第七回 伊平治の村

「あそこだ」


 そう言って、鏑木は足を止めた。小高い丘陵。眼下には村がある。

 普通、ではない。一目見た小弥太は、まずそう思った。

 村の周囲には堀があり、それに沿う形で家屋が並んでいる。この水は田畠に引かれ農水路に使われているようだが、いざという時には防御にもなるのだろう。また村の四方には、簡素な火の見櫓までがある。

 そうした備えが、剣呑な氣を放っている。刈田が広がる牧歌的な風景に溶け込んではいるが、害を成す者は容赦しない、そうした固い意思が村の威容から伝わって来る。

 乙丸村おとまるむら。そう鏑木が教えてくれた。


(賊に備えた村だ)


 と、小弥太は眼を剥いた。

 まるで戦国乱世の村。このように、物々しくさせるだけの治安の悪さが那珂国にはあるのだ。


「凄いだろう? 賊すら安易に踏み込みゃしねぇ」


 鏑木が、小弥太の横に並んだ。


「初めて見ました。このような村は夜須にもありません」

「だろうね。那珂では、百姓も自衛の意識がなきゃ生きてはいけねぇ。この村には自警団もして、いざという時の為に調練もしている」

「武器はどうされているのでしょう?」


 百姓の刀槍、鉄砲の所持は固く制限されている。これは幕府や諸藩関わらず、統一された方針である。


「隠し持っているのさ。水堀だけじゃ守れないからな。勿論、その為に銭は使わねばならないが」

「賄賂を使うのですね」


 小弥太がそう言うと、鏑木は鼻を鳴らした。


「生きる知恵さ。何かあれば、鐘が鳴る。そして村の男衆で組織した自衛団が、武器を手に招集されるって具合だな」


 村からは、幾つかの炊煙が立ち上っている。村を囲む田畠には、懸命に働く百姓の姿もあった。賊の襲来を意識した村でも、こうした光景だけは長閑に見えるものである。

 眼下の乙丸村に、数名の協力者がいると鏑木が説明した。その数名の頭領格が、この企みを鏑木と共に計画した男だという。


(しかし……)


 説明を受けても、納得出来ないものが残った。策の内容は兎も角、規模や協力者が他にいるのかどうかぐらいは知らせるべきではないか。全容を掴まない限りは、信用出来ない。何より、この男には影があり過ぎる。瞳の奥の鋭さといい、本当の姿を偽っているのではないかと匂わせるものがあった。


(父上に申し上げるべきだろうが)


 と、歩みを進めながら考えたが、結局言わないと決めた。この自分でも感じる事を父が考えぬはずはない。

 丘を下った一行を村の入り口で出迎えたのは、小奇麗な着物を纏った小太りの男だった。

 背は低くずんぐりとしていて、腹には重そうな贅肉を巻いている。風貌を見る限りでは、歳は父よりも若く見えた。

 鏑木が、この男が乙丸村の庄屋で伊平治いへいじだと紹介した。


「これはこれは、鏑木様」


 伊平治は大袈裟な反応を示し、慇懃に頭を下げた。


「おう伊平治。どうだ達者かい?」

「そりゃ、もう」


 恵比寿のような顔に、媚びた笑みを浮かべた。庄屋というより商人に近く、今にも袖の下を渡しそうな雰囲気がある。


「お前さんは達者でいいな。近くにゃ達者ではない村もある」

「はて?」

「久米衛門の村が皆殺しにされた」

「何ですと」


 伊平治が目を丸くした。表情の変化が騒々しい男だ。


「偽りではなく?」

「残念な事だがな。これから騒がしくなろうよ」


 伊平治の表情が固まっていた。衝撃の程が知れる。


「土鮫の仕業でしょうか?」

「ああ。奴らは久米衛門だけを生かし、自分達の仕業だと律儀に知らせやがった」

「して、久米衛門殿は?」

「今は生きておる。今だけはな」


 伊平治は、この世の終わりのような顔をしてかぶりを振った。この庄屋にしてみれば、他人事ではないのだろう。


「我々もいつ同じ目に遭うか」

「そうならない為に、村を物々しくしているのだろうが」

「そりゃ、鏑木様。このご時世でございますからねぇ」


 伊平治が力無く答えた。

 村の周囲に巡らされた水堀と、秘匿している刀槍鉄砲の類いを有効に使えば、並みの襲撃は撃退出来るかもしれない。


(そういえば……)


