第九回 密命

「もし」


 そう前方から声を掛けられ、雷蔵は歩みを止めた。

 若菜村からの戻り、建花寺村に入る直前の事である。陽は既に傾き、遠くでは夕暮れを知らせる鴉が、里山の方へ帰りながら鳴いていた。


「平山家のご子息様とお見受けいたします」


 雷蔵は俯いた視線を前に戻し、塗笠の庇を上げた。

 武士と小者の二人がいた。武士の方は、かなりの歳である。皺が深い顔立ちと、胡麻塩頭。身なりから察するに、主家を持つ者であろう。顔に見覚えは無い。

 小者の方は、小さな身体を更に小さくして静かに控えている。その小者は鼠顔で、面白い顔をしていた。


「そうですが、あなたは?」


 雷蔵は、腰に佩いた関舜水八虎の重さを意識した。浪人には見えないが、万が一という事もある。


「私は添田甲斐様の執事で、木下弥兵衛きのした やへえと申します」


 老武士は、慇懃に頭を下げた。その姿は、長く身分ある主人の側近く仕えた者だけか持つ、一種の形式美があった。


「その木下殿が、私に何か?」

「我が主が、雷蔵様にお会いしたいとの仰せでございます」

「父ではなく、私に会いたいのですか?」

「左様にございます。詳しくは存じあげませぬが、急ぎおいで願いたとの事で」

「今からですか?」


 老武士が、目を伏せた。堪忍してくれという感情が、言外で伝わる。


「今から城下となると、骨ですよ」

「いえ、別邸にお招きせよとの事でございます。御同道を」


 その声には、有無を言わさぬ響きがあった。有能な執事なのだろう。きっと、添田もこの執事には従わずにいられないはずだ。

 ふと、平山家の執事をしている中年太りした小男の顔を思い出した。木下のように洗練された動きや物言いはしない。だが、三郎助も立派な執事だ。 父も、


「三郎助がいなければ家中が回らぬ」


 と言って、頼みにしているほどだ。


「如何でございましょう?」


 木下が、雷蔵の思念を断つように声を掛けた、雷蔵は、静かに頷いた。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 添田甲斐の別邸は、忠隈山ただくまやまの麓に広がる田園地帯、楽市村の外れにある。

