棘のある動物(3/8)

渡航前のオリエンテーションに集まった交換留学生たちは主催団体の説明に真摯に耳を傾けた。

ケンがジョージを最初に見かけたのはその席だ。

「石川県から来ました!」と、元気いっぱいに自己紹介した蓑島譲治は、とても大人びていて、英語もトップクラスの習熟ぶりだった。

やたらポジティブで声が大きくて、こっちからは近づきたくない奴。きっと、もう二度と会うことはないだろう――当時、高校生のケンはそう思った。

ところが、10年経ったいま、蓑島譲治は自分の家に寝泊まりしている。

きっかけは、留学後の[リエントリー・オリエンテーション]。

それは、交換留学生が日本の学校に復学するための「馴らし運転」で、お互いの体験を語り合ったり、OBやOGから復学のノウハウを聞くものだった。

「日本での生活は、あなたたちが過ごしたアメリカとは違います。だから、元の世界に巧く戻りましょう」

日本を出国しておよそ1年。司会者がすっかりアメリカナイズした高校生たちに開口一番そう告げ、自動車学校の生徒どうしが路上教習の交差点ですれ違うみたいに、ケンはジョージと再会した。

都立高生だったケンとマヤはニューヨーク州のハイスクール、ジョージはバージニア州にある片田舎のハイスクール――学生自身で行き先を選べないのが交換留学のルールで、どの土地でどんなホストファミリーと暮らすかはくじ引きみたいなものだった。

体重の増えた者もいれば、スマートな体型になった者もいて、ひとりひとりの顔つきの変化にそれぞれの経験値があふれ出ていた。

ジョージは「体験発表」のスピーチで、留学中にディベートの授業で挫折し、ホストファミリーの無償の愛に触れ、故郷の両親に感謝の気持ちが湧き出たことを身振り手振りを交えながら話した。

そうして、「オレ、ニューヨークに行ってみたいんだ。どんなところだったか、教えて」と、ケンに握手を求めてきたのだった。


食器は空になり、春の陽射しがテーブルに淡い光を投げている。

「……まぁ、急いで進路を決める必要はないんじゃない?」

言いながら、マヤが最初に席を立った。

ケンはコーヒーを飲み干して、ジョージの様子を窺う。

友人らしく、何か気の利いたセリフを言うべきだろうが、考えつくのはどれも無責任なもので、言葉に値しない。なにせ、本人から聞いている情報が少ないのだ。日本にいきなり戻ってきた理由、仕事を辞めてしまった理由……。

「ちょっとゆっくり休みたいんだ。いまはケンとタカハシと一緒にいたいな」

ジョージは自分に言い聞かせる感じで、力なくつぶやいた。



従業員60人のベンチャー企業をケンが就職先に選んだ理由は、年棒制の給与体系で、「実力主義が君のキャリアを創る!」という創業者のメッセージが心に響いたからだ。もっとも、多くの学生同様に、選べるほどたくさんの内定は得られなかったが、留学で身につけた英語力を評価してもらえたのが嬉しかった。

もちろん、事業内容がいちばんの志望動機で、「旅行系サイトの制作運営」という業務は、クリエイティブなことができて、ネットユーザーに情報を伝える喜びがあると思った。

ところが、入社以降、会社がケンに与えた仕事はウェブ広告の販売営業のみ。スーツ姿でクライアントを廻る毎日は希望と相反したものだった。


午前中のデスクワークを終え、ケンが営業に出ようとした矢先、経営管理部門のトップから内線があった。

オフィスと目と鼻の先にある中華料理店に連れ出され、平社員の彼は心臓の動きを速めた。

そこは、ランチコースが3000円の店で、ワンコインの定食屋とは雲泥の差がある空間だった。高価な漆器がホールの壁面に飾られ、チャイナドレスの従業員が来店客をアテンドしている。

ご馳走してくれるのか? 午後のアポに遅れないか?……メニューを眺めながら、心拍数がさらに高まっていく。

「五十嵐くん、今日は会社の経費だから遠慮しないでいいよ。なんだったら、青島ビールでも飲むか?」

1年前に株主の会社から出向してきた管理部長は、そう言って快活に笑ってみせた。

神経質そうな目つきは理科か何かの学校教師のようで、制作や営業畑の社員とは一線を画した雰囲気だ。

小籠包や塩味の薄いスープを口にしながら、ケンは当たり障りのない世間話や仕事の話題に付き合い、居心地の悪いまま、デザートの時間を迎えた。

洒落た器の杏仁豆腐を前に、管理部長がナプキンで口元を拭きながら、ケンを見つめる。

「今日は急に呼び出して申し訳ない。実は、五十嵐くんには、この春から管理部の仕事に就いてもらうことになってね」

「……管理部、ですか?」

「うん、僕のところだ。君の営業仕事は十分に評価しているよ。でも、仕事の経験のひとつとして、君に会社全体の面倒を見る手伝いをしてほしいんだよ」



(4/8へ続く)

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