第七回 深江藩(後編)
「浪人さん、お客様ですよ」
朝餉を食べ終えほうじ茶で一息ついていると、大年増の仲居が客の訪問を告げに現れた。
清記は通すように命じると、暫くして武士に化けた貞助が姿を見せた。
百群色の小袖に、縦縞模様の行灯袴。それに大小を帯びている。
「似合わんな」
「会うなり、失礼ですね。これでも士分なのですよ、私は。そう名乗る事は滅多にないのですが」
「そう言えば、廉平も姓があると言っていたな。ただ、名乗る機会が無いから忘れたと言っていたが」
「私も本当の姓は存じません。だから
「おかしなものだな」
「目尾組は、武士であって武士に非ず、なのですよ」
武士を意識してか、貞助の口調もそれらしく変えている。
「畦利貞助か。しかし、変装では廉平には敵わぬようだな」
「それは、廉平殿が目尾組では一番の変装名人ですから。私が得意としているものとは違います」
「ほう。お前には別の特技があると言うか。それは興味深い」
「それは後々。それより、今日は松永外記様にお会いする算段をつけています。ご案内しましょう」
「仕事が早いな」
「当然」
◆◇◆◇◆◇◆◇
貞助の案内で郊外にある禅寺に導かれた。
寺塀は高く、山門も荘厳な造りである。〔天霊禅寺〕という寺号で、松永家の菩提寺だそうだ。
中に入ると、境内の枯山水に目を引かれた。凝った砂紋や築山、
(これは、中々風情があるな……)
中秋となれば、庭の上に浮かぶ月を肴に一杯傾ける事が出来るだろう。ただ、今は無粋な武士どもが台無しにしている。
(外記の護衛か)
屈強な男が七名。暗殺を警戒しているのだろうが、これが深江藩内で多いか少ないかは判らない。
夜須藩に天誅の風が吹いていた頃、兵部には十名近い供がいた。決して臆病でも、武芸の覚えがないわけではないが、それが兵部という男だった。一方の帯刀は、いつもと変わらず一人で、故に何度か襲撃された事があった。それでもなお、護衛をつけなかったという。深江藩の規模を考えれば、外記は用心する
「ここからは、平山様お一人で」
護衛の一人が言った。清記は貞助を一瞥した後、深く頷いた。
境内の離れに建てられた茶室に、清記は案内された。
見事な茅葺で、ここにも銭が掛けられている。とはいえ全体の雰囲気は質素で、これが侘びというものだろう。
ただ、中は無人であった。
(待てという事か)
と、清記は丸窓の外に広がる枯山水を愛でながら待った。
交渉事には、よくある事だ。相手を待たせ、焦らす。そうする事で、主導権を握る。今回は交渉ではないが、似たようなものだと清記は思っている。ここは深江藩。相手はその政治指導者なのだ。
四半刻後、茶道口から中年の男が現れた。十徳に茶人帽。亭主かと思ったが、その面貌を目にして、清記は考えを改めた。
鷲鼻。尖った顎。両眼は団栗のようで愛嬌はあるが、口はへの字に閉じられている。
(これは、茶人の
清記は、直感した。この顔は、政事という
偽茶人は無言のまま一服茶を点て、清記は作法に則ってそれを受けた。茶について無知であるが、その茶葉が高級であるかどうかぐらいは判る。
「
「玉満というと、九州のでございますか?」
「左様。三潴藩から贈られたものでな」
偽茶人は、名乗るつもりはないのか。更に言葉を繋げた。
「藩主の
清記は、頭に叩き込んだ大名武鑑を心中で諳んじた。
(確か……)
三潴の木工助とは、
「しかし、蒲池家とは何とも」
「ふふ」
外記は不敵に微笑んだ。清記の言葉の意を理解したのだ。
蒲池家は、隈府の菊池家と双璧を為す勤王大名である。古来より朝廷の為に働いてきた歴史を有し、家臣団もその事をよく弁えている。
「幕府としては、勤王大名を抑える為の養子入りだったのかもしれぬが、人選を間違えのだろう。『朱に交われば赤くなる』というが、まさにそれでな。お陰で、我が深江はいい迷惑だ」
つまり、恒涛は家臣に取り込まれて勤王になり、そして久臣を勤王に誘おうという事か。この騒動に絡むんでいるのは黒河だけと思っていたが、どうやらそれだけではないらしい。
「最近では、木工助様と特に親しい、
「黒河ではなく?」
「あやつらは、もう少し利口だ。姿を巧妙に隠し、矢面に立つ事は無い。今は蝦夷地の外国船騒ぎでそれどころではないが、まだ完全に手を引いてはおらん」
「私を
「ほう。それはどういう意味だね、平山清記」
