第十回 残党

 翌朝、雷蔵は清記と共に楽市村の添田邸を辞去した。

 昨日は、別邸で一泊した。あの後には酒も振る舞われ、ささやかな宴となった。

 話題は、これからの藩政。酔った相賀がしきりに言っていたのは、藩士の登用についてである。役人に試験を科して、成績の悪い者は幾ら身分が高くとも落とす。逆に、成績さえ良ければ百姓であっても登用するというのだ。その意見に、添田は皮肉交じりの笑みを見せ、


「新たな賄賂の温床となるだろう」


 と、一蹴した。

 一方の添田は、財政改革が最重要だと語った。夜須藩は先君の放埓な遊興が祟り、江戸や上方の商人に大きな借財がある。その返済と財政立て直しの為に、新たな殖産を手掛けるべきだと。

 こうした話を、それも政権を握る者の口から聞けるのは貴重な事である。いずれ代官職を譲られる雷蔵にとっても、けっして無関係な話ではないのだ。


(誰かいるな)


 雷蔵が不審な氣を感じ取ったのは、鬱蒼とした森を貫くように通された、道の途中での事である。

 この辺りは土師はじと呼ばれ、近くには土師八幡宮がある。つまり、この森は社叢しゃそうであるが、平素人が往来する場所ではない。


(昨日の浪人の仲間か……)


 氣は狐狸の類ではない。尾行つけていたわけでもなく、待ち伏せしていたとい所だろう。そうなれば、この土師ほどうってつけの場所は無い。


「誰かいるな」


 同じ氣を感じ取ったのか、清記が歩みを止めた。


「雷蔵、どう思う?」

「昨日、添田様の屋敷をお訪ねする前に、三人の浪人に襲われました。その残党なのかもしれません」

「そうか」


 察する氣は一つだけである。他にいるのかもしれないが、そこまでは判らない。


「御免」


 木立の間から声がした。

 程なく、微かな血臭と共に黒装束の男が姿を現した。歳は三十路ほど。能面のような、不気味な面構えである。


「平山清記殿と雷蔵殿とお見受けする」

「左様。して、貴殿は?」


 清記が答えた。


「黒河藩士、安川慶吾やすかわ けいご

「ほう。黒河藩と。伊達蝦夷守様の御家中が。いち代官風情に、如何なる御用だろうか?」

「拙者、黒脛巾組の一隊を率いる組頭でござる。既にご存知であろうが、我らは夜須で働いておりましたが、武運拙く当初十五名いた我が隊も拙者のみなり申した。このまま黒河に戻っても、拙者は無能な組頭として処断されるだけ。ならば亡き手下共の仇を討とうと参上した次第」


 安川という男は、妙に礼儀正しかった。刺客として現れた事よりも、そちらに雷蔵は些か驚いた。目尾組の忍びとは全く違う。それは安川が藩士と名乗ったように、士分に組み込まれているからかもしれない。


「我が愚息を襲ったのも、安川殿か?」

「如何にも。ただ、それはほんの腕試しとして、食い詰めた浪人を使わせていただき申した」


 それを訊いた清記が雷蔵を一瞥した。雷蔵は頷いて応える。


「安川殿。して、お相手はどちらに? 私か息子の雷蔵か」

「ならば、平山清記殿にお願いしたい。元より、ご子息には何の恨みもありませぬ。腕を試したのは、念真流を見たいが為の事。我々を討ったのは、清記殿と小忠太という忍びのみ」


 雷蔵は、清記に目を向けた。


(父上が、黒脛巾組を?)


 安川は、父が手下を討ったと言った。それを信じるならば、父は黒脛巾組の報告を受けた後、その討伐をしていた事になる。確かに、雷蔵が代官所の下働きや浪人狩りをしている間、外出する事が多かった気がする。


「よかろう。望み通り、私がお相手する」

「かたじけない。その前に、これを」


 そう言うと、安川は風呂敷包みを転がした。


「見ろという事か」


 安川が頷く。

 雷蔵は清記に目で合図され、その風呂敷の包みを解いた。中から出て来たのは、小忠太の首だった。半目を開け、恨めしそうな顔で虚空を見つめている。


「小忠太」


 雷蔵は、沸き立つ怒りを必死に抑えた。これは挑発なのだ。そして、それに乗るのは安川の罠である。


(しかし、許せん)