 最近では天領・旗本領を中心に、武装化する村が増えていると聞いた事がある。幕権の腐敗と朝廷との対立に伴い、治安が悪化しているのが原因だという。その一方で、諸藩が力を伸ばしているそうだ。事実、夜須藩も藩政改革が成功し財政が好転している。そうした話は、折に触れ父に聞かされている。父は時流の機微に敏感なのだ。

 それから、鏑木に促され名乗りを交わした。


「この両名も我らの企てに協力してくれる」


 鏑木の言葉に、伊平治の目が一瞬光った。


「ほほう」


 そして、上から下へと値踏みするかのように見つめてくる。伊平治の表情は穏やかだが、あまり良い気分ではない。


「いよいよという事ですか、鏑木様」

「明日」


 話を聞くに、この伊平治が鏑木と共に計画した一人である事は間違いなさそうだ。


「しかし、鏑木様。若いお武家様も、企てに加わるので?」


 自分の事を言われている。小弥太はそれを察すると、心中で身構えた。


「失敗は破滅でございます。練りに練った計画と入念な準備。失敗は、私らの命だけではなく、この村も破滅に繋がります」


 と、小弥太に目を向け、繁々と見る。

 どうやら、年齢を理由に力量を疑っているようだ。伊平治の言葉が丁寧で穏やかなのが、余計に慇懃無礼というものであるが、疑う気持ちも判らなくもない。


「この歳で、かなり使えるのだ。面構えもいい。間違いはねぇよ。それにな」


 鏑木は、二人が抱える業を伊平治に明した。土鮫の一味に襲われ、返り討ちにした事。そして、それが何ら罪もない村の鏖殺に繋がってしまった事。その全てを聞き終えた伊平治は、小弥太に疑った事を謝罪した。


「そうしたご事情があったとは。鏑木様のお墨付きなら、私に何も言う事はございません。ささ、私の屋敷へ」


 村の中は、平和だった。子どもが走り回り、女達が豊かな表情で談笑している。こうした風景を見ていると、先程見た酸鼻極まる地獄が嘘のようだ。


(これが当たり前の光景なのだ)


 小弥太は、故郷である内住郡の風景を脳裏に浮かべた。内住は平和である。事件はあれど、賊や浪人の跳梁は無い。それは父の統治が行き届いているからである。それが当たり前なのだ。その当たり前を揺るがす、賊には許しがたい怒りがある。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 伊平治の屋敷に案内された。

 村のちょうど中央にあり、広い敷地を垣根が囲み、藁屋根のある門まで備えている。これぞ豪農の居館と言うべき屋敷だった。今の世の中、武士よりも商人や大地主となった豪農の方がいい暮らしをしていて、伊平治のような男は決して珍しくはない。夜須藩にも力を持つ豪農は多く、代官として、そうした付き合いも大事だと父に教えられた。

 奉公人が四人を出迎え、それぞれの部屋に案内した。弥太は清記、鏑木は仙次と同室である。


「今日は、この村に泊まるのですか?」


 小弥太は、横で手荷物を整理している清記に訊いた。


「そうみたいだな」

「そうですか」


 それ以上の会話は無かった。

 いつもの事だが、鏑木や今後の事についてもう少し話したかったと思った。

 やはり、怖いのだ。先が見えない不安が胸に去来する。だから、父と話がしたい。話せば、胸の恐怖も多少は薄まるのかもしれない。

 下女が部屋に現れ、客間に呼び出された。そこには既に、鏑木と仙次、伊平治の姿があった。豪勢な酒肴を、輪になって囲んでいる。全員が座に着くと、伊平治は人払いを命じた。酌も気ままに、という事だろう。


「平山さん。改めて言うまでもないが、この伊平治も企てに加わる」


 清記が、伊平治に目を向けた。人の良さそうな笑みを浮かべている。戦う男の顔には見えない。


「私も、土鮫の一味を苦々しく思っている一人でして」

「ほう」

「特に、私はあの山をずっと見ておりました。賊徒の巣窟になった経緯も知っています。殺された仲間もいれば、村の生活に飽き、賊徒に身を落とした者も知っています」

「お聞かせ願えぬか? 我らは土鮫とやらをよく知らぬのだ」


 小弥太も頷いた。是非、聞きたい所である。

 伊平治の話によると、鵙鳴山が賊の巣窟になったのは五年前だというが、そもそも事の起こりは、それから更に二年もさかのぼる。


「鵙啼山の山頂に、宝如寺という曹洞宗の古刹があり、慈悲深い老僧が住持を勤めておりました。ある朝、その老僧は山門の前で生き倒れていた浪人者を見付け、これを介抱してあげたのです。浪人者は老僧の徳と慈愛に深く感謝したのか、身体が癒えても宝如寺に留まって下働きをしておりました。とても人当たりが良く、気さくだったと申します。ですが、五年ほど前でしょうか。その浪人者は突如として高僧や修行僧を斬り殺し、外から呼び寄せた手下と共に乗っ取ったのです。それからはご覧の通りの有様で」

