第十回 帰還せり
久右衛門が、外記の前に現れたのは、室谷を始末して七日後の事だった。
その間清記と貞助は、黒脛巾組の忍びや室谷の手足になった志士達を、斬りに斬っていた。これは外記の命令で、特に志士に関しては誰を斬るべきか、その順番まで逐一指示を受けた。外記は事前に綿密な準備をしていたのだろう、特に探索する手間も無く、ただ殺すという作業だけに没頭した。
その結果として、久右衛門の尻に火を着け、こうして大入村から引っ張り出す事が出来た。外記の手並みに観念したのだ。
天霊禅寺の本堂である。外記の前に久右衛門が平伏し、清記は脇に控えている。
久右衛門は、思ったより若い男だった。二十九歳。顔や体躯に特徴は無く、何処にでもいる庄屋という印象しかない。室谷を傀儡にして深江を勤王に染め上げようとした男には、どうしても見えない。
「ようやく現れよったな、久右衛門」
外記が言うと、久右衛門は再び平伏した。
「此処に来たという事は、全てを話す気があるという事だの?」
「はい」
久右衛門が即答した。その態度や声色に、寸分の恐れや後ろめたさは感じない。もう腹を括っているのだろう。
「室谷を唆したのはお前か?」
「はい」
「何故?」
「この世を変えようと思いまして」
「すると、お前も勤王か?」
「いえ。勤王は、担ぐ旗に過ぎません」
「では、どうして室谷を唆した?」
「私は自分の力に自信がありました。その力がどこまで通用し、世の中を変えられるか試してみたかったのです」
それを聞いた外記の
「そうした折りに、室谷と出会いました。彼自身は凡俗な勤王家ですが、
「黒河藩とは?」
「私から、協力を依頼しました」
「村には何人潜んでいる?」
「もういません。そこにおられる平山様に、全員斬られましたので」
久右衛門が清記に顔を向けた。目が合ったが、久右衛門は動じる事は無く、視線を再び外記に戻した。
「
「二度、室谷と共に。黒河藩を介して深く語り合いました」
「なるほど。して、お前が会ったのは、成智院玄昌か?」
久右衛門は頷いた。
「この度の
「そうか」
外記が、頷いて煙草盆を引き寄せた。そして、煙管の煙草に火を着ける。線香臭い本堂に、煙草の煙。久右衛門の表情は、微塵の変化もない。
「儂はこいつが好きでね、のう平山の」
「私は嫌いですが」
そう答えると、外記は莞爾として笑った。
「外記様」
「なんじゃ」
「私を死罪になるのでしょうか?」
「死にたいのか、お前は」
「死にたくありません。私はまだ、何も為していませんので」
「何も為さず、死ぬ者は多い」
「……」
「久右衛門。今の世は、つまらぬか?」
「はい」
「何故?」
「武士に生まれねば、何も出来ません。いや武士でも血筋が良くなければ何も出来ない」
「確かに。無能でも、血筋が良ければ何でも出来るのう」
「それは、百姓にとって地獄です」
「どう思う、この国を」
「武士のみしか、政事を考えない。だから、この国は駄目なのです」
「言うのう、久右衛門。筋金入りの叛徒だよ、お前は」
久右衛門は、外記を見据えたままだった。怯えも、一切見えない。
(中々の男だ)
これほどの男は、そうはいない。外記が欲しがるのも頷ける人材だ。
「……判った。お前をこれより、武士として取り立ててやる。これより
これには流石に驚いたのか、久右衛門はその眼を見開いた。
「山背家は、我が家臣団でも中々筋がいい家門。今は断絶しているからちょうどいい」
「恐れながら、村は……」
「心配するな。新たな庄屋を入れてやる。百姓には、外記の家臣に取り立てられたと言えば納得するであろう」
「私が武士に」
「そうだ。儂が生きている間、お前は儂の忠僕だ。絶対に
久右衛門がしたたかに平伏した。これが久右衛門の返事のようだった。
「ただし、条件が一つある。成智院玄昌を殺せ。それが、お前を取り立てる条件だ」
「期日は?」
「十日」
「判りました。次にお会いする時は、坊主首を持参いたします」
それで、久蔵となった久右衛門は外記の前から辞去した。
「世話になったな、平山の」
二人になると、外記がぽつりと呟いた。
「いいえ、こちらこそ礼を言わねばなりませぬ。深江から勤王勢力を一掃する事は、夜須にとっても喜ばしい事ですので」
「いいや、いいや。それでも骨折りさせた。この恩、重く受け止めよう。何かあれば、すぐに知らせろ。あの久蔵にも、そう申し伝えておく」
そう言って、外記が清記に頭を下げた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
凶報は、深江城下を出ようとした時に知らされた。
利景の
藩庁に駆け込んだ清記を出迎えたのは、番頭の許斐亘だった。数名の取り巻きを連れている。
「殿は?」
清記の問いに、許斐は大きな口を真横にして頷いた。
「大事ございません。今は快方に向かっております」
「左様か」
「お殿様が申しておりました。『平山殿は慌てて駈け込んで来るだろうが、私の前で旅塵を落さず目通るのは甚だ不快。内住の代官所まで人を走らせ、家人に着替えを用意させよ』と。さ、まずは湯殿で垢を落されなさいませ」
清記は許斐の勧めに従う事にした。利景の容態が落ち着いているのなら、今更焦る事もない。
