君と台車とゾンビ坂
大石壮図
ゾンビ坂を上る
俺の通う通学路には急な坂道がある。思わず三角定規を連想するような、普通の自転車ではまず上れない、ブレーキをかけなければ下れないような坂である。
この坂を通らなければ中学校に辿り着けない悲しき運命を背負った学生達は朝っぱらから一様に死んだような顔をしてこの道を登っていく。
さながらゾンビのように、這いつくばるようにして、清々しい朝の空気を溜め息交じりの荒れた呼吸で塗り替えてのである。
そのコンクリートの壁を登り切った先にはこじんまりとした神社があり、ここの神様へのお願い事ランキング第一位は目の前の坂を平らにしてくれ、に違いなかった。
俺、
中学生活も最後の年、散った桜に覆われた坂道を下り終え、ふと靴に張り付いた薄汚れた桜の花びらを目にした時、遂に我慢が限界に達した。
たった今、俺は坂道を下り終えたがまた明日の朝にはこの坂を登らなければならない。登るために下っている。明日も、明後日も、おそらく中学生活最後の一年間もそうなるだろう。
俺はここ数年、このゾンビ坂にある意味負け続けているのではないか?
一人の男ならば、そろそろ然るべき反撃をしなければいけないのではないか?
坂道相手に何を言っているのだと自分でも思うがこれは気持ちの問題であり、一度芽生えてしまったこの思いは簡単には消えそうにない。
ここでゾンビ坂に対して納得できる行動を起こせたのなら、代わり映えのしない退屈な毎日にも変化が起きるであろう確かな予感が俺の中に沸々とわいてきた。
さて何をするかと考えた時に真っ先に思い浮かんだことは、坂道を勢いよく下ることである。
これは安直だが限りなく正解に近いように思えた。
坂道を登らされることによって溜まった鬱憤は、坂道を下ることでしか晴らせない。
それに古今東西、スキーやウォータースライダー、公園の滑り台に至るまで、急な傾斜を滑り降りることは娯楽になっている。
そうして一回でもゾンビ坂で底抜けに陽気な気分を味わうことができたのなら、俺は今までもこれからもこの坂の存在を許すことができる気がした。
問題はコンクリートの坂道をどのように下るかである。
この坂道に今までの溜まりに溜まった鬱屈した想いをぶつける行為は、ありふれたものではなく、どことなく祟高なものにしなければならないと思えた。
みんなが当たり前に乗っている上に、止まるためのブレーキの付いた自転車を使っては何も面白くはない。ローラースケートやスケートボードには俺は乗れないし、キックボードは悪くはないが、欲を言えばもっと目新しさが欲しい。
道の隅で立ち止まって思案に暮れるていると、ふとすれ違った作業服の男性が立てる物音で我に返った。
稲妻の落ちるイメージが頭の中で弾け、これしかない! と合点がいく。
俺が坂道を下る
台車を本来の用途である荷物を押す方向とは逆に、取っ手を前にして両手で持ち、人馬一体となってゾンビ坂を下ることにしたのだ。
翌日の土曜、俺は自転車を飛ばし隣町のホームセンターへとやってきた。
店へ辿り着いた勢いのままずかずかと広い店内に足を運ぶと、半ば導かれるようにして台車売り場へと辿り着いた。
棚には一口に台車と言っても大小さまざまな商品が並んでいる。その一つ一つが今の俺にはとても輝いて見えた。
中学生の俺にとって自動車を買うのはまだ当分先のことだが、おそらくこの感情はそれに似たものなのではないかと思った。
もちろん今までに台車など買ったことのない俺は、何か購入する際の判断基準はないかと細かく目を走らせる。
ざっと一通り見たところ素材は樹脂製のものとスチール製のものに大きく分かれており、ほぼすべての台車が折りたためるように出来ていた。
最大積載量は全ての台車が自分の体重を軽々と超えているので、どれを選んでも負荷の面では問題はないらしい。もちろん正規の使い方をした場合の数字なので、絶対ではないのだが。
