第三回 不手際

 宇美津に戻ると、仕事の山だった。

 藩庁に泊まり込んでの執務は、今日で三日目になる。夜須を離れていた間に、様々な事案が滞っていたのだ。そうならないよう、部下に命じて手筈は整えていたが、舎人の目から見て甘い部分が数多くあった。

 藩命とは言え、休暇を貰ったのだから文句は言えない。また言うつもりもない。それは、仕事の量が信頼の証だとも思っているからだ。

 実務官僚の長官。その自負が、舎人の誇りだった。

 利景は、古今稀に見る名君。名君であるが、理想に走るきらいがある。その利景を支える添田は学者出身であり、官僚としての経験が無い。

 この二人の意見を集約し具現化する事、そして藩政の実務を統括する事が、舎人に与えられた大きな役目だった。


(この職責を全う出来得るのは、私ぐらいしかおるまい)


 家格だけで執政府に連なる他の連中とは、土台が違う。また、そのぐらいの力量を見せねば、「白痴を娶って成り上がった」「兄の七光り」という陰口を黙らせる事は出来ない。

 それに仕事を片付けていくのは、密かな快感でもあった。与えられた仕事が多ければ多いほど、困難であるほど、それを成し遂げた時の恍惚は、射精にも劣らないものがある。

 勿論、それだけではない。一連の激務に耐える事が出来るのは、確固たる志が胸にあるからだ。

 利景が藩の全権を掌握すると、〔忠義〕という理想を掲げた。徳河家への忠、そして国の根本を支える民百姓への義。それを聞いた時、かつて夜須藩執政府を牛耳っていた、怠惰で無能な連中の顔が浮かんだ。彼らには忠義がない。あるのは薄汚れた私心だけである。

 こうした者共を、圧倒的な才覚を見せ付け追い落していく。それが〔忠義〕の完遂に繋がると舎人は考えている。


「相賀様」


 部下の祐筆ゆうひつが、帳面の山を抱えて御用部屋を訪ねてきた。


「これにも目を通して頂きたいのですが」


 舎人の机に山積みされた書類を見てか、祐筆は申し訳なさそうに言った。


「構わんよ。そこに置いておいてくれ」

「はぁ……」


 祐筆が持ってきた帳面は、引き続き行っている財政改革、勤王派への対応、そして自分の発案で議論されている新規開墾である。

 その開墾地とは、夜須の北部に広がる地蔵台じぞうだい。この地の土は肥えているが水源が遠い為、集落も形成されずに手付かずの谷戸やとと原野が広がっている地域である。

 栄生家が夜須に封じられて以降、執政府は三度も地蔵台開墾に着手した。だが一度目は山崩れ、二度目は資金切れ、三度目は政変に見舞われ挫折してきた過去を持つ。

 そして四回目となる今回、舎人は水源を確保出来るという測量術の名人を江戸で見出したのを切っ掛けに、執政会議で新規開墾案を提発議した。


(この開墾が成功したならば、夜須藩は更に豊かになる)


 ただ、問題は資金だった。見積もりでは、千両。しかも、最低限の額でだった。財政改革も半ばで、藩庫に未だ余裕はない。新規開墾に費やす銭を捻出するのは、非常に困難である。それを理由に、執政会議の面々の表情は渋かった。

 しかし、舎人には秘策があった。開墾の民間委託。夜須・宇美津の豪商に協力を募り任せるのだ。

 そこまで言っても、反対者はいた。請け負う商人はいるのかと。そうかもしれない、が、試す前に諦めては何も始まらないではないか。

 舎人は五日目の昼に帰宅し、一日の休暇を挟んで登城した。

 連日の執政会議だった。開墾反対者の意見は、収支の目途と時期の悪さである。開墾はすぐに成果が出るものではない。そうした投機的政策を、改革半ばのこの時期に行うべきではないではないか? と言う。そうした反対意見に対し、舎人は根気よく説明した。首席家老の添田は双方の意見が活発に出るよう促し、それを利景はじっと聴いていた。口を開けば決まると思ってか、自らの意見を言う事は無い。


