第二十三回 最後の密命(前編)
久し振りに、宇治原が文を送ってきた。
今は江戸にいて、これから九州へ向かうという。そして、二年間ほど廻国修行した後に、平山家に戻ると書いてあった。
二年後。その頃には、死んでいるだろう。そして雷蔵は夜須を離れ、平山家の名跡は潰されているかもしれない。修行に出しておいて、帰る場所を失くしてしまう。宇治原には悪いが、こればかりは仕方ない事だった。
全ての始末に目途が立つと、清記は道場で百姓相手に竹刀稽古をつけ、室衛門と釣りに行ったりや若幽と将棋を指したりと、自由気儘に過ごした。
そうした清記に雷蔵が、
「ご加減がよろしそうで」
と、皮肉を浴びせる事もあった。清記は、無理もないと苦笑した。雷蔵は、駒のような忙しさなのだ。遊び呆ける自分を、不快に思っても仕方がない。
しかし清記は、怠惰な毎日を改める事は無かった。昨日は朝早くから村を出て、亡き妻の実家である奥寺家や友人たちの墓参りに、幾つかの寺を回っている。
そうした日々の中でも、時勢は動く。薊が現れて、藩庁が梅岳の死を発表したと伝えた。出家先の寺院で、眠るように亡くなったという。勿論、それは嘘だ。殺したのは利重の指示によるものと、裏が取れている。それを公開すればどうなるのか? 証拠は無くとも、利重に大きな動揺を与えられるに違いない。そして阿芙蓉にも触れれば、幕府も動くはずだ。
(それも妙手だが……)
利重の息の根は、確実に止めねばならない。喩え、阿芙蓉の一件で隠居に追い込んだとしても、生きているうちは常寿丸の障害になるのは間違いない。
(今更、考えても詮無き事よ)
縁側で昼寝をしていると、三郎助が居室に駆け込んできた。
「どうした、騒々しい」
「殿、殿。大変でございますぞ」
三郎助の顔から血の気が引いている。余程の事があったのだろう。
「だからどうしたのだ。富士でも噴火したのか? 世の中には慌てふためくほどの大事は、そうそうある事ではない」
「冗談を言っている場合ではありませぬ。今、前触れがございまして、もうすぐお殿様が建花寺村に来られるのです」
「ほう」
そう言われても、清記はさして驚かず、
(さて、斬る機会はあるかな?)
と、思ったぐらいだ。
「ほう、ではございませぬ」
「そうだな。雷蔵や磯田に知らせよ。そして、お前は出迎えの準備を差配しろ」
「もう進めております。それで、殿は?」
「昼寝の続きだ」
清記は横になった。三郎助が何を言っても、無視をした。目を閉じ、利重を斬る想定を繰り返した。
どう斬るか? 斬った後、雷蔵をどう逃がすか? 都合、五度も利重を斬ったが、これはという答えは出なかった。
(こればっかりは、相手の出方次第だな)
しかも、ここで斬ってしまえば、帯刀の楽しみを奪ってしまう事になる。
三郎助が、奉公人を差配する声がしきりに聞こえてくる。それを背にして、正装をした雷蔵が現れた。
「まさか、あの男が来るとは驚きですね」
「そうだな。何の用だろうか」
清記は、相変わらず縁側で寝っ転がったままだ。秋の穏やかな陽気である。
「父上。もしやお加減でも」
「いや、極めて良好だ」
「では、準備を」
「そうさな。そろそろか?」
「ええ。そうです、父上。あの男を、此処で斬りますか? 二人でやれば造作もないかと」
「雷蔵」
「なんでしょうか」
「出過ぎた真似よ」
「しかし、千載一遇の好機でございます」
「出過ぎた真似と、聞こえなかったのか?」
「……」
雷蔵が部屋を出る気配を感じ、清記は身を起こした。雷蔵には、利重を斬らせない。そうさせない為に、命を賭すのだ。それが父たる自分の役目でもある。
◆◇◆◇◆◇◆◇
笑うと、歯の白さが目立った。
少年のような、無邪気な笑顔だ。藩主就任直前から見せた、恐るべき政事手腕を有する男とは思えない。そして、その笑みはスッと心に入ってくる。それがまた、この男の怖さなのだろう。
建花寺村の中央の広場。利重は清記の姿を認めると、片手を挙げて軽やかに馬を下りた。
「すまんな、急に」
