無重力《ウニヴェルソ》の桜

Win-CL

第1話 季節外れのプリマヴェーラ

 ――夏の暑い日。

 ジリジリと肌を焼くような暑さが、屋外を歩く僕を包んでいた。


 こんな日ってなんて言うんだっけ。

 たしか、‟炎天下”とかそんな呼び方だったような気がする。


 日光の当たる強さ、気温の高さ、湿度の高さ。

 その時の状態に一つ一つ名前を付けていたのが、らしい。


「今日も工事ご苦労様! これ、差し入れだよ!」


 工事を続けていたおじさんたちに向かって、飲料水の入った袋を掲げる。


 人々がかつて住んでいた地球という惑星の名残として、コロニー内の所々に同じような環境を作ろう、というのが今のコロニー管理者の考えだった。


 コロニー管理者――肩書では“市長”と呼ばれている人だけれども、かつては宇宙飛行士の先陣として地球への探索を何度も行っていたらしい。


「おうよ、いつも悪いな坊ちゃん。こうしていろいろ貰ってよ」

「……坊ちゃんはやめてくれよ」


 コロニーの中でも上流階級の下の方に引っかかっている自分の家と、一般的に貧民街と呼ばれた所に住んでいるおじさんたち。『自分とは身分が違うのだ』と言われているような気がするし、そうでなくても‟坊ちゃん”なんて呼び方は、なんだかくすぐったい。


 今は大通りに面した街路樹の植え込み作業をしているようだった。

 向こうの方では巨大な重機があちらこちらに停められて、その大きさたるや、それ自体が一つの建物なんじゃないかと錯覚してしまうほど。


「ほらお前ら! 坊ちゃんが差し入れ持ってきてくれたぞ!」


 その声に、他の作業をしていた人達が次々と降りてくる。


「それじゃ、コーヒー貰おうか」

「はぁー。疲れた身体に染みるねぇ」


 みんなで重機の陰に逃げ込み、冷たい飲料水で喉を潤す。

 事前に聞いてはいたけども、この“夏”の暑さは予想外だった。

 ずっと外で作業をしているおじさんたちにとっては相当キツイだろう。


「自分もなんだかんだでお世話になってるからさ。

 それに――新しくできた‟この塔”は、みんなの希望だし」


 コロニーの天井を覆い尽くす照明に目を細めながら見上げる。

 視界からはみ出しそうなほどの高層建築物。


 みんなの希望。

 ――コントロール・タワー《季節の塔》。


『この《季節の塔》建設は、私が市長として行う最初の、そして最大の仕事でした。これもコロニーに住む皆さまの生活を、更に豊かにしていこうという私の、全力の意思表示です』


 ちょうどその《季節の塔》についてのドキュメンタリー形式の番組が、コロニー中の所々に設置されてあるディスプレイの一つから流れていた。


『私がかつて何度も挑戦した、地球への降下計画。その際に発見した、によって成し得たことでした」


 現市長が、市長という座を勝ち取った最大の勝因。

 それが、自分の目の前にそびえ立っているコントロール・タワーである。


 去年からコロニーに新しく建造されたその塔は――


 春、夏、秋、冬。かつて地球という惑星に祖先たちがいたころの、季節という名残を完璧に再現するため、最新の技術をこれでもかと取り入れられた巨大建築物だった。


 コロニーの中でまず用意されたのは、昼と夜の区別。人間は日の光と共に活動を始め、日が落ちると身体を休めるという生活リズムで動く生き物だそうで。

 本来“一日”という概念の無い宇宙空間でも、12時間毎に照明の切り替えが行われるようになり、それに伴って、暖かくも寒くもなかった単調な温度調整にも手が加えられたらしい。


 地球から始まった生物なのだから、地球と同じようにしなければどこかに支障が出てしまう。それは確かにもっともな考えだった。

 けど……そうでなくても、人は退屈で狂ってしまうのではないだろうか。僕だって、いつ起きてもいつ寝ても明るいまま、気温も変わらない毎日が続くと想像しただけでゾッとする。


 やっぱり人は、絶えず変化を求める生き物なのだと思う。


 きっと今の市長を支持していた人たちも、同じ考えだったのだろう。そうでなければ、かつての地球にあったらしい、季節というものの真似事を行ったりはしない筈である。とは言いつつも、温度の変化が極端になっただけなのだけれど。


「坊ちゃんも大きくなったらここで働きたいんだろう? そんなら気合入れて、ここらの整備もしないといけないだろうからな」

「少なくとも来年あたりにはガラッと景色が変わるだろうな。なんせ、大型クレーンが五台の大工事だ」


「《季節の塔》で働くには、それこそ猛勉強しないと……。

 中に入ることが許されているのは、選ばれたほんの一握りの人たちだけだから」


 どうやってこのコロニーに季節をもたらしているのかなんて、まだ若い自分には検討もつかない。先ほどのインタビューでも、そこはぼかされていた。きっと膨大な研究と、膨大な計算と、膨大な時間を費やしているのだろう。その手伝いを自分もしたかった。