「それは言うままの意味でございます、外記様」
名前を読んでみた。この偽茶人が、深江藩の首席家老、松永外記。間違いない。
「さてさて、それは言えんな」
偽茶人はそう言うと、闊達に笑った。名前を否定しない所を見ると、どうやら外記で間違いないようだ。
「流石です。そうなくては、深江の藩宰は務まらぬものと推察いたします。その変装含め」
「たまにこうして変装すると、嫌な事を忘れられる」
「判る気もします」
「ならば家老の座を降りろと思われるだろうが、儂の家は代々の家老職でな。しかも、なまじ能力がある故に、首席家老にまでなってしまった」
「つまり『なまじ能力がある故に、首席家老にまでなってしまった』外記様の悩みを取り除く為に、私が遣わされたわけでございますね」
「そうだ。室谷慶堂には何度か刺客を放ったが、誰一人とて帰ってきやしない。どうも一党の中に凄腕がいるようでな。儂はこれ以上手駒を失いたくはないし、何より同じ深江侍の同士討ちは見るに忍びない」
「それで、わざわざ夜須を頼ったわけですか。己が血を流したくないが為に」
「人聞きが悪いな、平山の。如何に
始祖とは、戦国の御代に謀略の限りを尽くした松永久秀の事だ。清記は彼について、軍記物でしかしらない。その中での弾正は、悪辣な策略を仕掛ける謀将として登場する。それを思えば、如何に自分の血を流さないかを遺訓にするとは、弾正らしいと笑いたくなる。
「それに、これは何も深江だけが得をする話ではない。我が藩にとっては、混乱を阻止出来る。夜須にとっては、深江という外様を敵に回さずに済む。互いに利はあろう?」
だから、わざわざ派遣したのか。その辺りの駆け引きは、清記が関知するところではない。あくまで、自分は御手先役なのだ。外交の一手に使われようとも、己の役目を遂行するだけである。
「理由はどうあれ、私は室谷を斬るのみです」
「すまんな。これが室谷に関する調書だ。渡すわけにはいかんので、今読んで頭に叩き込むといい」
そう言うと、外記は一冊の帳面を差し出した。
「これは、ありがたく拝見いたします」
と、清記は手に取って、その内容を頭に叩き込んだ。
室谷慶堂。三十六歳。本名は室谷順之助。父は儒官で、母は商家の娘。十五の時に両親を相次いで亡くすと、残された銭を元手にして、遊学の旅に出る。二十五の時に藩校の儒学師範に登用され、昨年の春に職を辞す。辞職の前年から大楠公の子孫である事を自称し始めた。なお、その真偽は定かではない。
他にも趣味や好み、交友関係まで網羅されていた。室谷には妻はおらず、報告書によれば男色の気があるらしい。相手は主に弟子が務めているとか。
「それとだ、平山。儂としては、当藩に潜入した勤王の賊共も始末して欲しいのだがなぁ、どうであろう?」
「畏れながら、その儀は私の役目ではございません」
清記は即答したが、外記の表情に変りは無かった。団栗のような瞳を、じっとこちらに向けている。
「だから頼んでおるのだ」
「それは、外記様が佐幕のお立場であるからでしょうか?」
清記は、帳面を返しながら訊いた。
「佐幕か。
帝や朝廷に尽くす勤王に対して、佐幕は幕府を助けるという意味がある。この言葉は、昨年末になって耳にするようになった。
「単刀直入に申せば、相手が勤王だからだ。もし相手が佐幕であれば、儂は勤王になる。それが政治闘争というものだ」
清記は思わず微笑んでいた。ここまで有り体に話す者はそういない。そして、正真正銘の狸だと、改めて思った。騙す所は騙し、隠す所は隠し、話す所は素直に話す。そうした話術で相手を幻惑し、有利な展開へ陥れるのだ。
「無論、それなりの報酬を用意している。銭などという無粋なものではない」
「と、言いますと?」
「〔貸し〕だ。おぬしは、この儂に〔貸し〕を持つのだ。この深江を牛耳る儂に」
「それは魅力的でございますが、それを信じられるかどうか」
「証文でも書くぞ。おぬしに何かあれば、この深江藩は全面的に協力しようと、な」
清記は、答えを出さなかった。まずは室谷を斬る。それだけに集中すべきなのだ。
外記によれば、凄腕の剣客の他に、黒脛巾組も室谷の傍で潜んでいる。まずはその者らを、どう室谷から引き剥がすのか。そこから考えなければならない。
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