第二回 謀殺(前編)

 雷蔵は二つになった真崎の骸を見下ろし、一つ溜息を吐いた。

 また、手が穢れた。そう思ったところで、自分の心が救われる事は無い。判ってはいるが、ついそう思ってしまう時がある。

 この男は、勤王の志士であった。泰平の世を乱す極悪人。質素な生活の中で慎ましく暮らし、下々に優しく、武士としても気骨がある。真崎という男を眺めていてそう感じたが、結局は夢想家だった。

 そう思わねば、思い込まねば、御手先役など務まりようもない。


「お見事、お見事。流石は平山家の御曹司」


 闇から声がした。小忠太の声である。雷蔵は懐紙で血脂を拭うと、声がした方向に顔を向けた


「それは?」


 小忠太の右手には、血刀が握られている。微かに、闘争の後の氣も漂わせていた。


「小賢しい忍びがいたので始末した」


 そう言うと、小忠太は足元で倒れている骸を一瞥した。

 三人。格好は町人風だが、手には小太刀が握られ、手裏剣の類が散乱している。


「一人で?」


 小忠太が頷く。


「お前ほどじゃなくても、〔やっとう〕が得意でね」

「なるほど」


 闇の向こうで、無音の闘争が繰り広げられていた事に雷蔵は驚きを覚えた。それに気付かなかったのは、未熟な証である。


「結構やるだろ、俺も」

「驚きですね。想像以上です」


 小忠太の腕前などどうでもいい事であるが、一応返答はしてみせた。


「元服したからには、阿諛追従を含め人付き合いをよくしろ」


 それも、父に言われた事だ。馬鹿馬鹿しいとは思うが、藩という枠組みの中で生きるからには、そうした事が必要だとは判っている。だが、やはり趣味ではなく、どうしても違和感を覚えてしまう。


「小忠太殿。この者らは、どこの忍びでしょうか?」

「恐らくだが、黒脛巾組くろはばきぐみだろうな」


 雷蔵は首を傾げた。黒脛巾組という名前は、初めて聞く名である。


「黒河藩お抱えの忍びだ。俺達と似たものと思ってくれりゃいい」

「黒河藩……。あの伊達蝦夷守様の。真崎とは仲が良いとは聞いていましたが、その繋がりでしょうか」

「さてね」


 雷蔵は、その質問をした事を後悔した。目尾組は忍び。考える事は、その職分には無いのだ。それは御手先役も本来は同じで、自分が色々と考え過ぎるのかもしれない。斬れと言われた人間を斬る。それ以外は、御手先役の職掌ではないのだ。


「さ、真崎の首を刎ねるんだ。いつまでもいていい場所じゃねぇぜ」


 小忠太に促され、雷蔵は脇差を抜いた。仕事の肝はここからなのである。

 雷蔵は真崎の髷を掴み上げると、その首に脇差を当てた。


(南無……)


 刃を立て、一息に引く。血が吹き出すが、構わず脇差を動かした。嫌な臭いがした。慣れそうで、これには未だ慣れない。

 落とした首は、風呂敷に包んだ。持ち上げると、ずっしりとした重みがある。

 真崎の妻の顔が浮かんだ。三十過ぎの、肌が白い女だった。そして、幼い男児の顔も。罪悪感。湧き上がるそれを、雷蔵は必死で抑えた。真崎も二人の護衛も、大乱の元凶となる叛徒なのだ。民を護る為なら、剣を奮う事に寸分の躊躇とまどいはない。それが武士たる者の責務だと、昨年の旅の中で鏑木小四郎に教えられた。


「この先の土手に、猪牙ちょきを待たせてある」

「ありがとうございます、小忠太殿」

「なんの、これも俺の仕事さ」


 小忠太と別れた雷蔵は、真崎の首を手に土手へと降りた。

 そこには、猪牙舟ちょきぶねと船頭の姿をした中年の男が待っていた。


「廉平殿ですか?」


 顔を見て、雷蔵は言った。

 この男も目尾組で、父とよく組んでいる仕事をしている忍びである。その付き合いは、自分が生まれる前からだ。雷蔵も何度か会った事はあるが、自分とは深い付き合いはしていない。


