第5話 白銀世界フェルマータ ②

 ただひたすら走っていたような気がする。走って、走って、走って。靴も、ズボンの裾も積もった雪のせいでじっとりと水気を吸って。重たくなった足をそれでも引きずる様に。……この足の重たさは、本当に雪だけのせいなのだろうか。


 ――気が付けば、僕は貧民街の廃教会にまで来ていた。


 子供たちは一人もいない。きっと、この数日でおじさんたちが引き取ってくれたのだろう。誰もいない廃教会……探せば毛布の一枚でもあるのだろうけど。それすら探すのも億劫で。肌を刺すような冷たい風を防げることだけ確認して、片隅に座り込んだ。


「――――」


 気が付くと――夜になっていた。アイリスのペンダントを握りしめたまま、廃教会で一人、震える。まるで痺れたかのように手の感覚が無くなっていた。


『……ジア! フリージア!』


 握りこんだその拳の間から、かすかに声が漏れ出ていた。……声?


 女の子の声だった。アイリスのものよりも、もっと大人びた声。それが放送で流れていたフリージアという名前を呼んでいる。


『ダリアよ、返事をして!』


 貧民街の子供たちのものではない。……ダリアなんて名前も聞いたことが無い。

 恐る恐る自分の手をこじ開け、呼びかけに対して声をかける。


「……ダリア?」

『その声……フリージアじゃない……? だれ?

 もしかしてあの子は――』


 ‟あの子”という呼び方もそう。

 親しそうな。まるで家族を呼ぶような。


 もしかして、アイリスの言っていた“お姉ちゃんたち”の一人だろうか。しかしそうだと言って、僕はどんな話をすればいいのだろう。フリージア――アイリスではなく僕が応えたために、微かに絶望の色を滲ませたこの声に。


 みすみす彼女を連れて行かれてしまった、僕が。


「……僕の名前はタクト。彼女を今まで世話してた。

 フリージア――ここではアイリスと名乗っていたけど……。

 ……彼女は、《季節の塔》の男たち連れていかれてしまったよ」

『……っ! なんてこと……』


 ペンダントの向こうで息を呑む音が聞こえる。……本気でアイリスのことを心配している様子だった。


「その……ダリアは、アイリスの姉ってことでいいのかな」

『……えぇ、‟春の女王”フリージアの姉、‟秋の女王”ダリアです。

 あの子、あなたの前ではアイリスと名乗っていたのね』


 やはり、この声の主も“季節を廻らせている女王の一人”。

 “春の女王”、“秋の女王”といるのならば、夏と秋の女王もいるのだろう。 


 ……アイリスは《季節の塔》から逃げ出したと放送されていた。

 つまり、ダリアも同様に塔の中に囚われている?


「ダリア。君は塔からこのペンダントに声を送っているのか?」

『そうです。私たち四人は、こことは全く別の場所で暮らしていたのですが……。

 急にこんなところに連れてこられて、私たちは季節を廻すことを強いられて――

 なんとか、あの子だけ逃がすことができたのに……!』


 ……放送の時の予想は間違っていなかった。ただ、逃げ出すにも姉の協力があってギリギリの状態だったらしい。


『私たちを守るために……“冬の女王”であるカトレアは、装置ごと部屋を氷で覆ってしまいました。私たちもその氷によって身を守られていますが……。アイリスが連れ戻されて盾にされる以上、その氷も溶かさざるを得ないでしょう』


『私たちはまだいいの……。だけれど、あの子はまだ幼すぎる。

 この先の一生を、狭い塔の中で過ごさせるのはあまりに惨いわ……』


 ――知らなかった。アイリスがそんなに重要な存在だったなんて。

 そして知ってしまった。このコロニーの、四季の秘密を。


 無理やりに四季を廻させられていたのだ。彼女たちは。春を廻し終えたアイリスが逃げ出した後も、夏の女王や、ペンダントの向こうにいる秋の女王ダリアが季節を廻していたのだ。どんな方法かは分からないけど、“装置”とやらを使って。


