第2話 廻る季節のジラソーレ ①

「……ただいま」

「あら、おかえ――……?」


 いつもの習慣で、帰宅の挨拶をしてしまったからだろうか。

 ……ちょうど二階から降りてきた姉さんと、玄関で鉢合わせてしまった。


 背中には、まだ意識の回復していない少女がいる。


 唯一の弟が、見知らぬ女の子を背負って帰ってきたのだ。

 当然のことながら、詰め寄られる結果となるのは言わずもがな。


「ちょっと、タクト! その子いったいどうしたのよ!?」


 別に隠すつもりなんてなかったけど。

 どうせ、いつかは見つかることになったのだろうけど。


 ……もう少し、心の準備というものがあるんじゃないだろうか。


「ひ、貧民街で倒れてたんだ。放っておけなくて……。

 医者が言うには、怪我とか病気じゃなくて疲れてるだけ――」

「……あんた、またあんな所に行ってたの」


 あぁ……見る見るうちに、姉さんの目つきが険しくなっていく。

 かといって、こうして連れてきた以上は下手にごまかすわけにもいかないし。


「姉さんが貧民街あそこを嫌っているのは分かってるよ……。

 でも、だからって助けなくていいって理屈にはならないだろ……?」


 姉さんは、自分よりも頭一つ分背が高く、遥かに凛々しい。

 そんな姉さんが、どっしりと腕組みをしてこちらを見降ろしていた。


「そういう話じゃないんだけどね……。

 私はね、タクト。母さんたちに家のことを任されているのよ。

 もちろん、あんたのことを含めて。あんたの身に、なにかあったらどうするのよ」


 両親はコロニー内でもそれなりの立場で、それに伴い仕事も忙しい。よって、家を空けていることが殆どである。家に残されたのは自分と姉さんの二人だけで、家のことは三歳年上の姉さんが任されていた。


「……うぅ……」


 背負ってる女の子の、うなされているような声。

 道中でも目を覚ますような気配はなかったし、不安は募っていくばかり。


 できれば、早いことベッドに寝かせてあげたいけど……。

 目の前に立ちはだかる姉さんは、依然として厳しい表情をしていた。


「姉さん……!」

「…………」


 臨時の家主としては、面倒事を持ち込まれるのは避けたいのだろう。

 けれども、こちらとしても投げ出すわけにはいかないのだ。


 重苦しい沈黙を終わらせるかのように、姉さんは溜め息を吐いた。


「……私の部屋のベッドに寝かせてきなさい。

 はぁ……母さんたちが帰ってきたらなんて言えばいいんだろ……」


 そんな呟きを背中に、二階の姉さんの部屋へと少女を運んだ。






 少女が目を覚ましたのは数時間後。

 すっかり日が落ちて、夜になってからのことだった。


「タクト。あの子、目を覚ましたみたいよ」


 かいた汗を拭いてやったり、汚れた服を着替えさせたりと、こういうときに女兄弟がいるとありがたい。同性のおかげか、目を覚ましたときに渡された水も警戒することなく飲んでいるようだった。


「わかった、今行く」


 僕が部屋に入ると、シンプルに整えられた姉の部屋――その隅に置かれたベッドの上で。

 少し青い顔をした彼女は、黄色味のかかった宝石のような瞳でこちらを見ていた。 


「貧民街で倒れてたところを連れて帰ったんだ。君の名前は?」


 努めて優しい声で、彼女を刺激しないように気を付けながら尋ねると――

 その少女は消え入りそうな声で『……アイリス』とだけ答えた。


「お父さんやお母さんは? お家はどこ?」

「…………」


 覚えていないのか、それとも言いたくないのか。

 姉さんの問いかけに、アイリスは暗い表情のまま俯く。


 あんまり色々聞いても、すぐには答えられないか……?

 ……まだ疲れが残っているのだろうか。


 もう少し回復してから、後でゆっくり聞いた方がいいのかもしれない。


「姉さ――」


 そう言おうとしたところで、向こうも同じことを考えていたらしい。

 ――目が合い、姉さんが頷く。


 普段の生活でもこういうことはままあり、その度にやっぱり姉弟だなぁと思う。


「……大丈夫? もう少し寝た方がいいんじゃない?」

「…………うん」


 ぽふっとそのまま後ろに倒れ込み、目を閉じるアイリス。


 変に素直になっている気がしないでもないけれども。

 歳相応の、眠たがる子供の――自然な行動な気がしないでもないけれども。

 変に泣きわめいたり、取り乱したりしないだけマシと思うべきなのだろうか。


 いろいろと思う部分はありながらも、姉さんと一緒に部屋を出る。


「あの服もそうだけど……。本当に貧民街の子なの?

 家出するような子にも見えないし、捜索願いが出てないか確認しておかないと」


 確かに、貧民街に今まで住んでいたとは考えにくい。

 だけど仮に外から来たとして、貧民街に訪れた理由は?


