第十八回 風乱(前編)
藩主が狙撃された報は緘口令が敷かれ、重大な秘匿とされた。領民を不安にさせたくないという、利重の配慮からだった。
それから三日。清記は城下に留まったままだった。雷蔵や八十太夫も、まだ戻らない。一度だけ薊が清記の前に現れ、八十太夫と手分けして追っているという報告があっただけだ。
執政府では、利重を加えての会議が連日行われていた。利重の裁量で、清記は会議の末席に加わる事を許された。それに異を唱える者もいた。平山家は、郡代官に過ぎないのだ。しかも、穢らわしい処刑人たる、御手先役でもある。執政府の中にも、先祖を平山家に討たれた者もいる。執政会議に加わる事に反対する気持ちもわかるが、事件の当事者という事もあり、利重は反論を認めなかった。
様々な可能性が話し合われ、この事件は執政府が直接指揮を執るという事も決定された。勿論その中心にいるのは、勢いのある相賀だ。あの許斐も、最近では相賀と仲良くしているらしい。許斐は若手武断派の中心。それを取り込むという事は、即ち相賀がいよいよ藩政の全てを掌握しようとしているという事だ。
ここ数日間で、その権勢を何度も目の当たりにした。若い上級藩士を取り巻きにして、城中を連れ歩いているのだ。それはまるで、相賀派が出来たかのような様相だった。
当然、それに比して添田の力は弱まってきている。利景の師として、幕僚の筆頭として采配していた頃の面影は無い。城内の御用部屋では、縁側から中庭をずっと眺めている事もあり、会議でも発言する事は少ない。中堅以上の藩士や執政府の面々は、執政たる添田に気を使ってか、あからさまに相賀に
そして添田の後退は、相賀との関係が芳しくない羽合も同じだった。町奉行としての仕事振りに不足はないが、距離を置く者が日々増えているという。
相賀と羽合。この二人は、夜須を代表する俊英である。両者が組めば夜須の安泰は揺るぎない。だというのに、そうならないのが人間のままならなさだろう。
かつて添田が、二人を指して同族嫌悪と評したが、それは言い得て妙かもしれない。
この権力交代劇は、利重によるものだった。利重は相賀を何かと重用し、
「古き友人のようだ」
と、周囲に漏らしているらしい。それを聞いた者が広め、風見鶏の藩士達が藩政の中心になるであろう相賀に近付いていく。
一方の相賀は、利重の下で思うままの政事を為すつもりだろう。彼の性格を考えればそうだが、そう簡単にはいくまい。清記には、利重が添田に対抗出来て、かつ操れる駒として選んだように思える。
(二人の力になりたいが……)
添田には恩義がある。彼の尽力で、御手先役としての待遇も良くなった。かつてはお役目の費用を補填する為に、金で殺しの依頼を引き受けて来た過去がある。そうしなくてもよくなったのは、添田が制度の根本を変えてくれたからだ。羽合も、雷蔵が世話になった。しかし、この流れは利重を斬らぬ限り、止めようはない。権力というものは、このようにして一新されていくものなのだ。
会議では、黒河藩の名前も出た。疑われるのも無理はない。黒河は宿敵である。伊達継村は、利景亡き夜須藩には手を出さないと言っていた。だが、それを額面通りに信じられるほど、
しかし、証拠はない。相賀は、若宮に密偵を飛ばす事を命令し、散会になった。
「そろそろ、上意討ちもあり得るかもしれません」
そう言ったのは、百人町の別宅を訪ねて来た羽合だった。
羽合は執政府には加わっていないが、狙撃については知っていた。町奉行なりの情報網があるらしい。
帯刀については、複雑な想いがあった。あの男には、多くの厄介事を持ち込まれた。弟を斬る羽目になったのも、それ故だ。しかし、心のどこかに友という想いもある。
「しかし、羽合殿も何かと大変でしょう」
そう言うと、羽合は軽く微笑んで頷いた。
「なるようにしかなりません。そのつもりで、役目に精励するだけです」
