第4話 白銀世界フェルマータ ①
コロニー中に流されたフリージア――カトレアの映像。
あれは確かにカトレアだった。服装も初めに出会ったときのものだった。
つまりは夏のあの日、カトレアは《季節の塔》から逃げ出して。貧民街と知っていたのかどうかは分からないけども、そこで力尽きて倒れていたところで、廃教会に住んでいた子供たちが見つけたらしい。
ディスプレイからは放送が繰り返し流されていた。今となっては出歩く人も減っているし、同じように外で放送を見ている人は少ないだろうけど……きっとこの調子だと、各々の家にあるテレビからも流されていることだろう。
『春の女王を見つけ出し、連れてきたものには好きな褒美を取らせよう』
彼女と出会い、家に置き始めてから今の今まで。何人もの人がその姿を目にしている。
貧民街の人たちだけじゃない。そこへ行くまでにすれ違った人たち。途中で差し入れを買った時の店員――考え始めたらきりがない。
……これって、マズいんじゃないのか?
『もちろん、管理局へ報告をするだけでも構わない』
今の放送で言っていたように、誰かが通報していたら?
嫌なほどに心臓の鼓動が早まっていく。不思議なことに汗が溢れ出てくる。降り積もる雪の中で、寒さに凍えていたはずなのに。
寒さの種類が違う。肌を刺すような痛みも、何もなく。ここまでという限界もなく。
身体の芯から冷えていく感覚。底なしに底冷えして。皮膚が粟立つような、そんな感覚だった。
早足だったのが、いつの間にか駆け足に。歩幅が二倍に、三倍に。
――今までで一番の全力疾走だったかもしれない。
家に着こうかという頃には息も絶え絶えになっていて。
肩を揺らして大きく息をする度に、白い吐息が吹き出す。
「――嫌ぁ!」
聞こえてきたのは――アイリスの悲鳴。
「私はもう、あんなところに閉じ込められるのは嫌なの!」
「くそぉっ!」
やはり誰かがあの放送を見て通報したのだろう。家の前には、沢山の車が停められており。ガタイのいい、警備服を纏った大人たちが、玄関を陣取っている。その中の一人が、アイリスを抱えて表に出て来ていた。
「さっさと連れていけ! 決して傷つけるんじゃないぞ!」
足に上手く力が入らないが、止めるわけにはいかなかった。
目の前でアイリスが連れていかれるのを、止めないわけにはいかなかった。
「アイリス――!」
「誰か――助けて、タクト!」
アイリスが押し込まれようとしている車に近づくことすらできない。
あまりにも警備が厳重で。女の子一人を連れて行くのには過剰な数だった。
「こんな幼い子供を……無理矢理に連れていくなんてどうかしてる!」
「……邪魔をしないでくださいよ、お嬢さん?
見た目は子供でも、こいつらは人間ではない。“季節の女王”という種族なんだよ。
――コロニーで季節を廻すために必要な、大切な‟部品”だ」
場違いなまでに浮いている、白衣を纏った研究者のような男。
“季節の女王”という‟種族”。
何を言っているのかよく分からなかった。
――けど、アイリスを‟部品”扱いにしているのはおかしいだろう。
今まで長い時間を過ごしていて、何か違うことなどあっただろうか。
「‟冬”を終わらせるためには、あれが必要なのですよ」
「だからって、こんなことが――っ!?」
飛び掛かろうとした矢先に、警備兵の一人に抑えつけられる。
武器も持っていない素人の自分では、全く歯が立たない。
「タクトっ!」
「……弟さんかね、『邪魔をするな』と言っているのが聞こえないらしい。
この、“春の女王”に! このコロニーの生き死にがかかっているんだ!
――姉弟ともども、犯罪者として檻にぶち込まれたいか? ん?」
「…………!」
犯罪者。反逆者。コロニーの敵。
このまま冬を終わらせなければ、確実に死者が出てくるだろう。
だから、なんとしてでもアイリスを連れて行く必要があるのだと理解はできる。
……けど、それなら嫌がっているアイリスはどうなんだ?
「“女王を今まで保護していた”と、そう受け取って今回のことは不問にしてやる。
お前たちは精々、この先訪れる春を待ち望んでおけばいい」
最後にそう言い残して、白衣の男は車に乗り込み去っていった。
アイリスが乗せられた車も、それに続いて走り去っていく。
僕たち姉弟は……それを黙って見送ることしかできなかった。
なにもかもが急すぎて、ただ呆然としていた。
閑散とした家の中で、姉さん二人、どこか壊れた人形のように淡々と過ごす。
アイリスが来る前の日常となんら変わらないはずなのに――
カチカチと鳴る時計の秒針だけが、妙にやかましかった。
一日、二日、三日。
胸にぽっかりと穴が開いただなんて、月並みな表現だけれど。
本当に開いてしまったのだ。
この胸に。この空間に。
音が足りない。人が足りない。
僕たちはなす術もなく、大事なものを持っていかれてしまったのだ。
『次の瞬間にだって人生が百八十度変わるかもしれない』
まさしくそうなっていた。
『目の前にその“春の女王”がいるのなら、すぐにでも連れていくのに――』
そんなこと、できるはずがなかった。
自分の部屋に戻っても、何かしようだなんて気が起きない。
アイリスたちと遊びながらも続けていた勉強も、全く進んでいなかった。
「……はぁ」
右手でペンダントを弄りながら、天井を見上げる。
僕のではない。姉さんのでもない。……アイリスのものだった。
『これ……アイリスちゃんが落としたものだと思うけど……』
嵐のように男たちが去ったあと。姉さんもきっと、何から言い出せばいいのか分からないのだと思う。唐突に目の前にコトリと置かれたのは、エメラルドの埋め込まれた丸いペンダントだった。どうやら、アイリスがもみ合っている間に落としてしまったらしい。
『……タクトが持っていた方がいいと思うの』
「…………」
手の中で傾けると、宝石がキラキラと緑色の光を反射する。まるで若草のような緑色だった。
さて。いったいこれを僕にどうしろというのか。置き土産として、名残として、懇切丁寧に。これを大事に持っておけばいいのか。
……売って金にすれば、溜飲も下がるのか。納得できるのか。
「くっ……!」
そもそも、金の問題じゃないだろう。『お金が入ったから、仕方ないけど諦めよう』だなんて良い訳がない。
なんとしてでも止めないといけないはずだった。諦めてはいけないはずだった。
それなのに……僕は今こうして、部屋の中で呆けているだなんて。
『
そう言われて、怯んでしまったのだ。冬が終わり、春がやってくることを、ほんの少しでも想像してしまったのだ。
「…………っ!」
どうにも情けなくなって、泣き出したくなって、叫びだしたくなって。
堪らず家を飛び出した。飛び出さずにはいられなかった。
まるで僕の頭の中をそのまま映し出したかのように。
――外は、真っ白に染まっていた。
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