棘のある動物(2/8)
翌朝、家主のケンとマヤが起きてしばらくしてから、ジョージは寝癖のついた髪を手櫛で掻き上げながらリビングに入ってきた。
「グッモーニー!エヴィリバディ!」
威勢よく発し、ずっと一緒に暮らす家族さながらにテーブルにつく。
化粧を済ませたマヤがキッチンで朝食を作り、ケンはワイシャツに腕を通して、クロゼットからネクタイを選び出した。
普段は朝食後に出勤の支度をする二人なのに、ゲストの起床に併せて、スケジュールを入れ替えている。
ジョージは、複数のビタミン剤をペットボトルのミネラルウォーターで胃に流し込み、ティッシュで鼻をチーンとかむ。一連の動作が古くからの習慣のように滑らかだ。
「おかげさまで、昨日もぐっすり眠れたよ」
椅子に座ったケンにウィンクして、ジョージが言う。
「ジャムを増やしたわ」と、マヤも腰を下ろし、3人が揃った。
リビングの東側の窓が今日も快晴を告げている。
テーブルの中央にはトーストが重ねられ、それを取り囲むかたちでジャムの瓶が並ぶ。イチゴジャムとマーマレードとピーナッツバターとマーガリン。外国製ラベルのマーマレードが新入りで、それは、マヤが勤め先近くの高級スーパーで買って来たものだ。
ケンとマヤとジョージの皿には、それぞれ少しずつ量の違うスクランブルエッグと一口サイズに切られたトマトが盛られ、赤と黄色のかたまりは食品サンプルに似た光沢を放っている。
「毎朝、同じメニューで悪いけど……コーヒーのお代わりはキッチンのポットでご自由に」
バレッタの留め具合を直してマヤが言うと、ジョージは両手を併せて唇を動かした。
発声を控えた、10秒ほどのお祈り。
ケンは、連日その行為を目の当たりにして、「根はマジメな奴なんだ」と思う。
部屋の物を盗み見する人間ではないと信じ、自分もお祈りしてみようかと考える。しかし、そんな真似ごとはかえって神様に失礼だと思い、何もせずに見守った。
「パンはうれしいな。オレ、ご飯じゃなく、パン派だからさ!」
ジョージはいちばん上のトーストをわしづかみして、イチゴジャムとマーガリンをすばやい手つきで重ね塗りしていく。
「タカハシはさぁ、料理が上手いんだね。昨日の夜のホイコーローってやつ、あれ、また食べたいな」
トーストを一気に頬張ってから、コーヒーカップに立てたスプーンを回し、興奮調で言った。砂糖もクリームもとっくに混ざっているのに、手の動きをなかなか止めない。
ケンは来客の様子をまじまじと見つめ、言動をひとつずつ飲み込んでいく。
[タカハシ]はマヤの旧姓で、ジョージは昔からそう呼んでいるからしかたないが、結婚したいま、[タカハシ]という名前が連呼されるのには違和感がある。
「そう言やさぁ……ここに来る途中で知ったんだけど、新宿の南口に高島屋があるんだな。タカシマヤとタカハシマヤって似てない?笑っちゃうな!」
トマトをたいらげてから、ジョージは自分の思いつきで笑いを爆発させ、体を揺らした。
カラーリングがまだらな髪。薄く伸びた顎ヒゲ。古着屋で買った感じのレゲエカラーのトレーナー。誰が見ても清潔とは言えない風貌で2枚目のトーストに手を伸ばす。
「そんなダジャレじゃなくて、アメリカ仕込みのジョークを聞かせてよ」
名前をネタにされたマヤが口を尖らせる。
新宿にタカシマヤタイムズスクエアが出来たのはケンが中学のときだ。木材工作に夢中だったケンは、高田馬場の自宅から山手線に乗り、高島屋に隣接した東急ハンズをちょくちょく訪れていた。一方、北陸の加賀で生まれ育ち、この10年はアメリカのマンチェスターで暮らすジョージが新宿の街並みを知らないのは当然だった。むしろ、高島屋という百貨店によく気づいたなとケンは思う。ジョージにとっては、メイシーズやブルーミングデールズの方がよっぽど馴染みある存在だろう。
「ジョージ、こっちで仕事に就くのかよ?」
「とりあえず日本に戻った」というメッセージだけで、なかなか進路を語らない親友に、思いやり半分いら立ち半分の気持ちで、ケンが尋ねた。
リビングルームがいっさいの物音を失くし、ジョージは突然飛び込んだ問いかけにとまどいの色を浮かべた。
「そいつは分からないな……」
イエスでもノーでもない、投げやりな言い方でコーヒーを飲み干す。
自分の気持ちや意志を迷いなく表現できる男が伏し目がちになったことに、ケンはことさら驚いた。
そして、お互いがハイティーンだった頃の出会いを思い出す。
(3/8へ続く)
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