その中で俺の視線は一つの台車で止まった。
無骨な鉄製のハンドルに、スタイリッシュな印象を抱かせる青色の荷台。手で回した車輪の回転は実になめらかで、試しに店内の床を押してみたところ地面を吸い付くように進んだ。
持ち運ぶ際の重量はかなりのものだが、坂道を下るという無茶に用いるならむしろ安定して都合がいいのではないかとも思えた。
しかもどうやらこの台車は騒音環境基準値(40db)以下を達成しているらしい。
何を主張しているのか細かいことはよくわからないが、台車の立てる物音に文句を言う神経質なお方に「お前の方がうるさいよ」と言って黙らせる数字なのだろう。
少なくともやれることはやっていますと周りを納得させる目に見える企業努力。非情に素晴らしいことじゃないだろうか。
ここまで台車についての詳細を確認したが、俺がこの台車の購入を決めた最大の理由は他にあった。
──財布と相談した結果、俺にはこの台車しか買えなかったのである。
当然ながら自転車のカゴに収まらない台車を俺は無理矢理にカゴの上にビニール紐でくくりつけた。
台車と一体化した異様な自転車を一歩引いて視界に入れた時、今まで目を逸らしてきた現実が微かに目の前をちらついた。
日頃の坂道への鬱憤を晴らす為に周到に準備をし、こんなわけのわからないことをするのは単に頭のおかしい奴だと。
別にそれはそれで仕方がないのだが、欲を言えば周りからの心象を、今回は何か訳ありだったのだろうで留めておきたい情けない思いが俺の中にちらつく。
「そんな事があったんじゃ、坂道を台車で下る奇行をとっても仕方がないよね」と周囲が察してくれるような、建前を欲する思いが心の片隅にあったのである。
その考えは自宅に辿り着くまでに俺の中でどんどん膨らみ、誰かにこの行動を見届けて欲しいという願望までもが入り混じっていった。
ゾンビ坂を下る表向きの理由と全てを見守ってくれる証人。
その両方をどうにか満たせる方法と存在はいないだろうか。
行き着くところまで行き着いた俺の頭の中の妄想で最初と最後に浮かんできたのは、一人の同級生の女の子だった。
彼女の名は
特別に身長は高くないのだがそう見える、すらりと伸びた華奢な手足に、しゃんしゃんと音が鳴りそうなさらさらとした黒髪を持つ、どことなく涼やかな印象の誰から見ても文句なしの大和撫子である。
去年初めて同じクラスになった当初は長めの前髪から覗く切れ長の大きな目にどことなく冷たい印象を持ったが、ふと目が合った時に優しく微笑んでくれて息が止まりそうになったのを鮮明に覚えている。
誰とでも分け隔てなく接し、快活で心優しく男女問わずの人気者だ。
今は違うクラスで絡みもなく、そもそも二年生の時もまともに会話をした記憶もないが、なぜか連絡先だけはスマホに入っている。
他に選択肢が豊富にあるわけではないが、彼女は、彼女だけは俺の行動を見て笑ってくれる気がして、この役目を任せるには高梨さんでなければ駄目だと俺は思った。
俺は彼女に『振られるために』告白をすることにした。
誰しもがまた頭のおかしなことを言いだしたのかと思うかもしれないが、そのすぐ後にもっと奇天烈な行動で上書きするのだから問題はあるまい。
──美少女に振られ、自暴自棄になって坂道を台車で下った哀れな少年。
坂道を置き去りにして落ちるところまで落ちるこの行動はゾンビ坂に対する最高の当てつけになると俺は考えた。
ベッドに身体を投げ出し、呼吸を整えたあと、正座をして彼女にメッセージを送る。
『高石です。いきなりですみませんが、伝えたいことがあります。休み明けの月曜日の放課後、午後四時に坂の上の唄里神社の境内に来てくれませんか?』
もはや後戻りはできない。
俺は初めて、自らの意志でゾンビ坂に上ることを決めた。
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