「では、あの地蔵台を遊ばせておくおつもりか?」


 舎人がそう言っても、代替え案は無い。執政府の面々は判っているのだ。地蔵台の開墾に活路があると。しかし、失敗すれば藩の滅びがあると怯えているのだ。

 舎人は執務の合間を縫って、藩内の商人と頻繁に会った。委託する商人を、探さねばならないのだ。中には乗り気の者もいたが、多くの者が難色を示した。利景の代になり商人との関係は好転したが、それより前が悪過ぎた。返さない借財で、藩の信頼は地に落ちているのだ。

 商人衆は、


「今のお殿様は名君ながら……」


 と、口を揃えてそう言う。舎人はそれに対し、苦笑するだけだった。あれだけ財布代わりに使われては無理もない。

 気が付けば、梅雨が訪れていた。

 その日の会議では、藩主家御一門も出席した。利景の叔父で若宮庄邑主わかみやのしょう ゆうしゅ栄生帯刀さこう たてわきと、利景の異母兄で御別家と呼ばれる犬山兵部いぬやま ひょうぶ。両者は共に無役で藩政上の権限は無いが、利景の後見役として改革をよく支えている。


「まあ、適当にやってくんな。俺らが意見する事はしねぇから」


 帯刀は砕けた調子で言った。生まれも育ちも江戸で、領主となっても無頼の気質が抜けぬ中年の風来坊を、舎人はよく思っていない。土台の性格が合わないのだ。一方の兵部は、武士らしい武士で口数も少なく控えるように座している。

 この兵部を、舎人は買っていた。文武に秀で、藩内でも五指に入る有能な人材である。病弱な利景に代わり、幕府や朝廷との折衝も受け持っている。生母の身分が低く、かの犬山梅岳の養子という事実が足を引っ張っているが、首席家老になっても立派に勤め上げる事は出来る能力はある。

 そうした一門の双璧を前で議論を展開し、その最後に利景がやっと口を開いた。


「お前がそこまで押すのだ。勝算はあるのだろう?」


 舎人は、力強く頷いた。


「お前の考えが何となく読めたぞ」


 そう言うと、利景は力なく笑った。最近はどうも体調が優れないようで、元々白い顔が更に白く、脇息きょうそくにもたれて話を聞く事もある。


「商人の銭で開墾する見返りに、その土地の一部を与える。与えた土地に年貢を掛ければ、与えた分の収益も得られるという事ではないか?」

「ご名答です、殿。しかも、相手が庄屋ではなく商人ならば、長期的な投資にも乗ります」

「それが出来ぬと、始まらんぞ?」

「出来ます。利を説けば必ず」

「少なくとも、今のまま土地を遊ばせておくよりはマシだろうよ」


 最後に帯刀がそう言って、地蔵台の開墾が許可された。

 請け負う商人も、程なく決まった。藩内でも資金力に富んだ、材木商の卯月屋うげつやである。当主の喜兵衛は野心家だと評判は悪いが、新規開拓に一番の情熱を見せたのだ。他にも希望する商人はいたが、最後は舎人が独断で決めた。

 勿論、選定にあたって表沙汰には出来ない銭や物も動いた。利景は嫌うだろうが、それは政事にはよくある仕方のない事なのだ。

 銭は崇高な理念さえあれば、勝手に生まれるようなものではない。泥中に手を入れ、苦労してやっと掴めるものなのだ。


「条件も、藩にとっては願ったりだな」


 利景に交渉成立の報告をすると、そう言われた。


一、開墾に関わる費用一切を、卯月屋が捻出する。

一、開墾地の四分の一を、卯月屋に与える。

一、開墾で伐採した材木は、全て無償で卯月屋のものとする。


 他にも細かい条件はあるが、卯月屋としては土地の他に材木を得られる、それが大きかったのだろう。


「見事だ」


 そう言われた舎人は、深く平伏していた。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 不意打ちのような衝撃がもたらされたのは、夏も終わろうとする頃だった。