「その浪人が、土鮫の頭領というわけだな」

「ええ。名は安岡文吾やすおか ぶんごと申します。元々隈府藩の御家中にいたという話を聞いた事がございます。何でも相当な使い手で、明和四年に起きた勤王派の叛乱では、残酷な手法で勤王党を炙り出し、その討伐に功を為したとか」


 隈府藩は、九州にある外様藩である。藩主家は菊池家で、その家中は尚武の気風が篤いと名高いと、父に教わられた事がある。


「山人も賊に加わっているらしいな」

「ええ。文吾は、かつて山人を藩兵に仕立て率いていましたので。きっと、その時の部下なのでしょうな」

「一度殺しに酔った者は、中々元の暮らしには戻れん。宝暦の一件から、明和の擾乱、そして清水家の騒動。ここ十数年で起きた幕府と朝廷の争いが、こうした多くの賊徒を生んだのか」

「時代の仇花だな。しかし、賊になるかどうかは本人の意志だぜ」


 鏑木の一言に、清記は頷いだ。


「それで、伊平治殿は賊と戦えるのか?」


 清記が、酒を片手に訊いた。小弥太もそれは疑問に思った事で、伊平治を見つめその返答を待った。


「戦わねばなりません。村の者も殺されておりますし。何より、私は庄屋です。親が庄屋だったというだけで、満ち足りた生活をさせてもらいました。故に、こうした場合、私が戦わねばならんのです、皆の先頭に立って」


 戦う理由があるという事か。鬼気迫る表情に、偽りは感じない。少なくとも、鏑木よりは信用に値する。もしこれで伊平治が嘘を吐いているとすれば、それは千両役者というものだ。


「平山さん」


 鏑木が口を挟んだ。


「伊平治は、道案内役みたいなもんです。あくまで斬り合うのは我ら三人」

「鏑木様、私とて戦いますぞ。何せ、この日の為に師範を雇い剣を学んでいるのですからね」


 伊平治が得意げに胸を張ったが、


「馬鹿者。お前にゃ、賊徒相手に戦えるほどの腕はねぇよ」


 と、手酌で酒を進める鏑木に切り捨てられた。


「伊平治殿は隠れるとして、仙次殿は? かの者が戦わぬのは惜しい」

「伊平治を守る」


 清記の問いに鏑木が答えると、仙次が頷いた。この男については、全く心配ないであろう。


「他には?」

「自警団から厳選した五人」

「信用できるのか?」


 鏑木が不敵な笑みを浮かべ頷く。


「無論。俺自身で一人一人と話した。五人とも、土鮫の一味には深い恨みを抱いている。動機や意思は疑いなねぇ。一応、自らの身を守るぐらいは出来るが、斬り合いが始まれば逃げてもらう」


 その五人は予め召集されていたのか、伊平治の声一つで呼ばれた。全員が若く、陽に焼けて逞しい。どうやら妻や妹を奪われた者達らしい。


「この十人で鵙鳴山宝如寺を落とす」


 鏑木はそう言うと、伊平治に眼で合図を出した。


「では、その段取りをしましょうか」


 伊平治が、懐から地図を取り出して広げた。目を見張るような、詳細な地図である。山頂にある庫裏や山門の配置、また仕掛けられた罠の場所までが克明に記されている。


(賊徒の中に内通者でもいるのか)


 でなければ、ここまでの地図を作り上げる事は至難の業だ。

 鏑木が、地図を指差しながら土鮫の陣容を語りだした。頭目は、安岡文吾。得物は薙刀で、常に持ち歩いている。手下の数は三十名ほどと言うが、実際のところは解らない。現に、一昨日に五人斬っている。

 他にも、小菅忠平こすげ ちゅうへいという男がいる。千葉派壱刀流の使い手で、その実力は文吾以上のものと囁かれ、賊の中では副頭領格にある。顔色が悪く痩せているのが特徴らしい。この者には注意しろ、と最後に鏑木は付け加えた。