『――コロニーで季節を廻すために必要な、大切な‟部品”だ』


 ……“装置”とやらに、使われて。


「だからって……俺はこれからどうすればいいんだよ……」


 アイリスが囚われるのは《季節の塔》。コロニーの管理物だ。人の家の庭先に潜り込んで、花を摘んでくるのとはわけが違う。勝手に入っただけでも、犯罪者として処罰されることになるだろう。一住人である自分に、なにが出来るというのだろうか。


「…………」


 膝を抱えて座り込んだ状態のまま、項垂れる。目の前も何もかもを真っ暗にしないと、様々な考えが溢れて押しつぶされてしまいそうだった。


「……タクトさん?」

「――っ!?」


 急にかけられた声。驚き、入口の方を見ると――

 いつもここで遊んでいた子供たちのリーダー、シブキがいた。


「シブキ……どうし――」

「――タクトっ!」


 続けて入ってきた見慣れた影。見慣れた声。……姉さんによって、『どうして』という疑問も遮られる。……あれだけ貧民街を嫌っていて。アイリスに誘われても行こうとしなかった姉さんが――なんでこんなところまで?


「坊ちゃんを探しに来たところを俺が見つけたのよ」

「アイリスが《季節の塔》に連れて行かれるって聞こえたから――

 タクトさんならここにいるかなって」


 座り込んだ僕を、見おろす三人。姉さんには心配をかけてしまって。子供たちにはアイリスを守ってやれなくて。おじさんたちには一方的に頼ってばっかりで。


「……ごめんな。アイリスは……駄目だったよ……」


『諦めないでよ……。タクト、真実を知っているのは貴方だけなの……。

 アイリスを助けられるのは貴方だけなのよ……?』


 再びペンダントから声が聞こえる。最後の希望に縋る様な、ダリアの声が。


「だからって……!」


 ……僕にどうしろっていうんだ。こんな平凡な一住人に。コロニー中を相手取るなんて無理に決まっているだろう。


「冬は寒いし、大変だけどさ……。

 僕たち、アイリスと遊べなくなるのは嫌だよ……」

『あの子は塔の中で泣いていた。もうそんな表情はさせたくないの……』


「――――っ!」


 アイリスは――連れて行かれる間際、どんな表情をしていただろうか。

 涙を流していたんじゃなかったのか? 自分の名前を呼んではいなかったか?


 彼女はこの先一生、あの塔の中で。ただ只管に、季節を送る装置として飼われ続けるのだろうか。あの時のように泣きながら。僕の名前を呼びながら。自分を、人生を、この世の何もかもを呪って生きていくのだろうか。


 嫌だろうな、そんなのは。

 ……そんなのは、嫌だ。


 笑っているべきだ。みんなの輪の中で。僕たちの隣で。

 人間じゃないとか、そんなのはどうでもよくて。

 もっと自由で、笑いながら過ごす日常を送るべきだ。


「……一人じゃ無理だから――力に、なってほしい」


 ――声を、振り絞る。

 この場で一番力のある人物に向けて。

 少なくとも、この中で一番、周りに対して影響力のある人物を見上げて。


「……聞かせてみろよ、坊ちゃん」


 答えなんて、決まっていた。

 やりたいことなど、とうに決まっていた。


「タクト……」

「ごめん、姉さん。また心配させちゃうだろうけど……」


 こんなのは親不孝だし、姉不孝だけれども、僕は不幸を終わらせないといけない。


 彼女を取り戻す方法も、必要なものも見当は付いている。

 あとは、それを実行に移す勇気を持つだけ。


「いままでで一番カッコいい目をしているぜ、坊ちゃん。

 漢はそういう目をするもんだ」

「……こんなときまで坊ちゃんはやめてくれよ」


 彼女を取り戻すためならば――僕は、犯罪者でも構わない。


「みんな――」


 後戻りのできないその一歩を、踏み出すだけだった。


「――あの塔、俺たちでぶっ壊しちまおう」

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