 そこは穂波郡であり、雷蔵は奇しくも来た道をまた戻る事になってしまった。

 陽はとうに暮れていた。鼠顔の小者が提灯を持って先導する。夜道に慣れているのか、その足取りには迷いはない。


「暫くお待ちくだせい」


 先導する小者が立ち止まり、声を潜めた。

 提灯の灯りが届かぬ所で、猛烈な殺気が蠢いている。小者は、この氣を察したのであろう。それなりの心得があるようだ。


「何事か?」


 木下が小者に訊いた。その声色には、切迫したものがあった。


「魑魅魍魎の類でございやすねぇ。どうやら百鬼夜行にかち合ったみたいで」

「戯言を申すでない」


 一喝された小者は、歯を剥き出しにして嗤った。嫌な笑みだ。


「我々か、或いは私を狙った者でありましょう」


 雷蔵が前を出た。


「ほう……」

「差し当たり、火の粉は払います」


 雷蔵は、関舜水八虎を抜き払うと、灯りの向こう側に広がる闇に飛び込んだ。

 夜目は利いた。幼き日より、そうなるよう修練を重ねたからだ。

 まず、見えたのは刺客の驚いた顔だった。刺客は四人。雷蔵は、闇を縫うように動き、刀を奮った。

 三人が血飛沫を上げて斃れた。もう一人は脇腹を抜いた。致命傷を与えたが、すぐに死ぬ傷ではない。


「お見事でございます」


 背後でそう言った木下に、雷蔵は顔を向けた。


「これが建花寺流ですか」


 木下は雷蔵の腕前に、目を丸くしていた。どうやら、念真流や御手先役について何も知らないようである。


「しかし、何者でございましょうか?」

「さて、私には。ただ、平山家は何かと遺恨を抱えておりますれば、きっとその筋でしょう」

「我が主を狙ったという可能性は?」

「多分、それはありませんね。私のような部屋住みや用人、小者を狙う意味が判りません。木下殿が御家老の立場を揺るがす何かを掴んでいれば別ですが」


 何やら考え込む木下をそのままに、雷蔵はまだ息のある男の傍に立った。すかさず、小者が提灯を翳す。雷蔵は小者に一瞥をくれて頷くと、小者が照れたように笑った。


「何者だ?」


 男は答えない。顔に見覚えは無いが、見掛けは浪人である。


「何者だと訊いている」


 何も答えない。ただ、男は傷口を押さえて、痛みを堪えるように喘いでいる。

 雷蔵は、男の腹に蹴りを入れた。悲鳴が耳を劈く。


「容赦ございやせんねぇ。怖や、怖や」


 小者が言った。その声色には非難の響きはなく、何処か楽しんでいる様子がある。


「拷問をしている時間は無いですからね」


 雷蔵は、切り裂いた脇腹に足先を捻じ込んだ

 男が声にならぬ声を挙げる。雷蔵は足先を更に深く入れた。

 すると男は口を割り、


「銭」


 という言葉だけを引き出し、男は絶命した。

 刺客は銭で雇われたのだろう。平山家は、数多くの遺恨を抱えている一門である。考えた所で答えが出るわけでもなく、気にしない事にした。


◆◇◆◇◆◇◆◇


「此処でございます」


 添田の別邸は、田圃に囲まれた田園地帯の中にあった。

 立派な門構えで、郊外と言えど一藩の宰相が住まうべき屋敷の威容がある。

 大手門の横には、村人や旅人を守護する道祖神と、弁才天を祀る巳待塔みまちとうが並んでいた。添田は信心深いのか、綺麗な花と酒が供えられている。

 門が開き中に入ると、思わぬ明るさに雷蔵は眼を細めた。幾つもの石灯篭が、煌々とした灯りを放っているのだ。更に、庭は見事な杉の木立となっていて、小さな森のようにも見える。


