Ep.8 どこか遠くの場所へ


 貴也たかや君とあったからか、僕はその日、なかなか寝付けなかった。しまったはずの黒い感情も、あの頃の記憶も少しつつけば直ぐに溢れ出す。


「何でまだ生きてるんですかー?」


 貴也君の言葉が脳裏を過ぎった。

 本当に――何で僕はまだ生きているんだろう。



 クリスマス、蓮村さんからイルミネーションの誘いがきた。鬱屈うっくつとした気持ちは抜けないままだったけど、今まで何度も蓋をしてきた僕ならきっと大丈夫だ。また蓋をすれば良い。いつも通りに戻るのなんて簡単だ。


「終業式以来ですねっ」


 隣を歩く蓮村さんが嬉しそうに言った。イルミネーションは暗くなってからが本番。イルミネーションの時間まではまだ少しあった。


「イルミネーションの所、ちょっとしたショップワゴンがいくつかあるらしいですよ」

「本当? じゃあそこで何か買って食べようか?」

「はい!」


 イルミネーションが綺麗だと噂の大きな公園に着くと、言っていた通りクレープや暖かいスープなどの軽食が食べられるようなショップワゴンがいくつも止まっていた。既に多くの人で賑わっていて、僕は早くも圧倒されてしまう。


「凄いね……」

「とりあえず、スープとか飲みませんか? 暖まりたいです」


 蓮村さんがスープのショップワゴンを指さした。

 「そうだね」と僕も蓮村さんに連れられてショップワゴンに足を向ける。

 沢山あるスープの中から、僕達はクラムチャウダーを頼んで注文した。蓋がされたホット用の紙カップを手渡され「コーヒーみたい」と蓮村さんが顔に喜色を浮かべた。


 公園の至る所にあるベンチの一角に腰を掛ける。


「ふぅ」


 一息つく蓮村さんを横目に、僕はため息がバレないようにクラムチャウダーを飲んだ。


「……藤先輩、」

「うん?」


 笑顔を作る。


「……あの……さ、寒いですね……」


 そう言ってクラムチャウダーを飲む蓮村さんは、それが一口目だったのか「あ、美味しい!」と目を見開いた。


「暖まった?」

「良い感じにポカポカして来ました〜」


 僕の作り笑いが、自然と本物に変わる。

 凄いなぁ、蓮村さんは。


「……あの……、その、違ったらごめんなさい。……今日、藤先輩、何かありましたか?」


 思わず息をのんだ。僕は蓋をしたはずだ。蓮村さんに見せるはずがない。


「……僕、変だった?」


 そう聞くと、蓮村さんが眉を寄せて僕から目を逸らした。


「いつも、思っていました。……なんで藤先輩は時々、どこかへ行ってしまいそうな顔をするんだろうって」

「……うーん、してないよ?」

「……他の誰も気づかなくても私は気づきます。どれだけ先輩を見ていると思っているんですか?」


 心做しか、蓮村さんの声は少し怒っているようで、だけどそのか細さがどうしようもなく僕に刺さる。


「特に今日はずっと……そんな顔をしてましたよ?」


 そう顔を上げた蓮村さんは絞り出したような笑顔で笑った。


「……実際、そういう顔をしてる自覚はないけど、きっとそう見えるのは僕がそう思ってるって事なんだろうね」


 今の彼女に、嘘は付けなかった。


「――っ行かせません!!」


 強い力で僕の手首が掴まれた。


「蓮村さん、」

「先輩は私の主人公で、物語の主人公なんです。だから、その物語が完成してないのに、どこかへ行かれては、困ります……!!」


 蓮村さんの勢いについ気圧される。

 でも、すっと何かが軽くなる気がした。主人公になってください、と蓮村さんに頼まれたことを忘れていたわけじゃないけど、こうしてはっきり思い出すと、また違う。

 蓮村さんの主人公、物語の主人公。その役がある限り、僕はまだ、生きないと、と思える。


「……ありがとう、蓮村さん。その役割を、放り出すわけにはいかないもんね」


 蓮村さんの両手が僕の手の上に重なる。


「――はい。はい、先輩」


 もしかしたら、蓮村さんは本当に僕の全てを知ってるんじゃないだろうか。……いや、知ってたら、僕に近づいたりしないか。

 僕は安堵と自虐の入り交じった笑みを零した。



 それから程なくして、青や白のイルミネーションの光が辺りを囲んだ。イルミネーションを見に来ているであろう人々から小さな歓声が所々で上がった。


「綺麗、だね」


 僕の気の抜けた声が言う。圧巻だった。

 正直予想以上だった。こんなに綺麗だとは思っていなかった。


「蓮村さん、ありがとう。僕、不甲斐なくてごめんね」

「いえ。私は先輩のそういう所も良いと思っているので」

「じゃあやっぱり、ありがとうだね」

「……っ、どういたしまして」



 微かに僕の手に冷たい何かが触れる。それが蓮村さんの手の甲だと気づくにはそう時間は掛からなかった。

 僕の手の甲と蓮村さんの手の甲が微かに触れて、そこだけが熱を帯びていた。


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