ゾンビ坂を下る
高梨さんを計画に巻き込んでしまってから重大なことに気が付く。
──そもそも彼女が神社に来てくれなかったらどうするのか?
なぜこんなことにすら気が回らなかったのだろう。もしかしたらまともに話をしたこともない、取るに足らない元クラスメイトからのメッセージなんて気付いてすらもらえないかもしれない。
頭を抱え布団にくるまった数分後、聞き慣れた着信音が鳴り響き、俺は携帯に飛びついた。
慌てて画面を見ると、
『突然大智君から連絡がきたからビックリしちゃったよ! 伝えたいことって何!? 変なことじゃないよね? なんだか面白そうだからその時間に神社に行くね!』
予想外の明るい返信に胸が高鳴るが、わけのわからない計画に巻き込んでしまった微かな罪悪感も無いわけではなかった。
しかし興奮が勝っていた俺は、思い出したかのようにガッツポーズをして布団から勢いよく飛び出す。
俺は計画が進んだことと、高梨さんから返信が来たことのどちらに喜んでいるのか。
それは自分自身でもよくわからなかった。
明くる日の日曜、計画の下見の為に俺はゾンビ坂へと足を運んでいた。もちろん相棒も一緒に持ってきている。
自宅からここまで台車を押しながら歩いてきたのだが、アスファルトの上でも変わらない滑らかな車輪の動きに俺は感動していた。
控えめに聞こえるカタカタと小気味のいい音が大変心地良く、足が自然と前に進む。
この相棒となら必ず俺の思いは成就する。手へ伝わる振動から感じられる台車の安心感を俺は信じることにした。
坂の上から実際に歩いて台車で下るコースの最終確認をする。
台車に乗る練習をしたり、試しに滑ってみることは、本番における衝動や特別感がなくなりそうだったので止めておいた。
通い慣れてはいるものの、登りきるのに息が切れる坂道の長さは改めて見直してみると六十メートルほどだろうか。
車がなんとかすれ違えるような幅で、道は緩やかに頂上から見て右手に曲がっているため、頂上からは坂の終わりが見えない。
台車が転がり落ちないように注意しながら取っ手を持ちながら真っ直ぐに進むと、坂の真ん中あたりで民家の壁に突き当たる。本番では体重を右にかけ、重心を片方に寄せてこのカーブを曲がらなければいけないだろう。
坂を下り終えると人通りの少ないT字路になっていて、最終的にはガードレール、その向こうはある程度の深さがある用水路になっていた。
坂道を下ってきた勢いをうまく殺し、どうにかして止まらないとガードレールに衝突することは避けられない。さらに最悪の場合は汚水の中に飛び込むことになる。
用水路を覗き込み、冷静に考えるとどうやってもただでは済まないことになる恐怖しかなかったが、俺は振り返って見上げたゾンビ坂に対する忌々しさを思い返し無理矢理に不安を頭から追い出した。
あっという間に決行の時はきた。
約束の放課後になり、神社の裏手から境内に足を運ぶと、今朝早くに登校して忍ばせておいた台車がまるで神社の備品であるかのように馴染んでいた。
その光景が微笑ましくなり思わずそちらに足を向けようとすると、
「──わっ!! びっくりした!?」
高梨さんが本殿の陰から飛び出してきた。
「ふふっ。大智君ったら面白い顔してる」
予想外の彼女の行動に俺は口をパクパクさせたまま準備も脈絡もなく、
「好きです! 俺と付き合ってくれませんか?」
真っ白な頭で一切飾らない言葉を勢いで口からこぼしてしまった。
驚いたまま予期せず告白に至ったものの当初の計画としては間違ってはいない。
情けないことに高梨さんの反応を直接見る勇気のない俺は境内の脇に立てかけてある台車に再び目線を逃がす。
このまま順当に彼女に告白を断られ、そのまま台車を持って走り出そうと頭で考えた瞬間、耳にした言葉は俺の計画の全てを塗り替えるものだった。
「…………いいよ。お互いにまだよく知らないけど、私は大智君のこと、もっと知りたいって思えるから」
──え? 嘘だろ?
「突然だったから本当に驚いたけどね、二年生の時に同じクラスだっただけでほとんど接点もなかったし」
──ちょっと待て!