「御曹司、御首尾は?」

「万事遺漏はありません」


 雷蔵はそう言って乗り込むと、廉平が操る猪牙が動き出した。

 夜須には海が無いが、波瀬川の水を利用し、城下に掘割を張り巡らせている。移動も舟の方が便利で、それ故に水運が発達していた。

 夜の城下は静かだった。そして暗い。人通りも無く、野犬の遠吠えだけが聞こえる。

 静寂が、寒さを際立たせた。闘争で火照った身体は既に冷め、川面から伝わる夜気が僅かな熱を奪っていく。春といえど、夜はまだ冬なのだ。


「どうでした、小忠太は?」

「馴れ馴れしいので驚きました」


 雷蔵は、微かな笑みを見せて答えた。


「あの野郎。御曹司には粗相が無いようにって言ったんですがね」

「いいのです。私より年上でしょうし、それに腕は立つようです」

「あれは、俺のかかあの妹の息子なんですよ。どうも武士になりたいそうで、〔やっとう〕の稽古ばかりしやがるんです」

「武士にですか」

「へぇ」


 あの対抗心は、ここからか。などと、雷蔵は一人で頷いていた。

 目尾組は、制度上では武士である。しかし、お役目の性質からか、武士として生きる事は殆どない。勿論、武士からも同じ武士とは思われていない。

 菰田町こもだまちの四つ角近くで、雷蔵は猪牙を降りた。

 菰田の町内には、城下の物流を支える河川市場があり、日中には、夜須城下でも人通りが一際多い地区である。


「此処で結構です」

「じゃ、あっしはこれで」

「父上に、報告を頼めますか?」


 雷蔵は、懐から銭を幾つか取り出した。何か頼む時は、銭を与える。それは父を見て学んだ事だった。


「おっと、御曹司。そいつは戴けませんや」

「何故? 足りないのですか?」

「いやいや。もう清記様には銭は頂戴しているんでさ。何かあれば助けてやれと」

「そうですか」

「へぇ。だから、気遣いは無用でございやすぜ」


 そう言って、廉平と猪牙は夜の中に消えていった。


(さてと……)


 最後の仕上げである。

 真崎の首を商家の軒先に括りつけ、父から託された書き付けを壁に貼り付けた。その書き付けには、斬奸状と書いてある。その内容を目にするのは、今が初めてだった。


(そういう事だったか)


 雷蔵は、真崎惣蔵殺しがどういった意図で画策されたものなのか、一瞬で理解した。

 斬奸状には、こう書いてあった。


 一、真崎は、勤王を唱えながら秘密裏に姦賊・相賀舎人と気脈を通じていた。

 一、真崎は、同志の動向を知らせる事で多額の報奨金を得ていた。

 一、真崎は、伊達家中と通じ、その力を以て御家を牛耳らんと画策していた。

 一、真崎は、同志と勤王の志を売る犬畜生である。


 以上の理由から、天誅を下す。


(仲間割れを偽装したわけか)


 真崎を呼び出し、相賀という佐幕派と密会したという事実を作ったのは、斬奸状の内容に真実味を持たせる為だったのだろう。そして、真崎の名声を貶める狙いも。


(誰の発案かな)


 あの相賀が関わっている事は、恐らく間違いはない。あの男は、藩随一の切れ者。しかも、勤王党とは因縁もある。

 しかし、何とも悪辣な策を弄した事か。昨年、勤王党に相賀は襲撃された。その復讐なのだろうか。

 そんな事を考えながら、雷蔵は足早にその場を離れた。

 酷く疲れた気がした。初めて任された仕事を終えたというのに、何の晴れ晴れしさもない。ただ、終わったと思っただけである。

 真崎は死んだ。しかし、まだ弟子は大勢生きている。彼らの処遇についても、執政府は何か考えているはずだ。このまま捨てておく事は考えられない。

 すると、また血が流れる。嫌だという気持ちと、やらねばという気持ち。それが複雑に混在し、雷蔵の足取りを重くさせた。


「まぁ、言われた通りにするだけだ」


 雷蔵は、声に出して呟いていた。

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