宿直用の湯に入り、衣服を改めた。利景の前に出たのは、もう陽が暮れかかった時だった。
利景は
「来ると思っていた」
利景が頼りない笑みを向けた。それは口許だけを緩めるような、痛々しいものだ。それを死相と読み解く事も出来る。
「深江では、よう働いてくれたようだな」
「少々、時間を掛けてしまいました」
「なぁに、それについては問題ない。松永外記からも逐一報告は入っていた。深江の掃除含めてな……」
お役目については、清記も相賀を通じて報告を入れていた。今更この場で知らせる事は無い。
「諸々の報告は後日で構わぬ。早々に帰ってゆっくりと休むがいい」
「しかし、殿」
「そう悲壮な顔をするな、清記」
そう言われ、清記は慌てて自分の表情を省みた。なるべく平静を装ったつもりだったが、利景には全てが見えているのだろう。
「お前がそのような顔をすると、やはり私は死ぬのだと思ってしまうではないか」
「殿は死にませぬ。この清記が、お守りいたします」
「ああ、私はまだ死なんよ。接政府の面々は、私がもう死んだかのように話しているがな」
利景に睨まれ、添田が苦笑いを浮かべた。利景亡き後の始末を考えなければならないのも、首席家老の務めだが、それが孫と変わらない歳の利景と言うのも、添田にとっては辛い所だろう。
「私は馬敷村の東光寺に移るつもりだ」
利景の発言に、その場に居合わせた面々が驚きの声を挙げた。東光寺は栄生家の菩提寺で、菰田郡にある。
「恐れながら、東光寺では警備の手が行き届きませぬ」
早速反対したのは相賀だった。
「待っていても死ぬ者を、誰が殺すというのか? それに、東光寺には帯刀を伴う。死ぬ気で私を守るさ、のう帯刀?」
「勿論、それは」
「しかし、城下とは些か離れております。政務などに支障をきたすのでは?」
「おいおい、相賀よ。死にかけの病人を働かせるつもりか?」
利景が一笑し、相賀もそれ以上の言及を諦めたのか、下を向いて黙った。
「私は、あの村が好きなのだ。死ぬならば、好きな場所で死にたい。それに、東光寺は我が栄生の菩提寺。骸を運ぶ手間が省けるではないか」
そこまで言われれば、もはや誰も反対しなかった。利景は、他の大名に比べ贅沢をせず、質素倹約に励んでいた。死ぬ時ぐらいと、皆は思ったのだろう。清記もただ平伏していた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
翌日、建花寺村に戻った。
清記を出迎えた三郎助が、さっそくあれこれと報告をする。一通り聞き終えると、代官所棟で磯田から政務に関する報告を受けた。
「ほう、死体が」
磯田の報告に、
清記は、二刻ほど書類に目を通すと、自室で仮眠をした。目を覚ましたのは夕方で、雷蔵は既に戻っていた。
「お帰りなさいませ、父上」
雷蔵が自室に現れ、軽く目を伏せた。相変わらず、その声色には不敵さがある。
「潤野村で死体が見つかったらしいな」
「ええ。渡世人風で、数カ所に刺し傷。喧嘩だと思いますが、一応調べます。藩庁には明日連絡を」
清記が頷くと、雷蔵はふと表情を崩した。
「如何でしたか、お役目は」
「問題ない」
「深江は、色々と難しい土地と聞きましたが」
「小藩の悲哀を感じた。深江には、勤王も佐幕も無い」
「と、申しますと?」
「生き残る為には、勤王にも佐幕にもなるという事だ。今回、一応恩は売ったが、いつ背中から刺されるか判ったものではない」
すると、雷蔵は膝を叩いて笑った。
「しかし、父上。それが本来の人間らしくていいですよ。勤王も佐幕も、より良く生きようする為の方便。方便の為に死ぬのもおかしな話です」
「すると、お前は佐幕を貫く我が藩をどう思っているのだ?」
「父上。幕府の力が強い今は、それでも構わないでしょう。ただ、問題はこれが逆転した時ですね」
「お前、自分が何を言っているか判っているのか?」
「この世で、滅びないものなどないのですよ。命も剣も。そして幕府も」
雷蔵がそれで辞去し、代わって三郎助が現れた。手には徳利を持っている。既に陽は暮れていて、晩酌をしようという事なのだろう。肴には、炙った猪の干し肉を用意していた。
「雷蔵は変わったな」
固い肉を噛み締めながら清記が問うと、三郎助は盃を呷り首を振った。
「いやいや、変えたのは殿ですぞ」
「確かに、そうだ。あやつには過酷な事を強いて来たが」
「雷蔵様には、殿と同じになりたくないという想いがあるのでしょう」
「それで、あの物言いか」
「殿が不在の間、栄生帯刀様や添田甲斐様に呼ばれる事が多々ありました。斜に構えた言動は、御二方の影響かと」
「付き合う人間は選ばねばならんな」
「可愛がられているようで。勿論、殿の代わりも疎かにしておりませんでしたぞ」
「ならいいが」
清記は、盃を掌で弄びながら、そろそろ家督を譲るべきかと、考えていた。三郎助や磯田がいれば、代官職は全う出来るだろう。御手先役としても、十分な腕はある。今、身体を蝕んでいる病に倒れる前に家督を譲り、後見として雷蔵を支える。それが出来るのは今しかないのでは、と清記は思った。
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