「相手の武装は?」


 清記が訊いた。


「刀、槍、薙刀、弓。そして、鉄砲は二挺」

「二挺では怖くないな」

「そいつは、大した自信だ」

「鉄砲など恐るに足りん。あれは大量に投入されて初めて威力が発揮されるものだ」


 小弥太は内心で頷いた。実際、今の発言が口だけでない事を知っている。父は、鉄砲が相手でも恐れず勝ってきたのだ。


「そうは言っても、無策ではいけません」


 伊平治が口を挟んだ。


(だが、過大評価も駄目だ)


 銃弾は早い。故に、目に見えない。そして、河豚と同じで当たったら死ぬものである。だが、鉄砲はそうそう当たるものではない。鉄砲の威力は、父が言うように、大量に運用されて発揮するものだ。数挺ならば、弓の方が怖いと、小弥太は思う。伊平治はそれを知らないのだ。鉄砲が最も優れた武器だと思っている。

 幕府の御威光で、天下が治まり数十余年。戦乱を収束させたのは大量投入された鉄砲であり、それ故に幕府は諸国鉄砲改めにより鉄砲を規制し、民より引き離した。そして残されたのは、鉄砲への過大評価と恐れである。


「ま、鉄砲には手を打っている。皆々心配なされずに。さて、次は肝心な策だが」


 鏑木の声が一段と低くなった。


「外から攻めるには、犬啼山は嶮峻で、宝珠寺は堅い」

「なら、内側からか」


 清記の言葉に、一同が頷く。

 攻めるならば、内側からしかない。ただ、どう潜り込むのか。それが肝心だろう。


「どのような方法で潜り込むのでしょうか?」


 小弥太は、初めて口を開いた。


「小弥太君。そこで伊平治の出番よ」


 鏑木が白い歯を見せた。


「伊平治さんが?」

「おう。まあ聞け」


 鏑木が、判りやすく策の全容を説明した。その策は相手を騙すもので、小弥太は面白いと思った。そして、父さえいれば必ず成功するとも。ただ、全ては伊平治の芝居次第だという不安要素がある。


「鏑木殿、質問をいいか」


 清記が言った。


「何でしょう?」

「鏑木殿は、何故我々とこの企みを? 奉行所の連中に協力をしてもらえばよいではないか」

「それが出来れば苦労はしませんや。奴らに、この策を実行する力量も度胸も無い。そして、やる気もね。適当に仕事をして江戸や珂府に戻れるのを待っているだけの連中ばかり。それなら、『戦う理由』を持つ奴とやった方がよっぽどいい」

「納得できる理由だ」

「それに奉行所の連中に話すと、その日のうちに土鮫の一味へ情報が流れる。奉行所には糞虫がいるんですよ、情けない話」

「賊の犬か」


 鏑木が頷いた。


「あと一つ。そんな役人の中で何故お主のみが土鮫の一味にこだわる? 以前、お主は人助けと言った。武士が民を守るのは当然だとも。確かにそうだ。だが、お前が本当にそれを信じているとは思えん」

「やだねぇ」


 鏑木が苦笑する。


「俺は本当にそう思うのですよ。武士が百姓仕事もせずに飯を食えるのは、こうした時に命を捨てなければならないからだとね。いつも偉そうにして、民に食べさせてもらっているのですから」


 清記と鏑木の視線が合う。沈黙。先に清記が目を逸らし、


「そうか。それを聞いて安心した」


 と、応えた。

 それから半刻後に一同は散会し、風呂に入って床に入った。清記はすぐに寝入ったようだが、小弥太は寝返りを打つばかりだった。


(流石、父上だ)


 前夜でも平然と寝ていられる。一方、小心な自分は緊張していた。策が成功するとは思うが、死なないという保証はない。

 脳裏に、あの村の惨状が蘇る。賊徒への怒り。それと同時に、あんな屍になりたくないという恐怖。だが、それ以上のものがある。業と贖罪だ。


(必ずやり遂げねばならない)


 それが責任なのだ。皆殺しの切っ掛けを作ってしまった責任が、自分にはある。


「武士が百姓仕事もせずに飯を食えるのは、こうした時に命を捨てなければならないからだ」


 鏑木の言葉。そうだ。武士として、今戦うべきではないか。


(やろう。何が何でも)


 仰向けになり、目を閉じた。

 その時、遠くで複数の足音が聞こえた。鏑木の声。何か激しく言い争っている。隣で寝ていた父が、目を覚ました。

 身を起こし、顔を見合わせた。頷く。


(いよいよか)


 数人の足音が近づいてくる。小弥太は、腹の底からの武者震いを感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る