 勤王を掲げ江戸で叛乱を目論む、軍学者・橘民部たちばな みんぶに呼応するかのように、館林簡陽が脱藩したのだ。

 その報は、世与との朝餉の最中にもたらされ、舎人は思わず箸を落としてしまった。

 舘林は、武富陣内と並ぶ勤王派の巨頭である。その男の脱藩。


(しまった……)


 舎人は、自らの失策に気が付いた。

 新規開墾にかまけ、勤王派対策を疎かにしていたのだ。執政府より、勤王派対策を一任されている。これは自分の不手際だと言わざるを得ない。

 舎人は大目付・榊多聞さかき たもんと、藩の諜報を司るを目尾組頭・朝賀無甚あさか むじんを呼び出し、捜索を命じた。両者は反勤王派の急先鋒であり、徹底的な処置をするであろう。頭も悪くない。

 舎人は、事の次第を利景に報告し、その推移を見守った。

 二人は舘林の追跡と同時に、この際だからと武富陣内を捕縛するつもりで準備を進めていた。罪状などどうにでもなる。舘林脱藩の連座にしてもいい。舎人はそれを認めた。

 衝撃の第二波は、その五日後だった。

 今度は武富陣内が脱藩した。しかも、榊多聞を斬り捨ててである。

 榊は帰宅中に襲われ、その首は波瀬川の支流に掛かる大橋の袂に晒されていた。天誅という文字と共に。

 執政会議では、当然の如く舎人の責任問題が議論された。特に地蔵台開墾で反対した面々が、仕返しのようにその責任を追及した。


「お役目が多いなら、もちっと軽くしてやる事も重要だろう」


 そう言う者もいた。つまり降格を提案したのだ。しかも、


「宇美津の今治部と交代してもよいのではないか」


 と言いだす始末である。


「本題は、そこではない」


 そう言ったのは、たまたま出席していた兵部だった。


「これから、どう手を打つか。それが重要ではないだろうか。責任問題云々は、その後の話。ただ私が見るに、相賀殿は此処にいる誰よりも働いておられる。私よりも、添田殿よりも、そして殿よりも。最も御家の為に汗を流している者を、汗を流していない者が裁く事は、何とも滑稽。〔忠義〕の志にも反するのではないかな」


 その一言で、責任を問う声は消えた。兵部に感謝の念を抱いたが、それと同時に当たり前だとも思えた。自分は誰よりも働いている。動けば動くほど、失敗は生まれるものだ。何もしていない連中と同じにして欲しくはない。


「で、どうするつもりか、相賀?」


 訊いたのは、添田だった。皺の深い顔を、更に渋くしている。


「御手先役の出馬を、殿に要請したく」

「ほう」


 一同がざわついた。万座の席で、その名が出る事は滅多にないのだ。その名に表情を変えないのは、上座の利景と居並ぶ兵部ぐらいだ。


「目尾組では駄目なのか?」

「御家老、舘林は兎も角、武富は光当流こうとうりゅうの免許持ち。並みの者では相手になりません。しかも事は急を要します。ここは御手先役を」


 添田が利景に目を向け発言を促した。それに利景は頷き、


「ただ、この際だ」


 と、言葉を繋げた。


「御手先役は二人を処断次第、宇美津に向かってもらう」

「宇美津でございますか?」

「そうだ。先日、羽合から宇美津が不穏だとの報告があった。一部藩士が橘民部に呼応する気配があると。舘林も武富も、宇美津へ向かうやもしれぬ。故に、御手先役にはそちらも片付けてもらうという算段だ。どうであろう?」


 一瞬だけ羽合の顔がちらついたが、舎人には反対する理由は無かった。

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