夕方になり、清記は別宅を出た。清記は、塗笠に着流しの気軽な恰好である。
「旦那」
百人町から桶屋町へ流れていると、声を掛けられた。振り向くまでもなく、貞助である。
「どうだ?」
「へぃ。ちゃんと、手筈通りに行やしたぜ」
中間の恰好をした貞助は、清記のすぐ後ろを付いて歩く。
「悪いな。お前に身内を売るような真似をさせてしまった」
「身内? へっ、そいつはお角違いってもんでさ。前も言ったと思いますがね、あっしは添田様の家来みたいなもんで、他の連中を仲間とも思ってはいやせん」
「そうか。ならいいが」
これから、目尾組頭である
「では、あっしは」
店の手前で貞助が頭を下げたので、清記は銭を握らせた。貞助がニンマリとする。これは廉平にもしていた事だ。
朝賀を呼び出したのは、源次郎橋の袂にある料亭〔ひぐらし〕である。波瀬川から引き込んだ掘割が側にあり、水面を凪ぐ風が清記がいる一間に入り、多少寒いぐらいだ。
「平山殿、わざわざ会うての話とは何かな?」
朝賀は小太りの中年で、到底忍びには見えない。顔を会せるのは数年ぶりだが、また一段と肥えたかのように思える。
(これが、夜須忍び衆を率いる首領とも思えぬ)
九州の浮羽忍を祖に持つ目尾組の首領も、泰平の世が続く中で、忍びを取り仕切る単なる武士になってしまったようだ。
「御手先役のおぬしと目尾組頭の儂が密かに会うのは、いささか危ない。特にこの時勢ではの」
と、朝賀は手酌で銚子を傾けた。既に膳は用意していた。朝賀は辛党で、上等な酒を用意している。
「おっ」
と、猪口を煽った朝賀の表情が変わる。そして、また銚子を手に取った。どうやら気に入ったようだ。
「廉平の事だが……」
朝賀の手が止まった。
「姿を消した。廉平の妻も知らぬと言う。そうなると、貴殿が密命を与えたに違いないと思いましてな」
「……」
「廉平は私の友なのだ。我が平山家中の面々も心配している。もしご存知ならば、教えてくれまいか?」
「申し訳ないが、儂も知らぬ」
「姿を消した事は?」
「……知らん」
朝賀は、声を絞り出すように吐き捨てた。
「組頭のおぬしが知らぬとは」
「今、初めて聞いたのだ。廉平は御手先役付きだ。儂が何か命じる事もない」
「では……蔵六、九兵衛、薊。この三名についてはどうだ?」
朝賀の表情が苦々しくなった。鬢には、微かな汗。明らかに、何かを知っている反応である。もはや忍びではない。そう清記は思った。
「当屋敷を探っていた。倅が気付いて追ったそうだが、歯向かってきたらしい」
「それも知らぬっ」
「ほう、そうか。彼らは、朝賀殿の命により探索をしていたと申しておったが」
朝賀の顔色が変わった。
「ええい、知らぬ、知らぬわ」
「私が御手先役という事をお忘れなく。おぬしも〔失踪〕させる事など容易き事ですぞ」
「何を。儂とて目尾組の頭じゃ」
「そうですか」
清記は脇に置いていた扶桑正宗に手を伸ばすと、抜き払い喉元の寸前で止めた。
「ひっ……」
「摩訶不思議な術で、この窮地から抜け出せますか? お頭殿」
「貴様」
「言わぬと、貴殿を斬るしかない」
「儂は……儂は命じられたまでじゃ」
「誰に」
「それは」
「誰に」
「おっ……お、お殿様じゃ」
「何故?」
「知らぬ。だがな、お前は若宮様や添田様と近しい。それを考えれば判るじゃろ」
やはりか。清記に驚きは無かった。平山家は警戒されている。しかし、それは過去の経緯を考えれば、無理からぬ事ではある。
「廉平は?」
「そ、それは知らぬ。儂は何も聞かされてはおらぬ」
「信じられぬな」
清記は、刀身を更に近付けた。朝賀の袴の色が、濃いものに変わる。嫌な臭い。どうやら、知らぬようだ。
「良かろう。だが、廉平について何か判れば知らせて下され」
朝賀の顔が、小刻みに上下する。
「それと、薊とか申す忍び。当家で預かっておる。廉平の代わりに使わせてもらうぞ」
「あ、ああ。承知した。……まさか、先日変死した芦谷は」
