第五回 逸死隊(前編)

 血の臭いがした。

 夜である。清記は私室の障子を開けると、庭に何者かが蹲っていた。


「清記様……」


 声は廉平だった。清記は裸足のまま飛び出すと、黒装束の廉平が肩の傷を押さえていた。


「どうしたのだ、これは」

「皆藤の野郎でさ」

「何?」

「下手を打っちまいやしたぜ」


 月の光に照らされた、廉平の顔色は白い。傷は深くないが、血を失っているように見えた。


「もう喋るな」


 清記は、雷蔵と三郎助を呼んだ。二人はすぐに駆けつけ、廉平を中へと運んだ。

 医者はすぐに呼ばれた。平山家では、医者を抱えている。楢塚若幽という三十過ぎの優男だ。若幽には結構な額を与えている代わりに、いつ何時でも無料で百姓達の病気や怪我を診なければならない。

 煮沸した糸と針で、傷は縫われた。傍で見ていると、若幽の手付きは鮮やかなものである。意識こそ失っているが、若幽が言うには八割は助かるようだ。

 清記はその日、一睡もしなかった。三郎助や雷蔵が代わると申し出たが、それを断った。

 清記は、廉平に皆藤の探索を依頼していた。不敵に現れただけでなく、念真流を使える事を匂わせた皆藤を捨てて置けなかったのだ。その為に、廉平が斬られた。報酬は与えるつもりだったが、本来の役目ではない。今までの付き合いに免じて引き受けてくれた事なのだ。


(廉平に頼むべきではななかった)


 不覚だった。やはり、皆藤は危な過ぎる。探るなら、自らですべきだった。

 しかし、これで疑念は深くなった。廉平がどう皆藤と接触したか判らないが、斬るという事はそれだけの理由があるからだ。

 廉平が目を覚ましたのは、翌朝だった。


「申し訳ねぇ」


 廉平が喘ぐように言った。


「喋るな。それに、私の方こそ謝らねばならん事だ」

「そんな」

「寝てろ。屋敷にはいつまでもいていい」

「しかし、お頭が」

「それは、私から言っておく。お前の女房にもな」


 廉平にも上役がいる。目尾組の組頭だ。見知った仲ではないが、帯刀か添田に手を回してもらうつもりでいる。

 私室に戻ると、雷蔵が現れた。脚絆に手甲。遠出をするつもりらしい。

 雷蔵は、連日郡内を忙しく駆け回っていた。内住郡代官助役に補任され、各村の現状を頭に入れるつもりだという。何日か戻らない日もあり、その熱心さを三郎助や磯田も感心している事だった。


「今日も出るのか?」

「ええ。廉平の件は私事ですから。内住郡の領民には関係の無い事ですので、政務を滞らせてはなりません」

「そうだ」


 私事と公事を分ける。これは、郡代官としても御手先役としても重要な事だ。雷蔵もその自覚が付いたという事だろう。しかし、こうした物言いは、人によって小癪に聞こえるものだ。代官となれば、人付き合いも多い。無暗に敵を作らない事も、雷蔵は学んでいかねばならない。


「今日は何処へ?」

「南の方にも足を向けようかと」

「ほう」


 内住郡の南部は山岳地帯で、農耕よりも林業や狩猟が盛んな地域だ。百姓だけでなく、山人やまうども多い。


「暫く行っていない場所だ。よく見ておくといい」

「判りました。場所が場所です。戻りは遅くなるかもしれません」

「それは気にするな。五日以内に戻ればいい」


 清記は頷いた。内住郡南部は山深く、日帰りなどは到底出来ない。また、山人にも会うとなると、二日や三日では足りない。


「廉平の容態は?」


 雷蔵が訊いた。


「今は眠っている。どうやら一命は取り留めたようだ」

「そうですか。まずは、よかった」


 と、雷蔵は小さく頷いた。顔には僅かばかりの安堵が見て取れる。


「ですが、廉平は私の叔父のような存在です。斬った者が許せませんね」


 その気持ちは、清記も同じだった。廉平は、二十年来お役目を共にした相棒。斬られる原因を自分が作ったといえ、したたかな怒りがある。


「下手人については、何か?」

「皆藤左馬。その男を探っていて斬られた」


 清記は、一瞬だけ逡巡し、その名を口に出した。


「知っているか?」

「皆藤……いや、存じません。その者が斬ったのですか?」

「おそらく。そして、皆藤はお前の事を『狼が如き若者』と言っていた」

「私の事を?」


 雷蔵は、暫く考えたが知らないと答えた。おそらく、姿を消していた間に何処かで見られたのだろう。そして、雷蔵はそれに気付かなかった。


「父上。この件をどうなさるおつもりですか?」

「これは平山家の問題だ。藩庁には報告しない」

「平山家の問題と申しますと、刺客の類ですか?」

「狙いは判らんが、似たようなものだ」

「では、私の前にも現れますね」

「その注意は払う必要があるだろう。皆藤は予想以上に使える。注意を怠るなよ」

「それは楽しみです」

「そのような心持ちでは、足許をすくわれるぞ」


 清記は諭すように言ったが、雷蔵は目を伏せただけだった。以前の雷蔵ならば、素直に話を聴いて頷いただろう。そうしないのは、自らへの自信の表れか、或いは父親への反抗心か。どちらにせよ、その根幹にあるのは慢心であるのは間違いない。自らの天稟に気付き、敵に勝ち過ぎた故に生まれたものだ。そして、それが命取りになった男を、清記は何人も知っている。