 元々、あの場所に潜んでいた黒脛巾組は、自分が始末すべきだったのだ。それを、その存在に気付かなかったばっかりに、小忠太が代わりに討ってくれた。故に死ぬ羽目になってしまった。

 友だ。癪に触るが、そう思うようになっていた矢先だった。


「流石は、夜須の忍び。少々手が掛かり申した」


 嘲笑が混じったその言葉を耳にして、雷蔵は思わず一歩前に出ていた。

 だが次の瞬間には、


「控えよ」


 と、制止され、仕方なく引き下がった。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 清記は羽織を脱いで雷蔵に手渡すと、手際よく下げ緒で着物の袖を絞った。


「では、安川殿」


 安川は頷き、ほぼ同時に抜いた。

 清記の佩刀は、扶桑正宗ふそうまさむね。反りの浅い、高刀身に高貴な刃紋を湛えた銘刀である。

 清記は上段、安川は正眼に構えを取った。

 父が上段など珍しい。そう思ったのも束の間、対峙した二人の氣に気圧され、雷蔵の息が詰まった。


(安川も、かなりのものだ)


 父の構えや氣からは、余裕を感じない。つまり、それほどの力量を安川は持っているのだ。

 風が吹いた。対峙が続き、静寂が広がっている。耳に入るのは、風が揺らす木々の音と、上空で旋回する鳶の鳴き声だけだ。

 雷蔵は、両手を強く握り締め、一瞬でも見逃さまいと目を見開いていた。無論、父が敗れるなど思ってはいない。興味は、父が安川をどう破るかである。

 清記が、一つ気勢を挙げた。腹に響くような声だ。安川は、それに応えない。佇立しているように、構えている。

 まず、清記が先に動いた。

 地擦り足で、じわり距離を詰めていく。そして扶桑正宗の剣域が安川を捉えた刹那、清記が気勢と共に踏み込んだ。

 二人の身体が交錯する。

 安川の、待ち構えていたかのような斬撃。猛烈だった。上段の構えが故に、がら空きになった清記の胴を薙ぐ。

 だが、宙に舞ったのは、安川の右腕だった。

 清記の姿が消えていた。


(どこだ)


 雷蔵は、父の姿を目で追った。

 上。清記が上段に構えたまま、跳躍していたのだ。

 扶桑正宗を振り下ろす。見事な、父の落鳳だった。


◆◇◆◇◆◇◆◇


「覚えておけ」


 清記は、血脂を懐紙で拭いながら言った。


「これから様々な刺客が、お前の前に現れるだろう。遺恨を持つ者、銭で雇われた者、腕を試したい者。その全てを退けながら、御家の為に役目を果たさねばならぬ。よいな」


 雷蔵は頷いた。今後も、このような事が続くのだと、胸に刻んだ。父は人知れず、このような修羅の中で生きてきた。これが平山宗家の宿命ならば、受け入れるしかない。


「しかし、見事な腕だった」


 清記が二つになった安川を見下ろして言った。そして、手を合わせる。雷蔵もそれに倣った。


「忍びにしておくには惜しい使い手と見えました」

「そうだな。剣客になっていれば、名を残せたかもしれん。しかし、生まれた家が忍びだったのだろう」

「人は、生まれ持った宿星には逆らえないのでしょうか?」

「どうかな。逆らい生き方を変えたとしても、それも宿星だとも言える」

「まるで禅問答ですね。それより、父上は黒脛巾組を追っていたのですか?」


 雷蔵は、思い切って訊いてみた。


「そうだ。お前の報告を御家老に申し上げた所、その討伐を命じられたのだ」


 そして清記は、この件について黒河藩に抗議はしないだろう、と付け加えた。というのも、抗議をした所で黒河藩は、


「安川という男が勝手にやった事」


 などと言い逃れし、そして夜須藩の機嫌を取るように、安川家一族を裁くはずだという。


「この事は、お前が考える事ではない。お前は堂島を追う事だけに集中しろ」

「そうですね」


 雷蔵は頷いた。


「堂島には、私が稽古を付けた。勿論、念真流ではなく建花寺流としてだが」

「……」

「強いぞ、堂島は」

「はい」


 父が強いと認めるほどだ。相当なものなのだろう。楽しみ、という感情が心のどこかで湧いている。


「必ず斬れ」

「はい」

「お前が死ねば、惚れている女も泣こう」

「えっ……」


 父が眞鶴の事を口に出した事に驚きながらも、もう一度、


「はい」


 と、答えた。

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