「久しぶりに連絡してくれた時、私もちょっぴり嬉しかったんだよ。だからひょっとしたらと思って、答えだけは用意してた」
──本当に待ってくれ……。
彼女は顔を真っ赤にしながら言葉を紡ぐ。恥ずかしがりながらも言葉にして伝えてくれる誠実さが余計に今の俺の心には嫌というほど刺さる。
想定外の結果と計画の頓挫に俺は放心したまま彼女の輪郭をぼんやりと眺めるしかなかった。
ゾンビ坂を俺の彼女になってしまった高梨さんと二人肩を並べて下る。
もうこのままでいいんじゃないかという思いが頭の中から消えなかった。
隣を歩く、楽しげな美少女。疑うまでもなくこれからの俺の生活は一変するだろう。
ゾンビ坂もこれから高梨さんと一緒に歩くのなら苦ではなくなるはずだ。
──もう目的は果たしたんじゃないか?
だったら無理に他人から見て意味のわからない、怪我をするような奇行をわざわざ取る必要はないだろう。何より高梨さんに嫌われてしまうかも知れないのだから。
上の空のまま坂道を下り終えると神社に台車を忘れてしまったことに今更ながら気がついた。
いっそこのまま置いていこうかと考えたが、
──それだけはどうしてもできなかった。
そしてこの気持ちこそが俺の嘘偽りのない本心なのだとすぐに確信する。
俺は彼女に不誠実で最低な告白をした。その上、相棒である台車も見捨てるとしたら?
そんな奴は腐っている。それじゃまさに心のないゾンビだ。
会話に適当な相づちを打つのを止め、坂道の一番下で俺は彼女に告げた。
「ちょっと神社に忘れ物しちゃったからさ、すぐに戻るからちょっとここで待ってて」
「忘れ物……? あ、うん! 行ってらっしゃい!」
俺の言葉を不審に思ったのか、高梨さんは、怪訝な表情をしていたが、途中で何かに思い当たったかのように、ニヤニヤして俺を見送った。
何かサプライズでもしてくれるだろうとでも思っているのならあながちそれは間違いではない。
結果はきっと悲しませてしまうことになるだろうが。
日の暮れかけた神社に戻る。手に取った銀色の台車はひんやりと冷たかった。
彼女に電話をする。坂の上を見ていてくれと、道の隅にいて動かないでくれと告げた。
「周りに人? いないけど?」
「今から戻るから。よく見てて」
「え~もう何? いちいち電話しなくてもいいのに~」
文句とは裏腹のはしゃいだ高梨さんの声に胸がきりきりと痛む。
俺は彼女に対してけじめをつけなければならない。
坂道を下る理由は変わってしまったけれど、この行為が俺の中で大事な意味を持つことに変わりはなかった。
坂の上から街を見下ろす。
下ると決めたら躊躇いはなかった。
俺は台車の持ち手を強く握りしめながら、思い切り地面を蹴って荷台へと飛び乗った。
「うわああああああああああああああああ!!!!!」
速い!
怖い!
死ぬ!
声にならない声が漏れる中、それが率直な思いだった。
瞬く間に最高速度に達した台車は静音設計など関係のない轟音を住宅街に響かせる。
人馬一体どころか台車の持ち手にしがみつくのが精一杯な俺は、何を願っているのかもはっきりしないまま神様にひたすらに祈った。
そうこうしているうちにあっという間に眼前には右カーブと民家の壁が迫る。
台車は──曲がらない!