「いえ。お殿様がお越しになられるのは、光栄でございます」
「ふむ。雷蔵は?」
「代官所のお役目に忙殺されております。この時期は忙しいので」
「そうか。まぁ、雷蔵の踏ん張り時かな。下積みは誰でも辛い」
「左様で」
「今日は二人で話したい事があってな。遠駆けついでに寄ったのよ」
清記の周囲には、僅かだが精強な供廻り。灰色地の着物で統一された逸死隊だ。当然、その中には八十太夫の姿もある。
「左様でございますか。ならば、屋敷へ」
それに、利重が首を横にした。
「歩きたい。城にいると、妙に息苦しくていかんのだ。折角の機会だ。
利重がこう言うのだ。従う他に術はない。
「では、その辺りをご案内いたします」
するりと、八十太夫が清記の前に進み出た。
「お腰のものを」
「ほう、どういう了見だ?」
「念の為でございます」
清記は視線を利重に向けた。
「すまんな、平山。お前を信頼していないわけではないのだが、これは決め事でな」
そう言われ、清記は八十太夫に大小を手渡した。
「では」
清記は、利重と共に村を出た。
二人きりと言っても、背後には八十太夫と逸死隊が付いて来ている。ただ、声が届かない距離を保っているようだ。
「
「いえ」
「感謝する。他の者では、山人は私の提案に耳を貸さなかったであろう」
「私は、背中を押しただけでございます。山人の多くが、里で暮したいと思っておったのでしょう。それが様々な縛りで、出来ないでいたのです」
「そうかもしれぬ。だが山人達が、お前だったからこそと、申しておった」
そう言って笑った。利重の機嫌が良いのか、終始笑顔である。
(それもそうだ)
添田を殺し、梅岳も殺し、山人も帰順させたのだ。全てが順調に進んでいる、そう思っているのだろう。
利重が足を止めた。
そこには収穫を待つ黄金の稲穂が、風に吹かれ優雅に揺らいでいる。
「今年は作柄がいいな」
利重が呟いた。
「天候にも恵まれました」
「そうだな。だが、百姓達の努力が実ったとも言える」
農業用水路の為に引かれた川を越え、松林が見えてきた。その中には、集落がある。
「あれは?」
「非人衆の村でございます」
「ほう」
「彼らは内住郡で非人番として使役される他に、お役目の一端を担っております」
「初耳だ。具体的に申せ」
「骸の片付けでございます」
「なるほど。斬るのはいいが、そのままとはいかぬものだからな」
利重は納得したようだった。
「行くか」
「お勧めはしませぬ」
「何故だ?」
「非人衆が驚きます。彼らには彼らの、慎ましい暮らしがあります故」
「ちゃんと躾は出来ておろう?」
「それは当然。ですが、御身に障るかもしれませぬ」
「見てみたい。非人だろうが、
「理屈ではそうですが、そうもならぬ事もあります。それに、もし殿を中に入れれば、執政府からどのような咎めを受けるか判りませぬ。ですので、陰から眺めるという事でどうでしょう?」
「……よかろう。そう言われれば、無理にとは言えんな」
松林の中を進むと、拓けた場所に出た。簡素な小屋が幾つもあり、集落を形成していた。
村には、女の姿ばかりだった。男達は、働きに出ているのだ。
膝上までの、渋染め着物を纏った女達は炊事に洗濯にと励み、子ども達はその周りを駆け回っている。笑顔と笑いに満ち溢れている。こうした非人達も、村から一歩外に出れば笑みが消える。それは彼らの境遇を考えれば、仕方ない事なのだ。
「なるほどのう。暮らし振りは、百姓と変わらんな」
「同じ人間なのです。身分や衣類、制限される行いに違いはあれど、やる事に変わりはありません」
「そうなのか?」
「ええ。寝て、起きて、食い、糞をして、また寝るだけです」
「面白い」
利重が吹き出して笑った。
「お前が、そのような軽口を言うとは」
「お城では決して申せませぬ」
「ふふ。だろうよ。さて、帰ろうか」
非人の集落を離れ、村への帰路を辿っていると、利重が
「今年は色々嫌な事が多過ぎた」
と、言った。
「……」
