Ep.10 こんな時でも変わらず空は青かった①

 普段は目覚まし時計無しでは起きられないのに、今日に限って僕は目覚まし時計よりも一時間以上も早く目が覚めた。今日に限って、というより今日だからこそ、かもしれない。

 今日は帆乃ほのの命日だった。


 帆乃が死んでから、二年が過ぎていた。僕の中でその実感はないまま、時が過ぎたのだ、という事実だけがそこにある。


「おーい兄貴、準備出来た?」


 ノックもせずに部屋のドアを開けて弥英やえが顔を出す。

 ちょうど服を脱いでいたところだった僕を見て弥英から表情が消える。


「変態」


 たった一言だけ吐き捨ててパタリとドアが閉まる。


 ちょっと待った、ちょっと待った!!


「不可抗力だろ!?」


 全く理不尽な。僕はさっさと着替えを済ませ、階段を駆け下りて行った弥英の後を負って階段を降りた。

 リビングに入るなり弥英が僕の顔を見て口を開く。


「まぁ、まともに見えるな」

「当たり前だ」


 言いながらパンを口に運ぶ僕に弥英は僕のトレーナーのフードを引っ張りながら腕を降った。


「ていうか、早く行こうよ。お墓参りは午前中が良いって言うじゃん」

「うるさいなぁ。まだ食べてるんだけど、僕」

「うるさいって言った!! 私がデート服選んでやった事忘れたの?」


 そう声を荒らげて、さらにフードを持つその手をブンブン振り回す。


「忘れてない忘れてない。あの時はありがとうございました。だからフード離して……うっ」

「あ、ごめ……。はい、離した!」


 全く調子の良いやつめ。


「でもそれはそれとして、最近どうなの? 彼女とは」


 いきなり核心を付かれ、飲んでいたコーンスープを変なところに吸ってしまいそうになった。


「……えっ、何、急に? えっ?」


 しどろもどろする僕に弥英は隣の椅子に座ってニヤリと笑った。


「暇なの。兄貴の話、聞かせてよ〜ねぇ〜」

「……や、弥英こそ、彼氏は?」

「もー、私の次だかんね! なんと私はね……っ別れました〜!! 振ってやったぜ!」


 堂々と満面の笑みで語る。

 振ってやったって、勝ち負けの勝負じゃないんだから、と思うが、弥英の中では勝負だったのかもしれない。


「なんで振ったの?」

「まぁ、色々とあんのよ。我慢の限界ってやつ」

「我慢の限界ね〜」


 恋愛初心者にはよく分からない話だ。


「で、次兄貴の番だけど?」


 忘れていた。しかもちょうど食べ終わってしまった。……仕方がない。覚悟を決める。


「どうって事のことは無いけどクリスマスにデートしたり冬休みの終わりに課題を一緒にやったり、とか……」

「ふ〜ん。写真とかないの?」

「………………」


 鋭すぎる。本当に僕の妹か?


「ほぉ、あるのかぁ〜〜!!」


 思わず目を見開いた。


「どうしてそうなる!?」

「女の勘ってやつよ」


 弥英はふふん、と得意気に鼻を鳴らした。


 俄然写真なんて見せる気のなかった僕だったが、弥英のあの手この手に最終的に屈してしまう。

 スマホは取られ、写真も見放題。誰か今すぐ僕をどこかへ連れてってくれ。……悶絶しそうなんだ……。


「かっわい〜!! ねぇ、どんな手使ったの? こんな可愛い子が兄貴に告白とか地球が滅びたってありえないよ〜!」


 楽しそうにディスリスペクトも交えながら感想言ってくるあたり僕は本当にリスペクトするよ。

 でも、弥英の言っていることはほぼほぼ合っているから反論の余地がない。


「だよなぁ。僕もそう思う。多分すでに地球何回か滅びてるよ」

「マジか……」

「マジだよ」

「まぁ、でも付き合ってたって不安は積もるもんだよね。むしろ片想いの方が楽。付き合っちゃうと、お互いに好き、って事でしかその関係性は保てない。好きじゃなくなったら、終わりなんだ。まー、兄貴には分かんないかもだけどっ」


 弥英は何やら悟った風に述べる。


「ちょっとは分かる」

「分かるのか。成長したんだな」

「まぁね」


 会話が一区切り着いたところで、そろそろ行くか、という話になった。2Lペットボトルに水を入れて鞄に入れておく。

 弥英も身支度を整えている。


「準備完了!」


 玄関で弥英を待っていた僕に、駆け寄った。

 弥英が靴を履いたのを見てから玄関扉を開ける。

 僕たちは家を後にした。


 帆乃がいるのは、バスで20分程行ったところにある小さな霊園だ。霊園行きのバスは貸切状態で僕と弥英しか乗っていない。途中で買った花を膝の上に置く。


「しっかりな、兄貴」


 心配してくれたのか、弥英が小さく言った。


「……うん、ありがとう」




 帆乃は、明るい女の子だった。破天荒で、突き抜けて明るくて、笑顔が絶えない。皆から愛されて、クラスの人気者で、弱音が似合わないような女の子だった。


 だから彼女は事故に遭って命以外の全てを失った時も、弱音を吐かなかった。ただひたすらに明るく振舞った。視力を失って、一人で歩けなくなって……とにかく、殆どの自由を失ったのに、それでも「私は生きてるから」と笑った。


 そんな帆乃だったから、僕は毎日お見舞いに行ったし彼女を励ました。だけど気が付かなかったんだ。明るさの奥の絶望に。どれだけの虚無感と悲しさがあったのか。


『 ……僕は……っ! ああぁ……っ、僕には、帆乃をこの世界に留めておくだけの存在にはなれなかった!! 僕は……知ってたのに。……っ止められなかった!!』


 僕は――今でもあの時のことを鮮明に覚えている。彼女は、帆乃は、僕に「死にたい」と言ったのだ。

 それなのに、僕は絶望を顔に出してしまった。彼女よりも遥かに絶望を。


 「死にたい」と今まで聞いた事の無いような声で言った彼女の声が今でも耳からこびりついて離れない。

 僕にその言葉を言った日、彼女は――自殺した。

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