清記は頷いた。薊が言うには、芦谷は親ぐらいに年の離れた男で、嫉妬深く閨での倒錯的な行いに苦しんでいたそうだ。その話が本当かどうか判らないが、今の薊は芦谷が死んで良かったと言っている。
「この事はどうかご内密に。でなければ、芦谷殿の二の舞になりますからな。それは私としても不本意」
清記は、刀を引いて黙礼をした。そして、部屋を出る。朝賀は何も言わなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「戻ったか」
そう声を出したのは、利重だった。
雷蔵が八十太夫率いる逸死隊と共に、帰還したのだ。執政会議の最中である。
刺客を捕縛した。それを聞いた執政府の面々は、どっと沸いて安堵の表情を浮かべている。
雷蔵と八十太夫が、呼び出された。二人とも汚れている。髷は乱れ、顔には泥がついて渇き、着物は乱れている。それを見て、利重が吹きだした。
「何という様だ、お前達」
それに追従するかのように、一同も笑う。だが、雷蔵も八十太夫も表情一つ変えないでいる。
「だが、頼もしい限りだ。こうも早く犯人を捕らえられたのは、ひとえに二人の力だ」
「有り難き幸せ」
二人が、ほぼ同時に平伏する。
「江上、仔細を説明せよ」
相賀が言った。
「はっ……。殿を狙った刺客は五名。魑魅魍魎が如く、山野を巧妙に逃げておりましたが、遂に追い詰め、二名は斬り捨てましたが残りは捕縛いたしました」
「何か、手掛かりになるものは?」
八十太夫が首を振る。利重を襲うほどの刺客なのだ。身許が分かるようなものを身に着けているわけがない。
それから、相賀と八十太夫は幾つか問答を繰り返した。相賀が、妙に張り切っている。この一件の解決に貢献すれば、添田に取って代われる、決定的な功績になると思っているのだろうが。
「相賀。もうよいよい……」
二人のやり取りを、利重が苦笑して止めた。
「二人は疲れておるのだ。小難しい話は明日でよい」
相賀が、ばつが悪そうに口を噤む。どうも、この男は空回りしているという印象が拭えない。ここ数日、会議の様子を眺めているが、力み過ぎているのだ。黙っていても、添田の後を継げるというのに、何を焦っているのか。
「して、雷蔵。お前は武勲を立て過ぎぞ」
「……」
返す言葉が無いのか、雷蔵は黙礼で返した。
「妬まれぬよう気をつけよ。お前の活躍は、私も嬉しい。だが、周りはそう思わぬ。妬むなと私が命じても、人の気持ちまではどうにもならぬ」
「恐れながら、私が悪いのでしょうか?」
雷蔵の返答に、執政府はざわついた。表情を変えないのは、自分と添田、そして雷蔵の横にいる八十太夫ぐらいである。
隣に座した中老から、肘で小突かれた。どのような教育をしている。そう問われているのだ。
「いや、無能者が悪いのだ。引き続き父を助け、夜須藩を支えてやってくれ」
「はっ」
雷蔵と八十太夫が、退出した。二人はこれから風呂に入り、城中で休むのだという。ほぼ不眠不休での追跡だった。
「さて、尋問でございますが」
相賀が袖を払い、利重に身体を向けた。
「折角なのです。あの二人に任せてはいかがでしょうか?」
「ふむ」
「当然、平山の許可を得なくてはならぬでしょうが」
相賀が、清記を呼び捨てにした。今までは〔殿〕を付けていた。それ自体はどうでもいい。夜須藩の中老なのだ。職位が上であるので、呼び捨ても当然である。が、相賀の驕りを清記はそこに感じた。
「どうだ、平山」
「異論はございません」
「よし。八十太夫は構わん。私が許す。早速、明日から取り調べを行わせよう」
「明日からですか?」
「今はゆっくりと休ませてやれ。……それでよいかな? 添田」
最後に利重が、添田に訊いた。それが取って付けたようなもので、添田が異論を唱えるような雰囲気ではなかった。
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