 ……この差し入れも、その手伝いの一つ形だ。


「坊ちゃんはまっすぐ帰るのかい?」

「いいや、今日も教会に寄ってから帰るよ」






 ある程度管理されたこのコロニー内で、餓死者が出ることはない。


 宇宙に浮かぶこのコロニーは、誰もが幸せに暮らすことのできる人類の楽園。

 ……少なくとも、表向きはそうなっていた。


 実際のところは、住民登録を受けていない人たちも少なからずいるわけで。

 勝手に住み着いている奴らの存在など関知しないと言わんばかりの状態。


 ここの住民たちに充てられる仕事も肉体労働などが多い。

 ――そう、さっきのおじさんたちのように。


「タクト兄! 今日も遊びに来てくれたの?」

「あぁ、塔を見に行ったついでだけどな」


 その関知されず、貧民街の中にある廃教会に集まって暮らしている子供たちだった。

 過去に盗みで捕まりそうになっているところを庇ったのをきっかけに懐かれてしまい、今では『貧民街の平和は自分達が守る』とヒーローごっこのリーダーに祭り上げられる始末。


 全体的に年齢層が低いのは――外へと出稼ぎに出ている者が殆どだからだろう。どこかで食べ物を恵んでもらうことはあっても、いつか餓死してしまう可能性はゼロではない。


「ほら、ちょっと少ないけどみんなで分けて食えよ」


 そう言って、道中で買い足した食べ物や飲み物を渡していく。


 貧民街にいる人たちも悪い人ばかりではないのだけれど……ここの子供達を養っていくような余裕はないのだろう。一人だけならなんとかなるのだろうが、他の残された子供たちはどうするのか、という話だ。


「俺はソーダな!」

「ボクはオレンジジュース……」


 どこかで誰かが見ておかないと――盗みも当然ながら、傷害事件へと発展していくケースもあるだろう。まるで一つの家族のように集まって暮らしているこの子供たちが、犯罪グループになるようなことは嫌だった。


 そんなことを考えながら、パンなどに齧りついている子供たちを眺めていると――

 廃教会にいる子供たちの中でも、年長組であるシブキが慌てた様子でこちらへ駆けてきた。


「タクトさん! 向こうで知らない子が倒れてる!」

「……!? どこだ、連れて行ってくれ!」






「……いた……!」


 そこは廃教会の裏にある空き地――ぽっかりと空いたそのスペースに、一瞬ただの布が落ちているかと思った。辛うじて金色をした髪の毛が見えたために、それが少女だと判別できたわけで。


「大丈夫か!? おい!」

「…………」


 ――返事はない。


 急いで駆け寄り抱きかかえると、恐ろしく軽い。


 身に付けている服は、とても高級な手触りで。ふわふわの衣のようで。いまにも崩れてしまいそうな儚げな雰囲気も相まって。

 この貧民街では見たこともない、とても大げさに表現するならば、まるで妖精のような姿だった。


 ……この子だけでここに? 近くに親はいなかったのか?


「シブキ、見つけたのはこの子だけだったか?」

「う、うん……。気が付いたらそこで倒れてて、近くで探しているような声も聞こえなかったよ」


 シブキ一人で彼女を抱えて連れてくるのも難しいため、急いで自分を呼んだらしい。


 ぱっと見たところ外傷はないようだけれども……。

 口元に耳を寄せるが息は浅く、どこか様子がおかしかった。


「……病気か? とりあえず、急いで医者に……」


 ここでいろいろ考えていても埒が明かない。

 どこか診てもらえる医者のもとに連れて行かないと。


 急いで少女を抱きかかえて、廃教会を出る。――その前に。


「……タクトさん。この子、大丈夫かなぁ……」


 不安そうにこちらを見上げているシブキ。その後ろでは、子供たちも様子を窺っていた。


「――あぁ、よく見つけたな。流石は貧民街を守るヒーローだ。

 ここからは俺が助けてやるから、安心しててくれ」

「……はいっ」


 ――とは言うものの、当然障害がいくつかある。


 どこの出かもはっきり分かっていないために、連れて行く病院も限られていた。

 そうして駆け込んだのは――貧民街の中でも、まだ信用ができる老医者の所。


 設備も十分でないボロ屋だけども……。老医者本人が昔言っていたことを信じるのならば、かつては大病院の院長を務めてたとかなんとか。


「疲労と栄養失調ですな。抵抗力が落ちているじゃろうから、ちゃんとした所でゆっくり休ませれ。そうすりゃ、じきに良くなる」

「ちゃんとした所……」


 貧民街の廃教会に置いておくわけにもいかないだろう。

 かといって、市街の病院へと連れて行くわけにもいかない。


 考えつく場所なんて……自分の家しかなかった。

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