「勤王党の一件が片付いたと思ったら、利景公がお亡くなりなられた。そうしたら、添田の一件だ。そして……我が養父も。来年は参勤で江戸へ行く。その前に全てを片付け、良い年にしたいものだ」
清記は、何も言わなかった。利重が歩みを止める事は無い。
「お前は私を恨んでおろう。添田とは昵懇だったと聞いた」
「仕方ありません。添田様は、お殿様の弑逆を企んだのですから」
「藩法に照らしても、死罪。これは私の一念だけでは無かったと、お前には判って欲しい」
何故、そのような事を言うのか。清記は考えようとしたが、すぐに止めた。この男を、自分は斬るのだ。利重が、自分に対してどう思おうが、民百姓の安寧を願おうが、斬らねばならない。それは亡き主君の遺命であり、自分を縛る鎖でもある。
(士道とは、何とも不自由なものか)
もし利景ではなく、利重と先に出会っていれば、生きる道も変わったのだろうか。それほどの素質を持つ男だが、今は斬るべき対象としか見ていない。
「内住は豊かだな」
利重が、話題を変えた。
「夜須が豊かなのです」
「いや、内住は他の郡に比べて特に豊かだ。何より、百姓の表情が明るい。全ては、お前の手腕だ。百姓が土を耕し、作物を育てる。その事に集中できる土台を、お前が築き上げたのだ」
「これは勿体ないお言葉。嬉しく思います」
「そのお前の手腕。今後は夜須藩全体の為に活かせて欲しい」
「そう申されると?」
利重が、足を止めた。農業用の溜池の前だ。畔には芒が丈高く伸び、
「お前を町奉行に任じる」
「御冗談を」
「冗談で言える事ではなかろう。私はお前に代官職に専念してもらおうかと思ったが、それが出来る程、我が家中の人材は豊富ではない。雷蔵には江戸遊学後に内住郡代官へ就けるつもりだ」
「左様ですか」
「だが、その前に御手先役として、お前に密命を下す」
「それが、最後のお役目でございましょうか?」
利重が頷いた。
「叔父の帯刀が、私に会う為に戻ってきた。五日後に登城し、城中で会う事になっている」
「……」
「帯刀を斬れ」
「はい」
「お前と帯刀との仲は知っている。済まぬとは思うが、帯刀は私を斬るつもりなのだ。私を斬り常寿丸様を藩主に据え、自分は後見として藩を牛耳ろうという魂胆であろう。私はいずれ常寿丸様に跡目を譲るつもりだが、それは利景公の改革が完遂しての後だ。それに、むざむざ斬られてやる義理も無い」
「お気遣いは無用でございます。帯刀様は、私だけでなく亡き弟まで利用した男でございます。いつの日か、斬ろうと思っておりました」
「そうだったのか」
「ですが、帯刀様は名うての剣客。負けるつもりがありませんが、万が一の事もあり得ます」
「ほう。お前が弱音を吐くとは」
「それほどの相手なのです。故に、お願いしたき儀がございます」
清記は片膝を付き、頭を下げた。
「願いだと? 申せ」
「もし私に不手際や、苦戦の末に見苦しい振る舞い、乱心があろうとも、愚息や私に従う家中一党に罪は及ばぬようにしていただきたいのです」
「そこまで言うか」
「私が罰せられるのは構いませぬ。しかし、その他の者は何卒」
利重が、清記を睨んだ。その顔には、先程見せた笑みは無い。鋭く、暗く、重い眼差しだった。
「叔父は余程の使い手なのだな」
「私という男と、念真流を知り尽くしております」
「……よかろう」
「
流石の利重も、それには苦笑した。まさか、誓紙まで要求するとは思わなかったのだろう。だが、清記にはそれが必要だった。家族と家臣を守る為に。
「ふふ。よい、お前の屋敷で幾らでも書いてやる」
利重の手が伸び、腕を掴まれた。優しく引き立たされる。そして、利重が頷いた。
家臣にこのような真似をする男を、私は斬らねばならない。民や百姓にとっては大きな損失であろう。しかし、与えられた密命は、それを越えた所にある。
「平山。必ず、討ち取れ。その功で、お前を町奉行に昇進させる」
「必ずや」
風が吹いた。芒が揺れる音。秋茜が散った。清記は何気なく振り向くと、遠くて逸死隊が立っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます