた。
その人物は絶対自分に危害を加えて来ない。
学校へ行けないアタシのために授業までしてくれて、今のように辛くて震えていると、こちらの部屋に来て、額に手を置いてくれて、息が詰まると肩を揺すって起こしてくれた。
携帯のバイブ音が響き、額に乗っている手が離れる。最新の綺麗な写真が撮れるカメラ付き携帯は羨ましかった。
手が離れると、手足の先が冷えていくような感覚に陥いってしまう。アタシは、自分一人で生きていない。生かされている。そう思わざるを得ない瞬間だった。
今アタシが実習生に貢献しているのは、部屋の掃除と、この下宿の炊事の手伝いを少しだけ。情けなくて涙が出そうだ。
「JK、指令を与える」
だから、こう言われたらなんでも従う。大抵小さな事だけど。
その内禁欲生活に見境が無くなって抱かせろとか言われたら、胸くらい揉ませても良いかなとは思うけど、その展開は今後も無さそうだ。
「明日、俺は重要な儀式に出席するが友人が来れなくなった。空席を作るのは失礼至極である! 会場は車で一時間程故、知り合いには会わぬ!」
突然武士のような口調で話すのは何なんだ。
だけど、人目を気にせず外を歩けるなら何でも良い。それに、この実習生は信じられる。もう二週間近く、アタシに何の興味も抱かない。先生と同じだ。
それに、教育実習期間が終わると、就職活動にボランティア活動が忙しくなるらしく、例えアタシがこの下宿に残ったとしても、もうアタシに授業をしてくれる余裕が出来ないと言っていた。そうなったら、アタシもなんとか学校に戻るより無いだろう。
だけど、明日に限っては、一緒に出掛けられる。
アタシの両目はごく自然に閉じられた。
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