紅葉は時と手を繋ぐ

屋根裏

紅葉は時と手を繋ぐ

 同じ夢を何度も見る。赤い夢。

 子どもの頃の僕と、知らない女の子。

 木々は葉を鮮やかな赤や黄色に染め、その葉を風に乗せて高らかに笑う。鮮やかな笑いに囲まれながらそびえ立つのは、そのどれよりも鮮やかに赤く輝く、大きな鳥居。僕達はその鳥居の下で、肩を並べてしゃがんでいた。夢はいつも何をしていたのかまでは見せてくれない。けれど、女の子はなんだか悲しそうな顔をしていた。それだけは覚えている。本当は全部知っているような気がした。


 大学も長期休暇に入り、暇を持て余した僕は一人旅の計画を練り始めていた。しかし、全く知らない地で旅を楽しめる自信のなかった僕は、行先を幼い頃住んでいたことのある小さな町に決めた。山に囲まれた、小さな町。住んでいたと言っても、期間が数ヶ月と非常に短く、どんな生活を送っていたかすら覚えていない。なんとなく土地勘があるというだけだったが、行先が決まっただけでも、旅への期待は高まっていった。

 

 電車に五、六時間ほど揺られ、辿り着いた目的地の景色は、住んでいた頃から多少の発展は見られるものの、基本的には懐かしさを残したままだった。とはいえ数ヶ月しか住んでいなかった僕に泊めて貰うような知り合いはいない。仕方ない、宿を探すことから始めるとするか。

 小さなその町に宿は一軒しかなかったが、予約せずとも宿泊することが出来た。女将も優しく人当たりが良かったので、どこへ行くべきか尋ねてみることにした。しかしやはり観光地とも呼べないようなこの町には、特別見ておくべきスポットのようなものは無いようだった。女将は申し訳なさそうにしながら、時計はお好きですか、と言った。この町には手作りの時計を販売する時計屋があるらしい。時間には余裕がある。明日はその時計屋に行ってみよう。感謝を告げると女将は去っていった。僕は一人になった部屋で目を閉じた。長旅に疲れていたせいか、眠りはすぐにやってきた。

 

 今日も夢を見た。いつもと同じ、赤い夢。心做しかいつもより鮮明に描かれた景色が眩しい。今日もまた、何をしているのかはわからない少年少女が、鳥居の下にしゃがんでいる。悲しそうな少女の口元が、何かを語る。聞き取れない。聞き取ろうと意識を集中すると、夢は泡となって眩い光に溶けていった。

 目を開けると、知らない天井が映る。一人旅中であることを思い出した僕は、支度を済ませ、午前中のうちから出発することにした。今日は、昨日女将に教えてもらった時計屋を訪れるつもりだった。何故か急いでいかなければならない気がしていた。

 

 時計屋は、街を囲む山のうちひときわ大きな山の麓にひっそりと佇んでいた。木造の壁や看板が、都会では感じることのなくなった優しい香りを放つ。店内に並べられた腕時計や懐中時計、壁掛け時計などが、それぞれ思い思いの時間を、かちっかちっ、と規則的に刻む。

 店内に入ってすぐのところに並べられた懐中時計を眺めていると、一つだけ、ほかとは違いガラスケースに閉じ込められているものが目に入った。蓋が閉められているので文字盤はよく見えないが、紅葉が手を繋ぎあっているような蓋に不思議な魅力を感じた。

 僕があまりにもその時計に見入っていると、その時計、綺麗でしょう。と、後ろから女性の声がした。僕に声をかけた女性はこの時計屋のオーナーで、店内の時計も彼女が全て手作りしているらしい。

 その時計には、物語があるんです。聞かれますか?と、微笑みながら尋ねられた僕は、時間もあるし、ということで、彼女の話に耳を傾けることにした。その時計はね、と語り始めた彼女の表情は、夢で見るあの少女の顔によく似て、悲しそうな顔をしていた。

 

 昔、この町の山奥にある小さな神社に、幼い少女が住んでいました。人目に触れないような山奥で生まれ育ったその少女には、同世代の友達もおらず、動物や自然と触れ合う生活を送っていました。しかし紅葉降る秋の日、一人の少年とその家族が、その神社を訪れます。そもそも子どもの少ないこの町では、参拝客も老人が多く、観光客が来ることも珍しかったため、少女はその少年に興味を持ち、友達になることを望みました。声をかけると少年は少し戸惑いながらも、楽しそうに話す少女につられて、徐々に表情を和らげていきました。そして少年とその家族が観光客ではなく、この町に移り住んできたということを知った少女はとても喜び、少年とまた遊ぶ約束を交わします。そして、毎日のように二人は遊び、楽しい日々を過ごしました。

 そういう幸せな物語が、あるんです。そう言ってオーナーはまた微笑んだ。

 驚いた。まるで僕の見る夢のようだ。あまりにも似すぎていて、僕の口から言葉が零れ落ちた。

 

 嘘ですよね、と。

 

 驚きの表情を称えるオーナーに向けてなのか、何も思い出せずにいる自分自身に向けてなのかは分からないが、気づくと僕は叩きつけるように言葉を重ねていた。その物語は幸せな物語なんかじゃない。少年が引っ越してしまって少女はまた一人になるんだ、と。

 

 僕は涙を流していた。驚きから微笑みへと表情を変え、オーナーは嘘を認めた。

 

 そう。この話は、僕の話。僕は幼いころ、いつも一緒にいた少女を置いて都会へと引っ越した。両親の仕事の都合だったから、仕方が無いことだった。けれどそれを仕方無いと認めてしまうことが悔しくて、ぼくの中には大きな後悔が残った。しかし時間とともにその記憶も薄れ、思い出せない後悔を、何度も何度も夢に見た。そしてその夢をかたちにした時計が、今目の前にある。これは、僕の話だ。なのに、どうしてその物語が時計としてここにある?

 

 遅いよ。

 

 嗚咽の混じった泣き声が聞こえた。振り返ると、オーナーも泣いていた。

 

 待ちくたびれたよ。

 

 あぁそうか。全部思い出した。単純な事じゃないか。夢の中でいつも見えないあの瞬間。少年少女は、約束をしていた。必ず帰ってくると。また会えると。そしてそのまま少年は約束を忘れ、少女をあの時に置き去りにした。置き去りにされた少女も成長し、大人になった。少女は神社のあった山の麓で時計屋を開き、あの時に止まったままの二人を懐中時計に閉じ込めた。少年とまた会えるその時を待ち望んで。

 

 また会えてよかった。

 

 

 時計の中の少年少女は、夢の中の少年少女は、様々な時が刻まれる小さな小屋で、同じ時を共有した。

 

 紅葉の向こうで、一度止まった二人だけの時間が、再び動き出した。

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