「念真流を破る事など出来ませんよ、父上。だから、忌むべきこの流派は滅びないのです」


 その念真流を、皆藤は使うのだ。その言葉が喉元まで出かかったが、それを抑えた。この件は、伝えない方が雷蔵の為になるのかもしれない。今のままでは、雷蔵は増長するばかりだ。もし伝えない事で死ねば、それまでの武運だと諦めるしかないのかもしれない。それが、雷蔵が背負った星なのだと。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 表が騒がしくなった。

 眠った廉平を残して、御用部屋で書類仕事をこなしていた時である。


(また帯刀様が来られたか)


 そう思って放っておいたが、騒がしさは増すばかりで、清記は仕方なく筆を置いた。


「平山様」


 若い下役が、血相を変えて駆け込んできた。


「如何した?」

「雷蔵殿が……」

「雷蔵がどうしたのだ」

「曲者かと存じますが、表で」

「もういい」


 御用部屋を出ると、磯田がちょうど来ていた。


「何が起こっているのだ?」


 清記の後を追う磯田に訊いた。


「雷蔵殿が、何者かと立ち合いを」

「村内でか?」


 磯田が頷く。


「今にも斬り合いそうな勢いです」

「相手は?」

「武士です。浪人風の」


 磯田は、武道に疎い男だ。多少大袈裟とも思ったが、今の雷蔵ならやりかねない。相手が気になるが、それは見ればすぐに判る。


(まさか)


 屋敷を出ると、雷蔵が皆藤左馬と向き合っていた。村の中心部へと至る坂道での事だ。雷蔵が、皆藤を見下ろす形で対峙している。両者はまだ抜いておらず、測り合っている状態だ。

 清記ですら息を呑むような、禍々しい殺気だった。それに気圧されたのか、三郎助も声を掛けられないでいる。

 清記は、磯田に野次馬を下らせるよう命じた。相手は皆藤だ。代官所の役人と言えど、聞かれたくない話もある。


「殿」


 三郎助が慌てて駆け寄ったが、それを清記は無視した。


「やめよ」


 二人は応えない。今にも抜きそうな、氣の張り方だった。何かの拍子には弾けるのではないか、と思える。

 仕方なく、清記は扶桑正宗に手を掛けた。


「引かねば双方斬る」


 先に構えを解いたのは、皆藤だった。仕方ないという表情をしている。一方の雷蔵は、なおも対峙の姿勢を解かず、皆藤を睨めている。


「雷蔵、斬られたいのか」

「父上、この者が廉平を斬ったのです」

「だから何だ」

「斬りますよ。当然です」


 雷蔵は、清記に目も向けずに言った。本気なのだ。そう思った時には、雷蔵を殴り倒していた。


「頭を冷やせ」

「冷静です。冷静だから、今まで抜かなかったのです」

「まだ言うか」


 立ち上がろうとする雷蔵を、清記はなおも蹴り倒した。


「痛いですよ、父上」

「引けと命じたはずだ」

「そうですね。父上の命令は絶対でしたね」


 そう言った雷蔵に清記は何も答えず、皆藤に正対した。

 気付けば、野次馬は消えている。残っているのは三郎助だけだ。


「これは申し訳ない、皆藤殿」

「厳しく育てられていますな。これが狼の子育てというものでしょうか」

「で、今日は何の御用かな?」


 清記は、皆藤の言葉を敢えて無視した。廉平を斬った男だ。探ったのは自分なので罪に問えないが、見たい顔ではない。


「私の身辺を探っていた蚤が、あろう事か内住代官殿のお屋敷に逃げ込んだのをお見掛けしまして」

「さて、当家に皆藤殿を探るような不届き者はおらぬが」

「……どうでしょうか。私はちと疑い深い性分でしてねぇ」


 清記は雷蔵を一瞥した。些か落ち着いた様子だが、その袖を三郎助に握られている。


家捜やさがしをするつもりならば、いつでも。但し、我ら親子は黙ってお通しするほどお人好しではないが」


 すると皆藤は肩を竦め、冗談を素直に詫びた。


「いやはや、申し訳ございませぬ。今日の目的はそうではなく、平山殿をお連れせよと命を受けまして」

「なるほど。御別家様の所にか」

「いいえ。ですが、是非来て貰わねばなりません。御家の為に」

「おぬしが言う御家とは、栄生か? 犬山か?」

「無論、栄生家です。私は新参ながら夜須侍になった身。まずは御家が第一」


 策謀の臭い。それを強く感じる。同道すべきか一瞬だけ迷ったが、清記は首を縦にした。ここで断っても、それは日延べしたに過ぎない。


「かたじけない。出来れば、ご子息も一緒に。いずれは御手先役を継がれるのですから」

「それはお断りしよう。息子共々討たれた織田右府おだ うふの二の舞にはなりたくないのでな」

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