短篇小説「棘のある動物」
トオルKOTAK
棘のある動物(1/8)
ジョージを受け入れなければ良かった。何よりも、うちはホームステイ先には狭すぎるとケンは思う。大人3人で暮らす広さではない。
「あいにく、子供がいるから部屋がないんだよ……」
そう言って頭を掻き、銀座界隈の洒落たレストランで再会のハグをする――その程度で十分だった。
しかし、子供はいないし、洒落たレストランにも縁がない。
うまい嘘がつけず、断るのが苦手な性格が災いした。
後悔と自己嫌悪のループをグルグル回りながら、ケンは寝返りを打つ。
まず、ジョージの妙なテンションについていけないのだ。それに、爆発音みたいな、赤ん坊が泣き出すほどの笑い声。「言わぬが花」を摘み取った、遠慮なしの発言。OLの昼休みか?と勘違いするほどのマヤとのおしゃべり……。
そもそも、マンションでのホームステイってアリなのか? あっ、日本語で言う居候(いそうろう)ってやつか。そもそも、ジョージは留学生ではない。だから、ホームステイなんて聞こえのいいものでもない――そんな小さな結論に、ケンはたどり着いた。だからと言って、状況は変わらないが。
「テレビの横の写真だけど……」
唐突に話しかけてきたケンに、マヤがスマホを持ったまま体を向けた。
ふたつの布団を並べた6畳の洋間に、オレンジ色の豆ランプがお化け屋敷ほどの光を落としている。
「写真の並び順をジョージが替えたよな。気づいた?」
ケンが続ける。
マヤの目鼻は液晶のバックライトで青白く染まっていたが、画面を遠ざけたため、顔の輪郭が薄闇に融けていく。
「写真の並び?」
「スリーショットの写真が真ん中になってたよ」
怖い話でも聞かせる感じで、ケンは声を潜めた。
「全然気づかなかったわ」
少し考えてから彼女は答え、「別にいいじゃない。ジョージはあの写真が嬉しいのよ」 と、会話するのが面倒そうにスマホに戻った。
ナイアガラフォールズの遊覧船[霧の乙女号]で、ケンとマヤがジョージを挟んだ記念写真。お揃いの青いポンチョを水しぶきで濡らし、3人が笑顔で親指を立てている。ニューハンプシャー州のカレッジに進学していたジョージをケンとマヤが訪ね、一緒に観光したときの一枚だ。シャッターを押してくれたのは、バックパッカーのオージーだった。
ジョージが家に来る前日にマヤがアルバムからそれを抜き出し、自分たちのウェディング写真に並べた。そして今夜、ジョージの笑顔がいつの間にか主役の座に収まっていた。
マヤはケンより早くに家を出て、遅くに帰宅したから、ジョージの仕業に違いない。
「そう言えば、『部屋を掃除した』って言ってたわ」
にわかに思い出して、マヤはスマホを枕元に置き、布団の中で体を丸めた。
夫婦の留守中にジョージが家にいるのは居候だからしかたないが、掃除のついでに写真の位置を替えるのはどうなんだ?
疑問符の行進で、ケンはまた寝返りを打つ。
だいたい、掃除するほど部屋は汚れてないし、片づけが必要なほど散らかってもいない。今晩3人でテーブルを囲んだとき、「掃除した」とは言わなかった……そうか、マヤにメールしたんだ。
はたと察しがついて、ジョージが彼女の下着を触ったり、引き出しの給与明細や預金通帳を覗き見する姿を想像した。
気心の知れた付き合いなので、いまさら慌てて隠すほどの物はないが、結婚して1年あまりの新居には、他人に嗅ぎ取られたくない生活の匂いもそこかしこにある。
寝息を立て始めた妻の横顔を見つめる。
カレンダーは、あと一週間で一年の4分の1が終わり、新入社・新入学の時期だ。しかし、羽毛布団の寝苦しさは、春めいた気温のせいではない。
[ホームステイ]は、明日で4日目。
いくら親友でも、ひとつ屋根の下、同じ蛍光灯の下で暮らすと、たくさんのことが気になってくる。
ケンはふうっと息を吐き、頭の中でジョージのフルネームを呼び起こす。
蓑島譲治――出会ってちょうど10年。[ミノシマ]と呼んだことは一度もなく、蓑島がケンを苗字で呼ばないように、いつでもどんなときでも[ジョージ]だった。
漢字の[譲治]ではなく、イメージそのものがカタカナの[ジョージ]なのは、持って生まれた濃い顔のためで、アメリカ暮らしの長さが理由ではない。
彫りの深さが印象的なイケメンだが、オバチャンみたいなヘアスタイルとオッサンめいたデリカシーの欠如は、イケメン好き女もドン引きするだろう――そんなことを考えているうち、ケンはようやく睡魔に誘われた。
(2/8へ続く)
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