そもそもハンドルのない台車が速度をつけた状態で簡単に曲がるわけがなかったのだ。
しゃがみこむようにしてなんとか右に重心を移そうと試みるがこの行為に意味があるとはとても思えなかった。
このままではぶつかると思った瞬間、俺は無意識に身体を更に倒して壁に向かって足を出していた。
「痛ってえええええええええ!!!!!」
叫ばずにはいられないくらいに左の足首に激痛が走る。思わず荷台の上でうずくまった俺は涙に滲んだ目の前の景色が開けたことに気がついた。
ブルーの相棒は俺が壁を蹴ったことによりなんとか軌道を修正したらしい。
再び台車は一気に加速し、眼前には問題のガードレールが迫ってくる。
彼女の姿が道の端に微かに見えた。表情はうかがえない。どんな顔をしているのか想像はできるが、あまりしたくはない。
奇跡的に坂道で転ばなかった台車は、奇跡など起こりえない坂道の終点に猛スピードで突っ込む。
ぶつかるのはもう仕方がない。ただなんとかして衝撃を逃がさないと、洒落では済まされない事態になる。
「止まれええええええええええ!!!!!」
俺はガードレールにぶつかる直前に叫びながら思い切り持ち手を両手で引き上げ、体を後ろに倒した。
結果的に前輪が浮き台車と俺はそのまま回転して、
──宙を舞った。
全てがスローモーションに思える中、台車は視界から消え、目の前には夕暮れの茜空が広がる。
自分がどういう状況に陥っているのか一切わからないまま、身体は背中から地面に叩きつけられた。
かなりの衝撃に一瞬呼吸が止まり、逆に時は動き出す。
頭がぼんやりとしているがなんとか俺は生きているらしい。どうやらガードレールの向こう側には落ちないで済んだようだった。
その時泣きそうな顔をした高梨さんが駆け寄ってくるのが見えて、捻った足なんかよりもよっぽど心が痛んだ。
俺は彼女の顔を直視して、彼女の名前と好きだという言葉を
しかし、その声が何事かを叫んでいる彼女の耳に届いているのかどうかはわからなかった。
俺達以外に誰もいない夕暮れ時の帰り道を、一台の台車が進んでいく。
意識がはっきりしてからもあまりの足首の痛みに自分で歩くことができなかった俺は、彼女の押す台車に載せられ情けなく運ばれていた。
荷台の上で台車を押す高梨さんと向かい合って彼女の話を聞く。本当は正座をしたい気分だったのだが足が痛くて曲がらなかった。
「……まったく、本当に馬鹿なんだから。もう一回確認するけどさっきの告白は冗談じゃないんだよね?」
「高梨さんのことは好きです。それは本気です」
「私、今日は大智君から『好きです』しか言われてないんだけど」
彼女の呆れた声に俺は黙ってしまうが、なんとか言葉を探して高梨さんに尋ねてみた。
「なんでこんなことをしたのか、聞かないんですか?」
何故か敬語になってしまうが今の立場では仕方がない。
「……馬鹿だからでしょ?」
あまりにはっきりした物言い、しかし圧倒的な事実の前に俺はぐうの音も出ず、身を固くして台車の上で運ばれていくお荷物になりきるしかなかった。
高梨さんから矢継ぎ早に見たままの光景を説明される。俺はガードレールをジャンプ台のようにして勢いよく真上に打ち上がり、空中で半回転し地面に叩きつけられたらしい。
それはまさしく大事故であり本当に心配だったと彼女が熱弁するので、俺はどこまでもどこまでも申し訳ない気持ちになった。
「さっきの返事を考え直したりはしませんか?」
こんな大馬鹿野郎の告白を受けたことなど気の迷いだったと思われてしまっても仕方はないと半分諦めての言葉だったのだが……。
「しないよ。この借りは後でゆっくり、何度でも返して貰うけど」
落ち着き払った確かな返事に俺は安堵の息を漏らす。
彼女は俺よりも遥かに大人だった。それはもはや自然の摂理にすら思えるほどで、俺が下から彼女を見上げる今の状況はこれからもあまり変わらないのかもしれない。
コトコトと軽快な音を立てる台車と機嫌の直った高梨さんの弾む声が重なっていく。
自分が載ってみて初めて、台車というのは路面の凹凸を拾っていくものだ実感した。
乗り心地は思っていたほどは悪くはないが、いいものでもない。
「大智君みたいな男の子でも楽々運べちゃうんだから台車は役に立つよね」
高梨さんの言葉がただの感想なのか裏があるのか俺にはわからず、なんとか絞り出したうめき声のような返事を聞いて、彼女は声を出して笑った。
「本当にもう、危ないことはしちゃダメだよ」
「はい、しません。……これからは高梨さんの彼氏としてもっとちゃんとします」
高梨さんは返事の代わりに俺の頭をくしゃくしゃと撫でた。
いきなりの行動に俺は身を固くするが不思議と嫌な感じはしない。
手の感触が無くなってからそっと覗き見た彼女の微笑む顔は、流れていく空と同じように紅く染まっていた。
君と台車とゾンビ坂 大石壮図 @souto61souto
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