 廃教会の子供――シブキが言っていたように。

 倒れていた彼女の周りに、保護者のような大人がいなかったことも疑問だった。


「……本当に、どこからきたんだろう」






 出会った時は、どうなることかと思っていたアイリスだったけど……。

 翌日の朝にはある程度回復して、ベッドを降りて一人で歩けるようになっていた。


 食事はちゃんと出されたものを食べている。数日間、いろいろな料理を姉さんが振る舞っていたけれど、どうやら好き嫌いはないらしい。

 危害を加えられることがないと判断したのか、ある程度の受け答えも普通にできていた。……それでもやっぱり、肝心の『どこから来たのか』などの質問には答えてくれないのだけれど。


「…………」


 外には出ないものの、何かを気にする様子で窓から景色を眺めている。

 元気がないのか、俯いている時が多い気もする。


 そんなアイリスに痺れを切らした自分は、彼女を拾った場所――

 貧民街にある廃教会へと連れて行くことにしたのだった。


「それじゃあ、そろそろ出かけてこようか。アイリスも行こう」

「……何をしに行くの?」


「――遊びに。ついでに、見つけてくれた子供たちに礼を言わないと」


 あとは、アイリスのいた場所の手がかりでも掴めればいいのだけれど。


 家に閉じこもっていることに退屈していたのか、特に嫌がるような素振りは見せず。服は姉が買ってきたものに着替えさせて、僕はアイリスと外へと出た。


 数日前ほどではないものの、屋外はやっぱり熱い。昨日は雨を降らせていたためか、湿度が残っているような気もする。

 ……特に話せるような話題もないし、この中を黙って歩き続けるなんて拷問だろこれ。


 なんとかぽつりぽつりと、姉さんが出してた料理の感想だとか、ベッドでよく眠れたかだとか、そんな他愛のないことを話していたのだけれども。本当に話題が尽きてしまうと、自然に聞きたいことを口にしてしまう。


「……本当に、自分の家に帰らなくていいのかい?

 もう数日も経っているし、君の家族が待っていると思うよ」


 それは少し狡い言い方だったかもしれない。だから問いかける、というよりも。諭すというよりも。ただの独り言のように、本当にポツリとこぼれたように呟いたのだった。


「……あー……えーと……」


 ものの見事に話題のチョイスを失敗してしまった。

 今回も沈黙が返ってくるだろうと、苦笑いするしかなかった。


「……私にはお父さんもお母さんもいないの。

 お姉ちゃんたちはいるけど……帰ってきちゃいけないって」


 どういうことだろう。

 家を追い出されたのか? なぜ?


 貧民街なら、そういったこともあり得なくはない。

 ――けれど、どう見たってアイリスはその住みではないだろう。


「帰ってきちゃいけない?」

「…………」


 ……まただんまりモードだ。


 いや、こうしてほんの少しだけ話してくれただけでも大きな進歩なのか。

 アイリスの手は、変わらず僕の手と繋いだまま。


 ……まだ大丈夫。本気で嫌われている、とは思えない。


 今はここまでにしておこう。


 さっきの会話など無かったかのように、僕は元の、他愛のない内容に話を戻す。


「……今日の夕ご飯はなんだろうなぁ」






「お前らー、今日は例の女の子を連れて来たぞー」


 今の時間だとみんな起きているだろうし、廃教会の入口で大声で呼びかける。

 かくれんぼでもしていたのだろうか。所々から、わらわらと子供たちが出てくる。


「ほんとに!? よかったぁ、なんともなかったんだ」

「……もうお話できるの?」


「いっしょにこっち来て遊ぼうぜ!」


 あっという間に、僕とアイリスを囲んでいく子供たち。


 怯えるようにアイリスは僕の後ろへと隠れるのだけれど……。

 残念ながら、全く意味を成していなかった。


「あぁ、もう元気になって動けるようになったからな。

 今日はこうして、お前たちにお礼を言いに来たんだ」


「あ、ありが……とう……」


 少し怯えた様子のまま。

 それでもちゃんと礼を言うアイリス。


 言われた側である子供たちは、そんなのお構いなしと言わんばかりに、アイリスの手を引っ張り遊びの輪の中に引きずり込んだ。


「タクト――」


 おや。初めて名前を呼ばれた。

 嬉しいのだけれど――ここは助けるべきではないのだろう。


「安心して遊んで来い。みんな良い奴だからな」






 ――案の定、帰る頃にはアイリスは元気を取り戻していて。

 その様子は『また明日ね!』と手を振るほど。


 なんだよ。適応力高すぎじゃないか。

 同年代というのはやっぱり強力だった。


「……楽しかったか?」

「うん! あんなにたくさんの人と遊んだのは初めて!」


 他の子と遊ぶことが無かったとは、よほど上流の家の子供だったのだろうか。

 それならば、なおさら捜索届けが出されていないことが引っかかる。


 せっかく楽しんでいたところに水を差すようなことはしたくないので――

 ここは聞かずに、心の中に押しとどめておくけども。


「また明日って約束したし、連れてってくれるよね?」

「あぁ、もちろん。姉さんの説得は頼むぞ」


 今回は礼を言いに行くと理由を付けて出たわけだし。


 そんなことを話ながら、来た時よりも繋いだ手を大きく振って。

 アイリスと二人で、帰り道を歩いたのだった。

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