「さ、中へ」


 木下に中へ促されたが、鼠顔の小者はいつの間にか消えていた。気配を毛ほどにも感じなかった。やはり、只者ではない。

 長い廊下と、無数の部屋。その奥の奥で、木下は膝を付いた。


「お連れいたしました」


 木下が障子の前で言うと、


「入れ」


 という短い返事が、直ぐに返ってきた。

 障子が開き、雷蔵は縁側に平伏した。


「平山雷蔵、お召しにより参上いたしました」

「ふむ。入れ」


 暫くの沈黙の後にそう言われ、雷蔵は顔を上げた。

 上座には、添田甲斐。そして、脇には相賀舎人と父の姿があった。相賀は雷蔵を見て頷いたが、清記は雷蔵を見ようともしない。無表情のままだ。

 雷蔵は二人にも頭を下げ、中に入った。


「お役目に精励しているそうだな」


 添田は微笑した。


「権藤治部衛が申していたぞ。浪人が急にいなくなったと。浪人を狩ってくれる下手人なら歓迎だとな。あやつはお役目の事を知らぬからのう」

「……」

「これは誇るべき武功だ。ただ、お前一人に辛く厳しいお役目を背負わせてしまっている。全ての夜須侍に代わって礼を言おう」

「いえ、これもお役目ならば」


 雷蔵は、恐縮して答えた。


「どうだ、お殿様が御自ら拵えた刀の切れ味は?」


 雷蔵は少し考え、


「豆腐、でございます」


 と、答えた。


「豆腐?」


 脇の相賀が、思わず聞き返す。


「ええ。人が豆腐のように斬れます」

「ほう、なるほど。言い得て妙。面白き例えだ」


 添田が膝を叩き、相賀も納得したかのように頷いた。


「頼もしいのう。のう、平山?」


 添田はそう言うと、清記を一瞥した。


「左様で」


 清記は、短く言って眼を伏せた。


「さて、雷蔵よ。本題に入る前に、もう少し寄れ」


 雷蔵は言われるがまま、膝行しっこうして前に進み出た。


「藩を揺るがす由々しき事態が起きてしもうた。これからの話は、藩の秘事だ。他言無用ぞ。よいか?」

「はっ」


 添田は、一つ深く頷いて口を開いた。


「堂島丑之助という郷士がおる。京屋敷勤番であるが、この男が京都留守居役の亦部忠左衛門またべちゅうざえもんと十余名の藩士を死傷させ逃亡した」


 聞いた事の無い名前だった。元より、大番格という上士に属する雷蔵が、郷士と関わる事は滅多に無い。


「目尾組からの報告では、堂島は夜須に向かっているという。江戸から夜須に至る南山道みなみせんどうは既に押さえた。指折りの使い手を選び、討手も差し向けた。しかし、堂島は生まれも育ちも夜須の者。しかも、山野を駆ける事に長けた山人やまうどの血が流れておる。南山道を通らずとも城下に入る道は幾つも知っておろう」

「夜須には来るが、何処から現れるか判らないという事でございますか?」

「そうだ。そこで、お前に頼みがある」

「何なりと」


 雷蔵は居住まいを正した。


「この堂島を討て」

「御下命とあれば」


 即答した。考えるまでもない。御手先役に断るという道は無いのだ。


「それに伴い、お前には暫く城下で起居してもらおうか。建花寺村は城下から遠い。それにお殿様を狙うならば、城下に現れるのは確実だからな」

「承知しました」


 確か、城下の南にある百人町に、平山家が管理する一軒家がある。長らく使用されていないが、此処を使えば問題は無い。


「質問は?」

「その堂島という者は、何故に京都留守居役やお仲間を斬り、夜須に向かっているのでしょうか?」


 雷蔵が問うと、添田は鋭い視線でめた。


「相賀」


 それを合図とばかりに、相賀が雷蔵に身体を向けた。


「堂島は、御手先役である」

「御手先役?」


 雷蔵は驚き、咄嗟に清記を見た。

 御手先役は、平山家のみが代々任じられてきたお役目である。堂島なる郷士が御手先役などとは初耳だった。しかし、清記の表情はいつもと変わらず、雷蔵を見ようともしなかった。


「正確に言えば、御手先役ではない。しかし、お役目の内容は、同質のものである」

「なるほど」

「堂島が上洛したのは、八年前。言わずものがな、京都では様々な陰謀と対立が渦巻いており、夜須藩も幕府方としてその渦中にあった。そこで、光当流の剣客であった堂島が御手先役の代理として遣わされたわけだ。そこで為した事は敢えて言うまでもないだろう」


 雷蔵は何と答えていいか判らず、少し目線を逸らした。


「そうした日々の中で奴の精神は摩耗し、壊れた。酒乱に喧嘩、博打に女狂い。夜中に幻覚を見て叫んだりした事もあったらしい。兎に角、最近は悪行三昧でな。ほとほと手を焼いていたそうだ」

「気でも触れたのですか?」

「そのようだな」


 自分も似たようなものかもしれない。今では自然の景色と化しているが、斬った者が枕元に立つ事もある。これは人斬りの宿命みたいなものかもしれない。


「そこで我々は、亦部忠左衛門に命じて堂島を消そうと画策した。このまま生かしておれば、夜須の恥になるからな。しかし」

「返り討ち、という事でございますか」

「そうだ。それが、誤りだった。平山殿に頼めばよかったと後悔している」


 相賀は、これで話は終わりだと言うように、身体の向きを戻した。


「雷蔵よ」


 今度は、添田が口を開いた。


「堂島は多くの謀略に関わり、表沙汰に出来ぬ、御家の秘密を多く知っている。もしこれが公になれば、当藩にとって大きな痛手となろう。奴が生きている限りは、何をするか判らぬ。奴が夜須に達するのは十日後ほどだ。これを、討て。必ずだ。討ち漏らすな」


 雷蔵は、清記を一瞥した。特に表情は無い。つまり、了承済みという事だ。


「かしこまりました」


 斬れと言われれば、斬る。その覚悟は、関舜水八虎を与えられた時に出来た。例え相手が親兄弟だとしても。それは父も同じだろう。

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